結局、ナタリー・ポートマン対ジュリアン・ムーアかい…
「メイ・ディセンバー」というのは年齢差のある恋愛関係を意味するスラングらしいです。「メイ」は5月の若さにたとえられ、「ディセンバー」は12月の老いにたとえられるとのことです。
好奇の目を避けるための構想だったが…
「キャロル」「ワンダーストラック」「ダーク・ウォーターズ 巨大企業が恐れた男」のトッド・ヘインズ監督、なぜこんな題材を選んだんですかね。きっと本人の企画ではなくオファーなんでしょう。
36歳の女性が13歳の少年と性的関係を持ったために逮捕され、実刑となり、女性は獄中でその少年との子どもを出産し、そして出所後に結婚したという話です。何をどう描いても好奇の目を避けることはできない題材です。
と思いましたら、さすがと言いますか、うまいこと下世話になりそうなところ避けて作られていました。ただ、脚本のサミー・バーチさんと夫で映画監督のアレックス・メヒャニクさんによる原案(原作?…)があるそうですので、どこまでトッド・ヘインズ監督の意思が反映されているかはわかりません。
好奇の目を避けるとはどういう仕掛けかと言いますと、事件そのものを描かないことです。
事件から23年後、59歳のグレーシー(ジュリアン・ムーア)と36歳のジョー(チャールズ・メルトン)は結婚し、双子の子どもとともに幸せ(ごく一般的な意味合いで…)に暮らしています。そこに事件の映画化の話が持ち上がり、グレーシーを演じることになった俳優エリザベス(ナタリー・ポートマン)がリサーチのためにふたりの元を訪れるという映画です。
当然、ふたりだけではなく周囲にも波風が立ちますのでそれによってふたりの関係を浮かび上がらせようという趣旨のようです。
やっぱり、無理だった…
で、成功しているかと言いますと、結局、無理なことをやろうとしても所詮無理ということです。
まずひとつは人間関係を描く場合に多様な方法はないということです。直接当事者を描かなければ何も見えてこないですし、好奇の目を向けられる覚悟で正面突破しか本質に近づく方法はありません。とは言っても、この事件の場合、仮にそうしようとしたところで愛があったかどうかなんて切り口は不毛だと思いますけどね。
そしてもうひとつ、俳優が実在の人物を演じるために本人をリサーチすることがあるのだろうかということは置いておいても、この映画のエリザベスの行動はまるでルポを書こうとしているジャーナリストのようです。グレーシーを演じるためのリサーチには見えません。
それに、グレーシーもエリザベスのリサーチをどう思っているのかが曖昧すぎます。グレーシーは、私は恥じることはしていないのだからあなたが何を調べようと自由よと突き放しているように見えます。もちろんその強さは表向きのものという描き方ではありますが、そこまでで終わっていますので、グレーシーの苦悩や迷いも想像の範囲内のものでしかありません。
結局、この映画は事件そのものの映画ではなく、ナタリー・ポートマン対ジュリアン・ムーアの、それこそ下世話な言葉を使えば、女優対決の映画になってしまったということです。
ああ、女優という言葉を使わないように心がけているのに使ってしまった(涙)。
結局、ナタリー・ポートマン対ジュリアン・ムーア…
でも、これがそもそものこの映画の企画のポイントかもしれませんね。
で、あえてそれに乗ればですが、俳優としての存在感という意味では圧倒的にジュリアン・ムーアのほうが勝っています。そういう構造の映画だということです。
すでに書きましたようにエリザベスはジャーナリストのような描き方になっていますからポートマンさんも存在感の発揮しようがありません。ノートを持ってメモするシーンまであるような役です。
その点、ムーアさんの方は圧倒的に有利です。なにせ何を考えているかわからない人物を演じればいいわけですから、俳優としては楽しいばかりでしょう。
とまあ、率直なところ、どうでもいい映画ですが(ゴメン…)、それにしても、エリザベスが自ら誘ってジョーと性的関係を持つってのはどういう意図なんでしょう。映画の中でもあのシーンは浮いていました。
もうひとつ、ラストシーンは映画の撮影シーンになり、エリザベスが相手役の少年を誘惑するシーンを何テークも繰り返していました。それも蛇を使ってです。
何テークも繰り返すことで終えているのは、まあ、この事件、やっぱりわからないなあということかと思います。
『禁じられた愛: それは愛なのか、それともレイプだったのか』
実際の事件の当事者たちが本を出しているようです。メアリー・ケイ・ルトーノー、ヴィリ・フアラアウ著となっています。
『禁じられた愛: それは愛なのか、それともレイプだったのか』
一体どういう事件だったのか、ウィキペディアを読んでみましたら映画の設定どころの話ではないですね。
メアリー・ケイ・ルトーノー(Mary Kay Letourneau 1962-2020)は教師であり、34歳のときに教え子の小学6年の少年と性的関係を持ち、未成年への強姦罪で逮捕され、判決を待つ裁判中に少年との一人目の子どもを出産しています。
裁判は、7年6ヶ月の求刑に対して、3ヶ月の執行猶予つき6ヶ月の懲役と少年との接触禁止を条件に司法取引が成立しています。
ところが、3ヶ月後に警察が車の中のルトーノーと少年を発見し、裁判所は求刑どおり7年6ヶ月の懲役を言い渡しています。
そして、収監8ヶ月後に少年との二人目の子どもを出産しています。
その後、ルトーノーは2004年に出所し、2005年5月に少年と結婚しています。結婚生活は2019年に別居するまで14年間続いています。
ウィキペディアにはかなり詳しく書かれています。興味があればどうぞ。
2006年のケイト・ブランシェットさんの「あるスキャンダルの覚え書き」もこの事件を題材にした映画らしいです。