悠久のガンジスの生と死、そして家族
「終活」なんて言葉が頻繁に使われるようになっていますので、ついつい、インド版終活映画なんて言いたくなってしまいますが、よくよく考えてみますと、これは送る側の映画ですね。
いくつくらいの設定でしょうか、80歳くらいでしょうか(*1)、上の画像の老人ダヤ(ラリット・ベヘル)ですが、彼は毎日同じ(子どもの頃の?)夢を見ることから自分の死期が近いことを悟り、家族に「バラナシへ行く」と告げます。
このバラナシ(ウィキペディアではヴァーラーナシー)というのは、ヒンズー教の一大聖地であり、また、ここで死んだ者は輪廻から解脱できると考えられている場所だそうです。
インド中からこの地に集まりひたすら死を待つ人々もいる。彼らはムクティ・バワン(解脱の館)という施設で死を待つ。ここでは24時間絶えることなくヒンドゥー教の神の名が唱えられる。亡くなる人が最期のときに神の名が聞こえるようにとの配慮である。ここで家族に見守られながら最期の時を過ごす。
ダヤはまさしく上の引用のようにバラナシで死にたいと考えたということです。ただ、映画では、ダヤが解脱の家で神の名を唱えるということもなく、むしろ旅行で滞在しているように過ごしていました。ちなみに、英題は「Hotel Salvation」です。
ダヤの家族は、息子のラジーヴ(アディル・ フセイン)とその妻ラタ、そして娘スニタの三人です。ラジーヴはダヤのバラナシ行きに反対します。しかし、ダヤはもう決めてしまっている上に頑固なんでしょう、仕方なく、ラジーヴが一緒に行くことになります。
もちろんラジーヴには仕事がありますが、ノルマ(とはちょっと違うかも?)をこなせば特に問題はないような感じで休みを取っていました。ただ、旅先でも頻繁に電話でやり取りしており、日本的な有給休暇という印象のものではありません。
二人は布団まで抱えてタクシーなのか、車で移動していました。あれ、後部座席の三人の内のもうひとりは誰なんですかね? 乗り合いなんでしょうか、話をするシーンもありませんでしたし、ラジーヴが狭っ苦しそうに苦虫を噛み潰したような顔をしてごそごそと動いていました。後半、ラジーヴが一人で家に戻るシーンでも同じように三人が肩をぶつけ合って乗っていましたので乗り合いの車でしょうね。
こうしたクスッと笑ってしまうシーンがかなりあります。この映画のトーンはこういう感じです。ビターなコメディって感じでしょうか。公式サイトに「『東京物語』 を思わせる傑作!」との Financial Times の批評が出ていましたが、たしかにそういう感じもあります。
で、「解脱の家」に到着、管理人なのか宗教者なのかよくわからない人物が滞在のルールを説明して「解脱してもしなくても滞在は15日まで」なんて言っていましたが、ダヤが親しくなる女性ヴィムラは、夫と一緒に来て、夫は亡くなったが自分は18年になると言っていました。あれも、クスッとするところだったのかもしれません。
ということで、特別何かが起きることはなく、父子のちょっとしたぶつかり合いやヴィムラとの交流など、バラナシでの日々が描かれていきます。
バラナシというのは、死を迎えるための場所だけではなく「インド各地から多い日は100体近い遺体が金銀のあでやかな布にくるまれ運び込まれる(ウィキペディア)」場所でもあるらしく、その火葬が、あれはガンジス川の河原でしょうか、木が組まれて火葬されるシーンがありました。
映画の流れもゆったりしていますし、見ているだけで悠久のガンジスという感覚が味わえます。
最初に、これは送る側の映画だと書きましたが、確かにダヤは一切ぶれることなくその時を待つのみなのに、ラジーヴの方はあれこれ頭の中がぐちゃぐちゃしているようです。
父を送るという現実に対する動揺からか、父親が「すまなかった。詩人(だったかな?)になりたかったお前を活かせてあげられなかった。」と涙ながらに謝る夢を見たり、仕事の電話にいらいらしたりまったく落ち着きがありません。
そんなある日、ダヤが具合を悪くして寝込みます。ラジーヴは最期かと思い妻と娘を解脱の家に呼びますが、ダヤは回復します。
ここで、娘スニタについてのエピソードが挿入されています。スニタはおじいさんであるダヤになついでいるようで、ラジーヴが禁止しているらしいスクーターの運転を内緒で教えたりしています。
親であるがゆえに厳しくなるのか、スニタ本人は望んでいない(とラジーヴは知らない)結婚をさせようとしています。
家族のこと、仕事のこと、現実を生きるものの悩みはつきないということでしょうか。
後半のあれこれがちょっとばかりはっきりしないのですが、結局、15日満了したからだったか、娘が結婚しないと言い出して呼び戻されたからだったか、とにかく、ラジーヴがダヤをひとり残し家に戻っている間にダヤはこの世を去ります。
あれ? 父子の抱擁のシーンがあったと思うのですがどこでしたっけ?
ああ、ダヤが回復した後のガンジスの辺りだったと思います。「生まれ変わっても家族で」と言うラジーヴに、ダヤが「人間に生まれ変わらなくてはいけないか。ライオンに生まれ変わりたい。母さん(だったかな?)にライオン坊やと呼ばれていた。」と語り合うシーンだったと思います。ほろっとするシーンです。
ラスト、ダヤの死後、解脱の家の壁に、ラジーヴがダヤの亡くなった日付を刻みつけています。
ということで、ぼんやりと見てしまい、かなり時間系列が曖昧ですが、とてもいい映画でした。