小気味よい見事な展開と特徴的なカメラワーク
メーサーロシュ・マールタ監督というハンガリーの監督の特集上映の1本、1975年のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した「アダプション/ある母と娘の記録」を見てきました。
特徴的なカメラワーク
有無を言わせぬ見事な展開に驚きます。それにカメラワークが特徴的です。
43歳のカタ(ベレク・カティ)が目覚めるシーンから入り、その後シャワーを浴びるのですが、一体何を撮っているのかわからないくらいのどアップです。続く医師の診察シーンでもどアップシーンは続き、主人公のカタはともかくとしても、何も医師の髭面の毛の生え際がわかるほどのアップにしなくても(笑)と思うくらい徹底しています。
1975年当時のヨーロッパの撮影技法の主流がどんなものであったかはわかりませんが、ベルリンでの上映時にはかなりのインパクトを持って受け止められたのではないかと思います。
カメラワークは監督の意志だけとは限りませんが、メーサーロシュ監督が人間の顔の表情を撮りたいと思っているのは間違いないですね。
カタが寄宿舎(と訳されていたが…?)を訪ねた時の子どもたちの顔、顔、顔、カタとアンナがレストランに入った時の男たちの顔、顔、顔、また、結婚式のシーンでは子どもたちや大人たちの顔、顔、顔を舐めるようにパンしていきます。
目線をこちら側に投げかける人物をとらえたカットの連続は、美しいモノクロの写真集を見るようです。
それに、顔をどアップで撮りたいからだと思いますが、会話シーンの顔と顔の近いことといったらありません。カタとアンナ(ヴィーグ・ジェンジェヴェール)のシーンなんて、まるで恋人同士のようにも見え、今にもキスしそうな近さです。
小気味よい見事な展開
物語の進め方は小気味よいほどに見事です。いろいろなことが起きますが、説明的なシーンや台詞はありません。でもよくわかります。展開のリズムがとてもよく、価値観的にはえ? と思うことの連続ですが、それでも違和感なく入ってきます。
カタが医師の診察を受けたのは自分の健康状態を確認するためです。カタは妻子のいるヨーシュカ(サボー・ラースロー)とつきあっており、その子どもが欲しいと考えています。そして、次のシーンはカタがヨーシュカにあなたの子どもが欲しいと伝えるシーンです。
こんな感じでどんどん進みます。ヨーシュカはひとりでどうやって育てるのだとうんとは言いません。カタは、自分には家も収入もあると反論はしますが、それ以上懇願したり、無理にどうこうしようとはしません。ヨーシュカが嫌だというのなら仕方がないという感じです。
このカタを演じているベレク・カティさんの演技については、メーサーロシュ監督がインタビューで「一見無表情に見えるが実際はただならぬ内面を表現している。ハンガリーでは酷評されたがベルリンでは絶賛された(下に引用の動画)」と語っています。
メーサーロシュ監督は過剰な感傷的な表現がきらいということだと思いますが、そうしたところから生まれた小気味よい物語展開なんでしょう。
社会主義国的価値観か…
驚きの展開は価値観の違いかも知れません。
カタの家に近くの寄宿舎で暮らす数人の少女たちがやってきます。寄宿舎と訳されていましたが、親に捨てられたり、面倒みられなくなったりした子どもたちを行政が受け入れる、日本で言えば児童養護施設のようなものだと思います。年齢は17、8歳の感じです。
入っていいか? と尋ねる少女たち、目的もわからないのに気にせず入れるカタ、何かを果たしたわけでもないのにさっさと帰る少女たち、さらに、その後ひとりでやってきて恋人と会うために部屋を貸してほしいというアンナ、さすがにこれは断っていましたが、それでもその後別の少女がやってきて母親へ出そうと思うという手紙を読み聞かされ、おそらく気持ちが動いたのだとは思いますが、わざわざカタは寄宿舎へアンナに会いに行きます。
といった感じでトントントンとことは運びます。
アンナが恋人シャニと会いたいがために寄宿舎を抜け出してきますので泊めることになります。さすがに仕事に行っている間にシャニとセックスということにはイラッとしていましたが、それでもシャニのことをいい子ねと言い、急速にアンナへ情が移ったのか、寄宿舎の校長(この訳も変じゃないか…)に自分の娘にしたいほどだと言い、アンナとシャニを結婚させられないのかと尋ねます。校長は地区のセンター長(行政の担当部署の長という意味か…)に会うように言い、また両親の許可が必要だとも言います。
