ジェシカも話も現実的なのに物語は不可解な映画
「ブンミおじさんの森」以来のアピチャッポン・ウィーラセタクン監督です。相変わらずの誘眠(催眠)映画でした。
予想に反してかなりリアルな世界
「ブンミおじさんの森」しか見ていない上に細かいところはほとんど記憶していないのですが、割と強く残っている印象で言えばとても神秘的な映画だったと思います。それに比べますとこの映画は神秘性が消えちゃっているように感じます。
物語についてはほとんど説明がありませんので正確なところはよくわかりませんが、まず、ジェシカ(ティルダ・スウィントン)が「ドーン!」という音で目覚めます。初めてのことではないようですし、他の人にはその音は聞こえないようです。ジェシカはコロンビアのメデジンで植物関係の何か(後の冷蔵庫の話からすれば花卉栽培か?)をしているようです。このファーストシーンがどこなのかははっきりしません。
ジェシカは入院中の妹を訪ねてボゴタに来ています。眠る妹をじっと見つめているシーンがあります。
ジェシカは(多分ボゴタで)音の正体を確かめようと(だと思う)エルナンという音響技術者を訪ねます。エルナンはジェシカに様々な効果音を聞かせてその音を再現しようとします。
後日、エルナンが再現した音を聞かせてくれます。ジェシカはこの音だと言っています。その後ふたりは大型冷蔵庫を見に行き、ジェシカが金額があわず買えないと言いますと、エルナンは自分が出資しようといいます。ジェシカは何も答えません。
妹(退院したのでしょう)夫婦と食事をします。その間もジェシカは「ドーン!」という音に悩まされています。ジェシカが亡くなった知り合いの話を持ち出しますと妹夫婦はその人は亡くなっていないと言います(逆だったかも)。
再び、エルナンを訪ねますが、そんな人物はいないと言われます。
ジェシカは考古学者と会います。考古学者は発掘された骨の前でおよそ6000年前の少女の骨だと言います。ジェシカは発掘現場を見学しているうちに奥地に迷い込みます。魚(干してありましたので食用の干物でしょう)の鱗を取る男と出会います。男は自分はすべてを記憶していると語り、エルナンと名乗ります。また、男は自分は眠らないと言い、眠るとどうなるのかと聞かれ、「死」と答えます。ジェシカが眠ってみてと言いますと、やや戸惑いつつ男は眠ります。まるで死んでいるようです。やがて男が目覚めます。
小屋の中でふたりで自家製の酒を飲んだりしていますと、「ドーン!」と音がします。ジェシカが窓から外を見ますと、緑色の宇宙船が飛び去り、その波動の音が響き、輪っか(波動の視覚的なもの)が残っています。
という、話は不可解であっても全体としてはかなりリアルな話だと思います。
画に神秘さはなく現実的
話自体は現実的ではありません。しかし、画が現実的です。
ファーストシーン、カーテン越しにやや明るくなっていますので早朝でしょう。「ドーン!」と音がしますがそのままです。しばらくするとジェシカの起き上がる姿がシルエットで入ってきます。カメラがゆっくりパンしていき、鏡に映るジェシカ、そしてガラス戸(だったと思う)を開けるジェシカと続きます。おそらくメデジンの自宅ですね。
各カットの間合いは長く、かなり引いたフィックスで統一されています。カメラが移動するのは最初のシーンとエルナンとふたりで歩く街のシーンくらいだったと思います。各カット、とにかくきっちりした感じがしますし、妹の病室も現実的ですし、エルナンの音響調整室やその建物などは機能的な空間です。後半の魚のエルナンとのシーンは話の内容はスピリチュアルですが、周りの自然はかなり現実的で自然音がしっくりきています。
ジェシカの存在が現実的
ジェシカの行動が現実的です。「ドーン!」という音に恐れを感じているようにはみえませんし、実際、それに対してとる行動がその音を再現するために音響技術者を訪ねるというのはよくわかりません。再現しようとするということは客体化しようとすることですので神秘的にはなりようがありません。
ジェシカのアップもありませんのであまり表情は読めませんが、不可解なものへの恐れは感じられず、もうすでに受け入れているようなところがあります。受け入れるということは共生ですので、これまた神秘性は生まれてきません。
魚のエルナンも自分はハードディスクみたいなものだと言っていました(笑)。記憶媒体ということなんでしょう。
とにかく現実的なのに不可解という映画です。
この映画はなんなのか?
誘眠映画とは言いながら一度も落ちてはいません。最後まできっちり見ています。ただ、連続した思考を妨げるような映画ですのであまり正確には記憶できていませんし、なにか強く訴えてくるような映画ではありません。
結局、タイトルも「MEMORIA」ですし、魚のエルナンとの会話から考えれば、この世界のあらゆるものには記憶が残っている(宿っている)ということなんだろうと思います。
ただ、記憶って人間の観念ですからね。それに舞台がコロンビアですので、どうしてもガブリル・ガルシア=マルケスさんの『百年の孤独』が浮かんでしまいます。