旅と日々

つげ義春さんの原作を女性視点に変えてしまってはダメじゃないの…

今年2025年のロカルノ国際映画祭で金豹賞を受賞した三宅唱監督「旅の日々」です。日本映画では16年ぶりということですので小林政広監督「愛の予感」以来ということです。

旅と日々 / 監督:三宅唱

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ネタバレあらすじ

つげ義春さんの『海辺の叙景』と『ほんやら洞のべんさん』を原作としているとのことです。映画のつくりが前半と後半に分かれているのはそのためですね。

そのふたつをつなぐ軸として脚本家の李(シム・ウンギョン)を登場させ、前半に劇中映画として『海辺の叙景』を原作とした李の脚本の映画を上映し、後半にその李が次の脚本に行き詰まって旅をするということで『ほんやら洞のべんさん』を使っています。

その無理矢理感が気になって仕方ない映画です。

前半の『海辺の叙景』原作パートの映画は映画学校の学生対象の上映会で、その際学生からの質問に李は「私には才能がないな、と思いました」と答えます。行き詰まりを感じて後半に旅をさせるための振りです。

さらに李に旅をさせるためのきっかけに立ち位置のよくわからない双子の教授(佐野史郎)を出して、迷いがあるなら旅をしたらどうだと言わせて、その後突然死させ、その兄弟(二役)がこれもよくわからないままに李にカメラを持っていけと無理やり渡しています。李は再三いらないと言っているのに持たされます。映画後半で使うためです。

というかなりあざとい構成がされています。

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海辺の叙景

つげ義春さんの『海辺の情景』を知りませんので、今ウィキペディアを読んだ限りの話です。そのあらすじを読みますと物語の流れはかなり忠実につくられていますが、決定的に違うのは原作は視点が男の側のものなのに映画では女(河合優実)の視点でつくられていることです。

これは李の脚本としている以上やむを得ないでしょう。

渚(河合優実)が車の後部座席で目を覚ますところから始まります。しばらくして男が運転席に座り車を走らせます。この男が何者かは一切語られません。

そして、房総の海、夏男(高田万作)が浜辺で座っていますと見知らぬ女性から写真を撮っていいかと声を掛けられ、戸惑うことなくうなずいています。

渚がその浜辺にやってきます。なんとなくぶらぶらと散策し、夏男に気が付き声を掛けます。

これ以降はウィキペディアにあるあらすじのように進みます。ただ、すでに言いましたように映画は渚視点です。おそらく原作には男視点で少女に対する淡い恋心のようなものがあるのだと思いますが、映画にはそうした男視点のものはなく、また渚も夏男を男としてみている感じはしません。

三宅唱監督が河合優実さんを男目線で見ている画が続くだけです。

この前半を見ていて思うことはそれともう一点、あの荒れた海でどうやって撮ったんだろう、水中にダイバーを入れているのかなあとか、そんな撮影上の気がかりだけの前半です。

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ほんやら洞のべんさん

という、前半の映画があり、学生の質問があり、教授が旅に行けと言い、そして死に、その兄弟からカメラをもらい、李は東北へ旅に出ます。

「トンネルを抜けると雪国であった」という流れで李は東北の温泉町に降り立ちます。しばらく散策した後、宿を探しますがどこも満室で泊まるところがありません。この山の向こうに一軒あると教わり雪の中を向かいます。

そこは旅館とも言えないただの山中の一軒家です。べん造(堤真一)がひとりで暮らしており、囲炉裏を挟んでべん造の大いびきに悩まされながら寝るだけの宿です。

それでも翌朝の朝ご飯はかまどで炊いたご飯に焼き魚に味噌汁に梅干しが出されます。

徐々に会話も成り立ち、べん造は李が脚本家であることを知りますと、何を書いている、テーマは何だなどと興味があるらしく、ここを題材にしたらどうかなどと話しかけてきます。

意外にも李はこの宿が気にったのでしょう、連泊し、ある夜、李はべん造が飼っている鯉を目にしたことから鯉の養殖をしたらどうかとの話になり、じゃあ今から出掛けるかと夜中に雪の中二人で山を下りて麓の温泉宿に向かいます。

べん造はある宿屋の庭に入り、その池から鯉を盗もうとします。李はそれは泥棒ですよと言いながらもさほど危機感もなさそうです。男の子がやってきます。べん造は元気かと言い、おかあには言うなよと言い、抱くかと両手を広げますが、その子は首を振り家に入っていきます。

べん造の元妻がやっている旅館ということです。

二人は金色の鯉を盗み戻ります。その途中、李がカメラを落としてきたと言います。べん造はそんなもの春まで見つからんと素っ気なく言います。そして、二人が戻ってみれば、持ち去った金色の鯉は凍ってしまっています。

明け方、パトカーのサイレンが近づいてきます。鯉を盗んだ先、べん造の元妻の旅館ではカメラが落ちていたと騒ぎになり鯉が盗まれたことに気づき、子どもの話からべん造の仕業とわかったということでしょう。

警官もよく知ったものでとてもフレンドリーです。その一人がべん造の額に手を置き、ひどい熱と言い、病院に行くかと聞き、答えなど待たずにべん造をパトカーに乗せて行ってしまいます。

ひとり残された李はノートに向かってなにか書き始めています。

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感想、考察:そもそも無理が…

見るべきところも多いのですが、映画としてはまとまりを欠いています。

特に前半が散漫で意味不明です。つげ義春さんの作品を原作にしているのに女性視点に変えているのがそもそもの間違いです。すでに書きましたが、そのせいで前半は三宅唱監督が河合優実さんを男目線で見ている画にしか見えません。

後半はそれなりにおもしろいのですが、そもそもの脚本家が行き詰まって旅をするという設定がありきたり過ぎます。

『海辺の叙景』『ほんやら洞のべんさん』ともに、もし映画化するのであればそれぞれ別の構想をねるべきだと思います。

三宅唱監督の映画は「Playback」「きみの鳥はうたえる」「ケイコ 目を澄ませて」「夜明けのすべて」と見てきていますが、文句なくいいと思ったのは「夜明けのすべて」だけです。