すべてが変わった日

Let him go はアメリカ社会の裏の一面かも

ラリー・ワトソン(Larry Watson)さんという作家の同名タイトル「Let him go」という小説が原作らしく、その小説の時代設定は1951年であるところを映画では1963年にしています。

なぜこんなに中途半端に時代をずらしたのでしょう。

アメリカ人にとっては、その10年の違いにもなにか意味があるのかも知れませんが、映画自体には70年前であるにしろ60年前であるにしろ、ノスタルジーを売りにしようとしているところは感じられません。

であるなら、いっそのこと現代の話にしてしまったほうが面白くなったのではないかと感じた内容の映画です。半世紀前のサイコものにしては怖さが中途半端ですし、あるいはふたりの女性、マーガレットとブランチを対比させようとしたという意図があるのだとすれば、余計に現代の話にすべきだったと思います。

すべてが変わった日

すべてが変わった日 / 監督:トーマス・ベズーチャ

焦点定まらず

映画としてはうまくできていますし、どうなるんだろう?と興味をそそられもしますが、結局そのまま最後までズルズルといってしまいます。

面白くなりそうな話なのにとにかく消化不良の感が免れません。

サイコスリラーか?

思わせぶりなところが多く、スパッとサイコスリラーでいこうと思いきれていないのかもしれません。いや、そもそもサイコものじゃないのでしょう。

ブランチ一家は不気味ですし、むちゃくちゃ怖いです。マーガレット(ダイアン・レイン)とジョージ(ケビン・コスナー)が訪ねたときにはなにが起きるかとドキドキします。ビルという男(いとこ?)もニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべて何をするかわからない感じが不安を誘います。

ただ、ブランチ(レスリー・マンヴィル)は確かに強面ではあるのですが、初対面のマーガレットとジョージに対していきなり自分の出自を、あたかも同情して欲しいかのように滔々と語ります。

私はもともとイリノイ生まれで、8人兄弟姉妹がいたけれども皆死んだ。誰々は肺炎で、誰々は池に落ちて、誰々は凍死し、誰々は車から落ちて死んだ。苦しい生活だった。他の兄弟姉妹は皆出ていった。だが、私は残った。

私はヘンリー・ウィーボーイと結婚した。彼はしきりにフロリダへ行くと言っていたが、結局、今は皆と一緒に墓に眠っている。そして今、私はこのノースダコタに4世代の(違うかも)ウィーボーイ一族とともに住み着いている。

こんな感じです。マーガレットに、ジョージではなくマーガレットに喧嘩を売っているんだと思いますが、サイコものでしたらいきなり自分のことをあからさまに語ったりはしないでしょう。

マーガレット対ブランチ

やはりマーガレットとブランチを対比させることが主題なのかもしれません。

ただ、何を対比させようとしたのかがよくわかりません。考え得るのは、(マーガレットに)あんたは男が後ろにいることで威勢を張っているが自分は女手ひとつでウィーボーイ家を守ってきたみたいなことくらいです。

ただ、マーガレットの場合もみんな男は行っちゃうんですね。

Let him go

原題の「Let him go」は「彼を行かせてあげて」とか「彼を行かせた」とかのニュアンスなんでしょうか。

とにかく男たちはみんな死んでいきます。

フラッシュバックで大切な馬(雄かどうかは?)を安楽死させるシーンがあります。息子のジェームスは落馬して死んでしまいます。

このふたつになにか深い意味があるように感じながら見ていたんですが何もなかったですね。落馬して首の骨を折って死ぬってのはどうも納得がいきません。

きっと何か隠されたなにかオチがあります(笑)。

とにかく、ジョージも死にます。

さらに、ウィーボーイ家も全滅です。ブランチも含めて皆死に、そして家ごと焼け落ちます。

親子同居の違和感

男系家族の崩壊です。ん? 孫のジミーの取り合いだから逆か? 

それにしても、アメリカ映画で二世代、三世代が同居というのは始めてみたような気がします。

マーガレットとジョージ夫婦は、息子ジェームスとローナ夫婦に子どもが生まれても同居しています。マーガレットが一家を仕切っているように描かれており、息子の妻ローナはいわゆる嫁扱いでマーガレットが子育てにも手を出しています。

ブランチ一家も、息子たちと同居していますし、息子のドニーと結婚したローナを自分のもとに呼び寄せています。孫のジミーが欲しかったということでしょう。

時代ということなのか、アメリカでも地方ではそうなのか、生活環境が過酷からなのか、女権を強調するための映画的処理なのか、とにかく不思議な感じがします。

結局、マーガレットとブランチの孫の取り合いがテーマというのが正解かもしれません。

ケビン・コスナー

夫のジョージは元保安官という設定なんですが、まったくいいところがみせられません。というより、そういうジョージを見せる映画なんでしょう。

アメリカ映画らしくないですね。

ケビン・コスナーさんって、私にはミスター・アメリカという印象なんですが、それでもマッチョさはないです。

とりとめのないレビュー

見たのが1週間ほど前ということもあり、とりとめのないレビューになってしまいました。

映画自体がとりとめがないということでしょう。邦題の「すべてが変わった日」なんていう、まさしくとりとめのないタイトルがそれを現している映画です。

ところで、監督のトーマス・ベズーチャさんは「ガーンジー島の読書会の秘密」の脚本にも加わっている方でした。それがこの映画を見ようと思った理由のひとつでもあります。

よくできた映画でした。