イロイロ ぬくもりの記憶/アンソニー・チェン監督

登場人物皆、タフでめげませんし、それに言い訳をしないことが見ていて気持ちいいです

ジャールー、テレサ、母、父、4人それぞれに人生があり、それぞれ頼りすぎず離れすぎず、それぞれがそれぞれで解決しようとしています。登場人物皆、タフでめげませんし、それに言い訳をしないことが見ていて気持ちいいです。


フィリピン人メイドと雇い主一家のドラマ!映画『イロイロ ぬくもりの記憶』予告編

1997年のシンガポール。共働きで多忙な両親をもつ一人っ子のジャールーは、わがままな振る舞いが多く、小学校でも問題ばかり起こして周囲の人々を困らせていた。手を焼いた母親の決断で、フィリピン人メイドのテレサが住み込みで家にやって来る。突然の部外者に、なかなか心を開かないジャールーだったが、仕送り先にいる息子への想いを抑えつつ必死で働くテレサに、いつしか自分の抱える孤独と同じものを感じて心を開いていく。だが、そんな折、父親がアジア通貨危機による不況で会社をリストラされてしまう。また、メイドに打ち解けた息子に安心していたはずの母親の心にも、嫉妬にも似た感情が芽生えはじめる…。(公式サイト

上のストーリーに「仕送り先にいる息子への想いを抑えつつ必死で働くテレサに、いつしか自分の抱える孤独と同じものを感じて心を開いていく」とあるほど、テレサとジャールーの関係が叙情的に描かれていないことに好感が持てます。

相当反抗的であったジャールーがテレサを慕うようになっていくのは、いつの間にやらといった印象であり、何かこれというはっきりしたものが描かれているわけではありません。

ジャールーが何かいたずらをしてもテレサは母親に告げ口などせず、ジャールーを叱ったり、時にはぶったりして、一対一の関係として正面からぶつかっていきます。また、ジャールーの中にテレサへの初恋的な感情があるのかも知れません。

当たり前のことですが、そうした様々なことが複合的に組み合わさって人は変わり成長していきます。苦労に耐えるテレサ、母親の愛情を求めるジャールーなどといったステレオタイプなドラマ手法をとっていないことがこの映画の良さだと思います。

国を越えてメイドとして働きに出るのだとか、見ず知らずの人を家族同様に家に入れるのだとか、洗濯物はああやって干すのだとか、夫婦ともに働くことは一般的のようだとか、多民族国家ということもあるのか日常レベルで国際的なのだとか、細かいところでも見るべきことの多い映画でした。