映画から10年の今、老犬はいまだ死なず…を願う
今年の2月に見た「羊飼いと風船」のペマ・ツェテン監督、2011年の作品です。その年の東京フィルメックスでグランプリを受賞しています。
ラストシーンで一気にたちのぼる物語性
この映画、よく検閲を通ったものだと思います。2011年、製作はもう少し前として、まだその頃は中国も今ほど強権的ではなかったのでしょうか。
この映画、命をかけてもチベット(魂)は守り抜くという映画です。もちろん映画ですからメッセージということではあるのですが。
いきなりネタバレしますが、この映画のチベタン・マスティフ(チベット犬)は当然ながらチベットの象徴であり、それを中国の都会で人気だからといって買い占めようとしたり盗もうとしたりするのは経済成長する現代中国であり、そしてラストシーンでチベットの老人が自らその犬を殺害し、ひとり草原の奥へ奥へと歩いていく姿は決して魂だけは売らないという静かなる決意の表現です。
そのラストシーンまではやや見えにくい映画ではあるのですが、逆にそこからそこにいたるまでを見返してみますといろいろ見えてくるものがある映画です。
馬、バイク、走り抜けるトラック
バイクでチベット犬を引いて売りにいこうとする青年(息子)、馬に乗りそのチベット犬を取り戻しに行く父(老人)、その後を猛スピードで砂煙をあげながら行き交うトラック、どのシーンもかなりの長回しです。
当然ながらトラックは中国政府(資本?)による開発の象徴です。薄々そうだとは感じながらも正直退屈な画だなあと見ていましたが、引きの画のフィックスでの長回しにはかなり強い気持ちがこもっているということになります。
あの水たまりだって砂埃だって馬ごときではああはならないでしょう。息子のバイクが極端にゆっくりなのは犬を引いているからかと思いましたが、そうではなくかなり意図的な表現でしょう。
時に猛スピードで走り去るバイクはチベットの若者ということなんだろうと思います。後に登場する犬の売買の斡旋をしているチベットの青年も同じような意味で変りゆくチベットの象徴かと思います。
息子夫婦の不妊
この映画はチベット犬の行く末ともうひとつ、息子夫婦に子どもができないことが軸になっています。
そのことでなにか映画が動くのかと思いましたが、特に大きな動きはなく、息子の方に原因があるのではないかということで終わっていました。
ラストシーンから考えれば、おそらくチベットのなにか、魂と言いますとベタになりますが、チベット民族のアイデンティティ(ちょっと違うか)そのものがなくなってしまうことへの危惧やら、あきらめやら、静かな怒りが込められているような気がします。
それは強権化する中国に向けられているだけではなく、変わりゆくチベット(人)、そして時代の流れそのものへの懐疑心ではないかと思います。
テレビ放送、チベット人の警官、教師
テレビではショッピングチャンネルが放送され、よくわからないブランド物の安売り販売が絶叫(に聞こえる)されています。老人、息子、妻の家族がそれに反応するでもなくただぼんやりと見ています。
一概に否定的に描いているわけではないのでしょうが、中国化するチベットなんでしょう。ただ、そのこと自体は資本主義化する地球という意味においては現実的には(いち個人には)止められないことではあります。もちろん、現在起きているウイグル問題(など)とは違う意味において止められないということです。
ネタバレあらすじとちょいツッコミ
息子がバイクでチベタン・マスティフを引きながら町なかをやってきます。速度はかなりのろいです。そしてかなり長いです。
中国人のバイヤー(だと思う)のワンに売りたいと言い、1,000元でどうだと言われ、安すぎるといい断ります。
警察署へ行きます。署の前では若者(かな?)がビリヤードをやっています。いとこの警察官を呼び出しますが出掛けています。その間息子はビリヤードに加わり10元賭けようと言います。いとこが帰ってきます。ビリヤードを中断し(いいのか(笑))、いとことともに再びワンのもとに行きます。警察官のいとこが話しますと3,000元になり、息子は犬を売ります。
息子は町でしこたま飲んだのでしょう、暗い中酔っ払って帰り、家の前で何やらごちゃごちゃと…転倒していたのかな? 忘れました。
翌朝、老人は何も言わずに馬でとことこと町へ行きます。これも速度は当然ながらのろく、またカットも長いです。警察署に行き、甥とともにワンのところへ行きお金を返し犬を取り返します。
老人は息子夫婦に子どもができないことを気に掛け、息子に病院で見てもらえと言います。息子は妻をバイクの後ろに乗せ町へ行きます。やはり速度はのろくカットは長いです。息子は病院の前で妻にひとりで行けと言います。妻は姉(警察官の妻)に同行してもらい診察を受けます。
話はそれますし、ふと思い出しただけですが、診察中のカットで、産科の診療台に受診者が足を乗せた同じような構図のカットが「羊飼いと風船」の堕胎のシーンにもありました。ペマ・ツェテン監督には産科の診療はあのカットなんだなあと思っただけです。
息子にどうだったと聞かれた妻は問題はないと言われたと答えます。息子は何も言いません。その夜か後に老人に聞かれた妻は同じように答え、老人も何も言いません。
ある日の夜中、犬が盗まれます。
家に甥の警察官が犬を連れてやってきます。息子がワンのところに犬がいると知って取り返しに行き、ワンに怪我をさせたのでしばらく勾留されると伝えにきます。
老人が面会に行きます。勾留といっても牢獄ではないようです(笑)、自由に動き回っていました。老人は息子を咎めるわけでもなく何も言わず一緒に煙草を吸っています。息子が酒を買ってきてくれと言い、老人が買いに行きます。息子は窓から老人が歩いていく姿を見ています。
煙草はチベット人にはなくてはならないものなのか、男たちはどのシーンでも必ず煙草を吸っています。老人は勧められる煙草を頑なに断って自分の煙草を煙管のようなもので吸っていました。
老人が家に戻りますと犬がいません。草原に出ますと妻が盗まれるといけないので連れてきているといっています。
老人が犬とともに放牧中の羊を見ています。チベット人の若者がバイクの後ろに誰かを乗せてやってきます。チベット犬の中国人のバイヤーです。若者を介して(多分言葉がわからない)10,000元で売って欲しいと言います。バイヤーはジャケットで指の数字を隠すように若者に示しています。
多分、その様子を茶化した画でしょう。
老人は断ります。15,000元が提示されます。そっけなく断ります。20,000元が提示されます。相手にもせず断ります。ふたりは去っていきます。
このチベット人の若者はこのシーンの前にも登場しており、同じように老人に犬を売らないかと声を掛け、お前の父親はチベット犬を何頭も育てたものなのになあと嘆かわしく、とは言っても責めるわけでもなくつぶやくシーンがあります。
そして、ふたりが去ったそのままの引きのワンカットのままだったと思いますが、老人と犬が羊の群れを静かに追い立てていきます。(違っているかも…)群れが遠くになっていきます。一頭が柵の外に残されています。群れに加わろうと柵の裂け目を探しています。やっと見つけて群れに加わっていきます。
老人が犬を連れて柵に近づいていきます。チェーンのリードを柵に掛け、老人は後ろ向きで歩いていきます。チェーンが一杯に張り、犬の唸り声がします。老人は体を傾けチェーンをぴーんと張ったまま動こうとしません。チェーンが激しく揺れます。犬の唸り声が激しくなり、そして途絶えます。
老人はチェーンを離し振り向くこともなくそのままずんずんと草原を突き進んでいきます。カメラが老人を追います。老人はどこまでもどこまでも歩いていきます。
言葉がない…
言葉がありません。
我々はなにか間違った道を歩いているようです。