あれやこれやこねくり回しているが結局何も内容のない映画
「ブリムストーン」なかなか覚えられないタイトルで、何だったっけ?と何度も調べてしまいます。こういう映画こそいい邦題をつけてほしいものですが、英辞郎ではこんな訳が出ます。
brimstone【名】
1.〈古〉硫黄 2.地獄の業火 3.激しい情熱 4.〈古〉口やかましい女
およそ「地獄の業火」という意味合いの映画ですが、深読みすれば、あるいは3,4の意味も意識されているのかも知れません。
監督:マルティン・コールホーベン
(公式サイト)
西部開拓時代のアメリカを舞台にした映画なんですが、アメリカ映画というわけではなく、マルティン・コールホーベン監督もオランダ人で、おそらくロケもヨーロッパで行われたのでしょう。エンドロールにドイツ、スペイン、オーストリア、ハンガリーがクレジットされていました。製作も自身のプロダクション「N279エンタテインメント」みたいです。
なんだか、ラース・フォン・トリアー監督の「ダンサー・イン・ザ・ダーク」や「ドッグヴィル」が思い浮かびますね。
ただ、映画自体はそれらの映画までのテーマ性はなく、見終わって残るものもさほど多くはありません。
「The night of the hunter(狩人の夜)」という1955年の映画のリメイクという話もあるのですが、ストーリーを読む限り、インスピレーションは受けたにしても違う物語のような印象は受けます。
で、この映画の基本ストーリーは、サイコチックな牧師(ガイ・ピアーズ)が独自の歪んだ道徳観念、これがあまりはっきりしないのですが、どうやら自分=男が神のような存在であり、女はその望み=欲望を満たすための存在であり、それが神への信仰であるといったことのようです。
で、この男には妻と娘ジョアナ(エミリア・ジョーンズ)がおり、妻がセックスを拒否している(からなのかどうかよくわからないが)ため、ジョアナが生理を迎えたことを機に女としての務めを果たすことが神のなんとかだとか、とにかくこのあたりが全くもってよく分からないのですが、よく分からないからサイコチックなんだと諦めて先へ進みますと(笑)、なんだかんだで妻は自殺してしまい、とうとう娘ジョアナは父である牧師に暴行されてしまいます。
ジョアナは逃げます。荒野で倒れて意識を失い、中国人の家族に助けられますが、娼館に売られてしまいます。
そして、何年(よく分からない)か経ち、ジョアナ(このあたりからダコタ・ファニング)は娼婦として働いています。そこへ、父親である牧師がやって来て、その娼館を貸し切ると言い、ジョアナを指名します。え?なぜ、大枚はたいて貸し切るの? そこにジョアナがいることが分かって来たんじゃないの? 貸し切らなくても、最初からジョアナを指名すれば? というのは野暮というもので、そうやって、わざわざもっともらしくドラマを作っているということです。
娼婦仲間にリズという女性がいます。彼女は執拗にキスを求める客の舌を噛んだことの報復として舌を切り取られています。その彼女が内緒で結婚相手を斡旋してもらい、って、なぜそんなことが出来るの? ということは置いておいて(笑)、子持ちの男性との結婚の約束を取り付けています。
で、話戻り、ジョアナが父である牧師に買われ、(なぜだか思い出せませんが)鞭打たれているところへリズがやって来て、あれやこれやごちゃごちゃ(笑)あり、リズは殺され、ジョアナは父である牧師の喉を切りつけてその場を逃げます。これ、映画的には父である牧師は死んでいるのですが、その後もジョアナを追ってきます。なぜ?
それはともかく(じゃないだろ!?)、ジョアナは自ら舌を切り落とし(痛!)、リズになりすまして、結婚相手のところへ向かいます。
というのが、実は、第三章 Genesis(創世)と第二章 Exodus(脱出)で、次が映画が始まって最初に見ることになる第一章 Revelation(黙示録)となります。ややこしい! 普通にやれば?と思います。
リズの名を語ることになったジョアナ(以下全てジョアナで)は結婚相手と幸せに暮らしており、5歳くらいかと思いますが、娘サムも生まれています。ジョアナはなぜか助産婦として村の信頼を得ています。そこへ(映画ですから)当然ながら、父親が村の教会の牧師としてやって来ます。現実的にはここでジョアナは逃げるべきなんですが、映画ですから逃げません。
ある日のミサ、村の妊婦が産気づき、ジョアナがみることになります。しかし、状態は悪く、母親か子供かどちらかを選ぶしか方法がなく、ジョアナは赤ん坊の命を奪い母親を助けます。そのことが原因でジョアナ家族とその妊婦の夫との争いが生まれ、それにつけ込んで父である牧師がジョアナに災いをもたらすということで物語を進めていくのですが、ただ、そのこと自体、ジョアナが目的ならそんな面倒なことしなくて、直接ジョアナに相対すればいいのではと思うのですが、まあ映画ですし、なにせ、この場面は第一章ですので、こんなものかと見ていたのですが、今思い返してみれば、ジョアナは、その妊婦が産気づいて大事になった原因は父である牧師が妊婦のお腹に触れたからだと言ってており、父である牧師にそんな超能力的な力があったのかなあと不思議です。
で、結局、ジョアナの夫は父親に殺され、ジョアナは娘サムと息子(前妻の子)を連れて逃げます。
ここまでが第一章。映画は、この後に過去である第二章、ジョアナが荒野で倒れてから舌を切って夫となる男の元へ向かうまでが続き、その後に第三章、そもそもの発端である少女時代のジョアナの章を見ることになります。
そして、次が第四章 Retribution(報復)で、物語としては第一章の続きとなり、一面の雪景色の中で話は進みます。道中、まず息子が殺されます。ジョアナたちが向かっていたのは、殺された夫の父親のもとだったのですが、何とかたどり着くものの、あれやこれやでその父親も殺されます。
ジョアナと娘サムの二人、そして父である牧師(名前はあったのかなあ?)の最後の対決です。正直、見ているのも面倒になっていましたので細かいところはあまり覚えていません。ただ、父である牧師が、孫であるわずか5歳くらいの幼い子を鞭で打ち、「男」である自分の欲望を満たすべき「女」であるからとあたかも性的暴行を加えようとするかのような流れにはさすがにもういい加減にしてよと言いたくなる映画でした。
結局、ジョアナは父親を殺し、これで終わりかと思いきや、ジョアナが成り代わっていた娼婦のリズが娼館のオーナーを殺していたことが判明し、ジョアナは逮捕され連行されていきます。え? 他にもいっぱい死んでるやん!? その犯人は逮捕しないの? なんて言わないでね、という映画です。
逮捕されたジョアナは自ら川に飛び込み命を絶ちます。
そしてエピローグ、成長したサムはすでに子どもを持ち幸せに暮らしています。と、そこに「サムは服従することを拒み力強く生きた母のことをしっかり記憶している」(こんな感じですが適当)とテロップが流れて終わります。
率直に言って、話をこねくり回しすぎです。ここまで読んでくださった方はいないでしょうが、仮に読んでいただいたとしても映画を見ていないと何が何だか分からないと思います。
なぜ、そんなにこねくり回すか? それは、これを撮りたいという芯がないからでしょう。