意外にも校長もセンター長も物分りのいい人物でことはスムーズに進み、カタはアンナの両親と会い、ふたりの結婚を承諾させます。その時の条件が驚きです。要はシャニに一生アンナの面倒をみろということで、離婚した場合でもアンナはシャニの家に暮らすことを条件にしていました。両親はアンナを持て余しており養育を放棄しているということです。
一方、カタとヨーシュカです。カタは待ち合わせにすっぽかされます。ヨーシュカを見てみたいとついて来ていたアンナがカタを抱きしめ、カタが涙を流します。唯一カタが見えるかたちで感情をあらわにしたシーンです。その後、アンナがカタを連れ出し、ドナウ川を船で渡りレストランへ行くシーンはかなり抒情的なシーンでした。
レストランのシーン、その時のふたりはまるで恋人のようでしたし、そこに男たちが次々にナンパにいくというシャレたシーンになっていました。
終盤に入り、カタの顔のアップから誰かが顔をパンパンと叩くシーンがあり、何?! とちょっと驚きましたが、何と美容院で化粧をしてもらうシーンでした。さらに驚いたのは、その後、カタはヨーシュカと会うわけですが、ヨーシュカがカタを自分の家に連れていくのです。ヨーシュカは実際に子どものいる生活を見ればカタにもわかるだろうということのようです。
それにしてもカタ、ヨーシュカ、そして妻の三人の動じなさは見事でした。それにその時の会話が、妻は働きたいがヨーシュカがだめだと言うとか、カタが何も技術がないという妻に一年もあれば何でもできるようなるとかであり、ここにはいわゆる不倫などという言葉が持つゴシップネタ的な価値観はないのだと驚きのシーンでした。
アンナとシャニの結婚式のシーンはすでに書いたように特徴的なカメラワークで出席者の子どもたちや校長やセンター長などの大人たちの顔のアップを舐めるようにパンしていき、その後ダンスとなり、その間にアンナとシャニが仲違いをする様子が捉えられていきます。
その仲違いがふたりの将来を暗示しているということかどうかまではわかりません。
そしてラスト、カタは養子を迎えることにし、養子縁組の団体からひとりの乳児を受け取り我が家に向かいます。原題「Örökbefogadás」は英訳で「Adoption」、日本語では縁組、養子縁組の意味になるようです。
この映画が撮られてからすでに50年です。それに当時のハンガリーは社会主義国です。ですので、この映画が当時どういう意味を持っていたのかまで推し量ることは難しいことですが、少なくとも映画のつくりとして、メーサーロシュ監督が優れた映画監督であることはよくわかります。
メーサーロシュ・マールタ監督
1931年9月19日生まれの現在91歳、まだ現役です。2017年に「Aurora Borealis: Északi fény」という長編が公開されていますし、今年2023年に短編がクレジットされています。
YouTubeにメーサーロシュ・マールタ監督のインタビュー動画がありました。2019年のベルリンで「アダプション」のレストア版が上映された時のものです。
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メーサーロシュ監督はブダペスト生まれで、5歳(1936年)のときに両親とともにソ連邦に移住しますが、彫刻家の父親がスターリン政権下の弾圧で強制収容所に送られ、後に処刑されているようです。母親も出産時(妹か弟かということだと思う…)に亡くなり、メーサーロシュ監督はそのままソ連邦で養女として育ち、映画はモスクワの The Gerasimov Institute of Cinematography という映画学校で学んだそうです。
その後、1954年頃からブダペストやブカレスト(ルーマニア)の映画スタジオで働き、ドキュメンタリーの短編を撮っています。1968年に最初の長編を撮り、以後50本以上の映画を撮っている監督とのことです。
今回の特集上映には入っていませんが、1984年の「Napló gyermekeimnek(Diary for My Children)」がカンヌで審査員特別グランプリ(現在のグランプリ)を受賞しています。