市子

予告編でうんざりするほど見せられたイチコ、イチコが耳についたのが運のツキ…

上映前(他の映画の…)に流される予告編を幾度も見せられているうちに、イチコ、イチコが耳についてしまい、思わずポチッとしてしまった映画(笑)、というわけでもなく、杉咲花さんと若葉竜也さんの力の入った演技を見てみようということもあります。

市子 / 監督:戸田彬弘

杉咲花さんはいいにしても…

予告編でわかることは、男性がプロポーズした直後に相手の女性が失踪してしまい、探し出そうとするも、その女性「市子」が存在しないという話です。当然映画はその女性の過去に何があるのかを描いていくことになります。

監督は戸田彬弘さんという方です。初めて目にする方ですのでググってみましたら、すでにかなりの本数撮っている監督で驚きました。ウィキペディアには20本くらいリストアップされています。それに演劇からスタートしているとあり、この「市子」も「川辺市子のために」という舞台劇の映画化のようです。

見ている時はそうは思いませんでしたが、言われてみれば舞台劇っぽいところがありますし、舞台劇の方がおもしろくなるような気がします。

映画にはこういうぶつ切れのつくりは向かないですし、なおかつそれが説明的であればなおさら見ようとする集中力が続きません。それに、おおよそ先の予想がつく内容ですので飽きてもきます。

市子に関係する人物の名前をスーパーで表示し、その人物と市子の関係するシーンで市子の過去を明らかにしていく手法をとっていましたが、あまり成功していません。群像劇じゃないですから市子を描くことに軸を絞ればいいわけで、かえって散漫になって集中できません。スクリーンの右下に出していた年数もかえって気が散ります。編集で処理できることだと思います。

俳優で言えば、杉咲花さんは言うまでもなく存在感も力もある方ですので、それを生かすシーンをもっと多くしないともったいないです。

モザイク模様のつくられた物語…

人が突然失踪するとすれば、それはその人にとってその時点での未来が耐え難いものである以外には考えられません。早い話、その時点でのその人に、実務面であるか、精神的であるかはそれぞれにしても何らかの嘘があるということです。

で、この映画の市子の嘘は何だろうと予想したところでは、すでに予告編で市子は存在しないと明らかにしているわけですので成りすましで婚姻届に必要な本人確認ができないということは考えにくく、そうしますと戸籍謄本が取れないことくらいしか思いつかず、おおよそ想像はつくアレかなあと思いながら見ていましたら、割と早い段階でそのアレが明らかにされていました。

市子(杉咲花)は無戸籍状態ということです。

いわゆる「離婚後300日問題」というもので、離婚後300日以内に生まれた子どもは戸籍上は元夫の子どもになるという民法の規定があり(2024年4月から改正される…)、元夫のDVなどの理由で出生届を出さない(出せない…)ケースがあるということです。

ただ、市子の場合は何が理由か語られておらず、DVなのか、単に元夫の子にするのが嫌だったのかよくわかりません。私が聞き漏らしていることもあり得ますが、仮にそうだとしてもちらっとひとこと言っているだけになりますので、そういうところをきっちりしないと話が薄っぺらくなります。母親の仕事を夜の接客商売にしたり、男と言い争って家を飛び出させたりしているだけではステレオタイプを利用しているだけになります。

市子の家族の写真が何度か出てきます。そこには市子と妹と両親が笑顔で並んで写っています。つまり、市子の母親は離婚後にその男と再婚、あるいは同居していたと思われ、妹は月子として出生届を出されています。ただ、月子は2歳(だったと思う…)のときに、筋ジストロフィーを発症し、その後在宅療養となり、市子が高校生の頃には常時酸素を投与しなくてはいけない状態になっています。

ところで、月子が寝たきり状態になり酸素マスクをつけているシーンがありましたが、あれ、ちゃんと医療考証されていますかね。調べていませんのでなんとなくですが違和感がありました。

とにかく映画の物語としては、高校生の市子が月子の酸素マスクを外して命を断ってしまい、その時母親はありがとうと言います。その後、同居の男が月子の遺体を生駒山中に埋めたということです。さらに詳細は省略しますが、その男が市子をレイプしようとしたために市子が男を刺し殺してしまいます。その時たまたま市子に思いを寄せる同級生の秀和(森永悠希)がそれを見ており、秀和はその男の遺体を線路上に置き、自殺に見せかけます。

無茶苦茶物語を作っていますね。物語を作るためにネット上の事件をモザイク模様に当てはめたような話です。

物語に疑問が多すぎる…

というのが市子の過去なんですが、かなり疑問の多い設定です。

映画の時代が行ったり来たりしますので正確には記憶できていませんが、市子は小学生の頃に友だちに月子を名乗ったり、実は市子だよと告白したりしています。その友だちだったか別の友だちだったかが、市子はあるときいなくなってまた戻ってきたなどとも語っていました。それらがどういうことなのかは語られません。そして、高校生の頃に上に書いた月子の殺害があるわけですが、月子の死亡届は出されていないわけですし、同居の男の死亡は事件性を疑われているようでしたので、当然その時、月子の所在を問われたり、それこそ市子にしても母親にしても捜査対象になっているはずです。

それらを突き詰めることなく物語がつくられています。いや、突き詰められているかも知れませんが、それが映画に現れていないということです。

話を最初に戻しますと、市子と暮らしていた義則(若葉竜也)は市子の前に婚姻届を出しプロポーズします。市子は涙を流して喜んでいます。しかし、翌日義則が帰りますと市子がいません。その時、市子はすでに荷造りをして逃げようとしているわけですが、さらに追い打ちをかけるようにテレビが生駒山中で白骨化した死体が見つかったと報じています。それを見た市子は慌ててベランダから飛び降り逃げようとします。後にその白骨は月子のもとと明らかにされます。

この映画の制作者、シナリオも監督もですが、客観的視点を市子に反映させています。映像的には今にも義則が帰ってくるという緊迫感を出しているつもりでしょうが、市子にはそんなことはわかりません。なぜ慌ててベランダから飛び降りなくちゃいけないのでしょう。

こういうことを気にしだすと切りがないシナリオという映画です。刑事(宇野祥平)が捜査で知り得たことをペラペラと義則に話すのもどうかと思いますし、義則を同行して関係者の事情聴取をするというのも理解できません。

市子は悪魔なのか…

で、結局のところ、物語の重要人物が一体誰なのかわからないままに、つまり市子の過去を描こうとしているのに、市子のつらさや苦悩を描くことをせず、ただただつくられた物語が語られていく映画になっています。

つくられた物語で映画を作ろうとせず、直近のデータで3,000人以上いるという無戸籍状態について思うところがあるのであれば、真正面からそれを描くべきだと思います。そうすれば杉咲花さんの市子だって生きた人物として強い力を持ってスクリーンに現れてくるはずです。

まあとにかく、さらに映画は物語をつくっています。突然自殺願望の女性を登場させ、その女性を秀和(男を線路においた男…)の家に向かわせ、ここに来れば死ねる(だったか…)と聞きましたとか言わせ、そこに市子に電話をさせ、ふたりを海に呼び出して、二人を車で海に突き落としていました(シーンはないがそういうことだと思う…)。

市子は悪魔か? で映画は終わっていました。なに、この映画?

杉咲花さんを見るくらいの軽い気持ちで見ればなんとか許容できる(かもしれない…)映画かと思います。