あのこと

アンヌの身体や人生のことはアンヌが決めるべきということ

すごい映画です。昨年2021年のヴェネツィア国際映画祭の金獅子賞受賞作です。

今年、ノーベル文学賞を受賞したフランスのアニー・エルノーさんの『事件 L’Événement』という著作をベースにした映画で、内容も内容なんですが、エルノーさんはオートフィクションの作家と言われている方で、著作の多くが実体験だと言われています。それだけに見ていても胸が締め付けられるような感覚におそわれます。

あのこと / 監督:オードレイ・ディヴァン

60年前の話とはとてもいえない

1963年のフランスの話です。

アメリカでは、今年の6月、連邦最高裁判所がそれまで女性の人工妊娠中絶は憲法で認められた権利であるとしてきた判断を覆したことが大きな問題となっていますが、フランスでは1975年まで人工妊娠中絶は違法とされていたということです。その時代に思わぬ妊娠をしてしまったアンヌ(アナマリア・ヴァルトロメイ)の12週間を追った映画です。

ですので、この映画は60年前の話であっても現代の女性が置かれた厳しい現実にも通じる物語ということになります。

アンヌが生理がこないと気にし始める妊娠4週目(くらいだったと思う…)から非合法の妊娠中絶方法で中絶する12週目まで、ただひたすらアンヌを追いかけている映画です。アンヌただひとりを追いかけるその手法はダルデンヌ兄弟監督を思わせます。ハンディカメラを多用する撮影もそう感じさせます。

アンヌの人生や身体のことはアンヌが決めるべき

主治医の医師に妊娠していると告げられ、産むしかないと言われます。仮に人工妊娠中絶という処置をすれば医師もアンヌも刑務所行きということです。このシーンではなかったと思いますが、アンヌは、いずれ子どもは欲しいけれども自分の人生と引き換えにしたくはない、産めば子どもを憎むかもしれないと言います。

アンヌは大学生です。教師からも優秀な学生と認められているシーンがあります。教師になりたいという目標を持っており、出産でそれを失いたくないということです。

相談できる者はいません。両親はカフェを営んでおり、成績優秀なアンヌに期待しています。アンヌは寮生活であり、親しい友人2人とは頻繁にクラブに遊びに行ったり、セックスについてのかなり具体的な話をしたりする関係ではありますが、それでも相談するのはかなり切羽詰まってからです。ひとりは去り、もうひとりは同情はするものの、自分もセックスの経験はあるが運がよかったと言うだけで力にはなりません。

電話帳で探したという医師を訪れます。妊娠していると告げ、暗に処置をしたいとにおわせるアンヌに医師は即座に帰ってくれと言います。しかし、アンヌが粘りますと(ちょっとよくわからなかった…)薬を処方してくれます。寮に戻り太ももに注射します。

目を覆いたくなるシーンがあります。アンヌが自ら編み棒で堕胎しようと試みるのです。アニー・エルノーさんの原作にもあるのでしょうが、さすがにこれは監督が女性じゃないと描けないでしょう。

出血があり堕胎できたと思ったのでしょうか、主治医の診察を受けます。医師からは粘膜を傷つけただけだと告げられ、処方された薬を注射したことを話しますと、それは流産抑止剤だと言われます。

その薬を処方した医師こそ違法行為だと思いますが、この映画は不思議なことに、アンヌに抑圧的に働く男性社会や男性そのものへの怒りといったものを感じさせません。この医師の扱いもそうですが、そもそもの相手の男が誰かということにも気がいかないようにつくられていますし、その男は後半になってやっと登場しますが、それでさえアンヌは中絶の手助けを求めるためであり、何の手助けもしてくれないと分かればそれだけでもう登場しなくなります。

とにかくこの映画は、アンヌが自分の人生や身体のことは自分が決めるとの意志で奔走する姿を追い続けます。もちろん、60年前の話ですのでアンヌ本人がそうした意志を持っていたということではありませんが、この映画の脚本、監督のオードレイ・ディヴァンさんと脚本のマルシア・ロマーノさんには、人工妊娠中絶の女性の自己決定権という考えがはっきりとあるのだと思います。

壮絶な終盤へ

アンヌに味方はひとりもいません。演じているアナマリア・ヴァルトロメイさんがかなりタフに演じていますが、この状況に耐えられる人はそう多くはないでしょう。その意味でも女性の自己決定権が人権問題だというがわかります。

そしてさらに、ことはアンヌの命を危険にさらす事態にまで及びます。以前、妊娠中絶の裏事情を知っていると思しき男に助けを求め、その時は消えてくれと冷たくあしらわれていたのですが、後に闇の中絶業者を紹介されます。

この中絶の処置シーンもかなり具体的に描かれます。目を背けたくなるようなシーンです。その処置で堕胎させるのではなく、何かを入れて流産させる処置だったようです。しかし、成功しません。再びその闇業者を訪れます。2度もすれば命を危険にさらすと言われますが、アンヌの気持ちは変わりません。

そして後日、アンヌは悶え苦しみながらトイレに駆け込み便座に座ります。ボチャンという音。駆けつけた友人にハサミを持ってきてと叫び、そして便器の中を覗きます。アンヌからのびたへその緒、便器の中は真っ赤です。出血が止まらず救急車で病院へ運ばれます。

オフで声が入ります。どう処理しますか? 流産だ。(ちょっと違っているけどこんな感じ…)

映画の中で、流産とされるか、中絶とされるかは運次第だと医師(主治医だったと思う)が語っていました。

後日、試験(卒業試験? 上級への進学試験?)を受けるアンヌ、その表情は憑き物が落ちたように爽やかです。成績優秀だったアンヌですが、妊娠という事実で集中力もなくし、成績もどんどん落ちて、教師からは進学は難しいと言われていたのですが、1度目の闇の中絶処置後に、教師に追いつきたいので講義ノートを貸してほしいと願い出て、再度教師を目指すのか? と聞かれ、いえ、作家を目指しますと答えていました。

男たちが求める女性ではない女性を描く

驚きの映画です。今年の夏に見た「セイント・フランシス」もタブー破りの映画でしたが、この映画はタブーでさえないこと、映画にしようなどと誰も考えもしなかったことが描かれています。言葉ではなくです。具体的なシーンとして描写されています。

何かが変わってきています。女性のフィルムメーカーたちが男たちが求める女性ではない女性を描き始めています。

「あのこと」

そうした女性たちに冷水を浴びせかけるような邦題ですね。まさか意図的ではないとは思いますが…。