フレディ・マーキュリーの伝記的音楽映画、音楽に感動するもドラマは?
「音楽映画に失敗はない」を地で行ったような映画です。ただ、この言葉、私が言っているだけですけどね(笑)。
クイーンのフレディ・マーキュリーの伝記映画と言っていいと思いますが、とにかく、音楽がいいというだけで映画として成立しています。
正式公開日は今日11月9日となっているのですが、昨日、一部映画館で特別上映があり見てきました。この映画、音響がドルビーアトモスということで、通常料金より+200円という設定になっています。確かに、いい音でした。音量があってもうるさく感じません。
ドルビーのサイトをざっと読んでみたんですが、詳しい説明に入りますとまるで自動翻訳を読んでいるみたいに訳がわからなくなります(笑)。要は、音源を三次元のどこにでも定位させることができるということのようで、結果として、映画館であれば音に包まれたような臨場感を生み出せるということでしょうか。
こういう音楽映画にはいいかもしれません。ただ、お願いですから、料金を高くしないで(涙)。
ということで、映画ですが、音楽だけでも持つくらいですので、それはそれでいいのですが、ドラマとしては物足りなく、音楽以外で感動できるところはなく、ラミ・マレックがフレディ・マーキュリーを完コピしたとか、ライブエイドを再現したとかの話題先行気味の映画です。
映画のクライマックスになっているライブエイドが1985年ですから33年前、リアルタイムで記憶するのが15歳くらいとすれば、現在48歳以上の年齢ということになり…、ということなんですが、ほぼ満席の観客、意外にも若い人が多かったですね。曲がメロディアスでキャッチー(死語?)ですから一度聞くと耳に残り興味を持つということもあるかもしれません。
という私も、曲を聞いてタイトルが浮かぶのは数曲くらいですので、以下、音楽ネタはありません。それでも曲が流れば、ああ聞いたことあると思うわけですから、その時代、かなり流れていたということだと思います。
1970年代といえば、ハードロックの時代ですので、イギリスやアメリカから次から次へと新しいグループが登場(紹介されて)していた印象があります。特別クイーンに興味を持っていたわけではありませんが、それでもフレディー・マーキュリーのエイズ発症による(気管支肺炎での)死は、当時エイズパニックと呼ばれる(日本の)社会環境もあり、かなり印象深く記憶しています。
映画はライブエイドで終わっており、その死についてはエンドロールで流れるだけですが、後半は、フレディのセクシャリティがバンドの不和の原因のように描かれていますので、もう少し違う視点はないのかなあという感じがします。
ドラマとして物足りないというのもそのあたりで、おそらく、映画の作り手(誰が軸なのかな?)は、栄光から挫折、そして復活という流れを基本線としているのだと思いますが、その挫折にもう少しいろいろな要素がないとあまりにも一面的すぎます。
ポール・プレンター(アレン・リーチ)というマネージャー(でいいのかな?)がいます。中ほどのシーンで、突然フレディとのキスシーンがありますが、さすがに唐突すぎるでしょう。
その時はまだフレディはメアリーと一緒に暮らしていますが、ほどなくして別れることになり、その後、そのポールがフレディのパートナー兼マネージャーとして、ある種フレディを自分の思うがままに動かしていき、それがもとでフレディの生活自体も荒れ、他のメンバーともぎくしゃくしていき、メアリーからの電話やライブエイドへの出演オファーも黙殺してしまうという、かなり悪者に描かれている人物です。
ドラマとしては、恋は盲目、というほど二人の恋愛感情は描かれていないので実際どうであったのかはわかりませんが、とにかく、ある時メアリーとの再会を機に、憑き物が落ちたかのように、フレディははたと気づき、メンバーに謝罪、ライブエイドに出演して、あのパフォーマンスとなったという展開になっています。
悪者をつくるというのはある種ドラマづくりの定形だとは思いますが、少なくとも、ある時期、フレディ自身がパートナー(だったんだよね?)としていたんですからあまりにも一面的すぎるでしょう。
ただ、映画にもありましたが、その後、ポール・プレンターはテレビで二人の間のプライベートなことまで暴露したというのは事実らしく、それはあかんでしょうとは思いますが。
言いたいことは、悪役なら悪役として、もう少ししっかりした人間関係を描かないと映画として感動できるものにならないということです。音楽映画ですからほどほどでいいとは思いますが、なぜフレディがポール・プレンターに執着していった(と見えた)かがまるでわからない映画でした。
全体としても、いくつかのエピソードを並べている印象が強いです。ブライアン・メイとロジャー・テイラーとの出会いからクイーン誕生のくだり、一気に成功への道を歩んだかのようなくだり、ボヘミアン・ラプソディ誕生秘話、メアリーとの出会いと別れ、両親、特に父親との関係、そしてフレディの最後を看取ったというジム・ハットン、このジム・ハットンさんの話、いらなかったんじゃないのと思います。
父親との関係もやや中途半端でした。父親は宗教的な意味合いなのか、フレディが子供の頃から「good thoughts, good words, good deeds(善き考え、善き言葉、善き行い)」をするようにと教え諭すように言っていたんですが、それが重荷となり、あるいはセクシャリティのこととも相まって、より乱交(?)に及んだみたいにも受け取れ、それをラスト、ライブエイドへの出演前に、フレディが父親に、あたかも今から善き行いをしてくるとでもいうように「good thoughts, good words, good deeds」と言い、二人でハグしていました。余計なことですが、これもなくてもよかったんじゃないですかね。
ごく一部のスターしかわからない栄光と重圧と苦悩と、そして孤独を全面に出して描けば映画としても感動できるものになったような気がします。
で、何気なくプロデューサー名を見ていましたら、ジム・ビーチの名が…、映画の中に出てきたマイアミ・ビーチですよね。ビーチだからマイアミって、あのエピソード、本当なんですかね(笑)。それはともかく、映画の中で、フレディが(音楽制作の)プロデューサーやマネージャーにお前はクビだ!とか、今すぐ俺の車か降りろ!などと横暴な振る舞いをしてして、最後にマネージャー(多分プロデューサー的)に残った人なわけですから、かなり人間関係に対する見方が偏っているかもですね。
音楽プロデューサーとして、ブライアン・メイとロジャー・テイラーの二人も入っていますし、彼らからすると、フレディはこう見えていたということなのかもしれません。