これはドキュメンタリーか、テレビ番組か…
6300キロにおよぶ長江を上海からその源流のチベット高原までたどる映画です。監督の竹内亮さんは2011年にNHKで「長江 天と地の大紀行」という番組を撮っていますので「再会長江」というタイトルになっているのだと思います。
「世界ウルルン滞在記」を見ているつもりなら…
劇場版となっているのは、昨年2023年の5月に角川シネマ有楽町で「竹内亮ドキュメンタリーウィーク」という企画上映の1本として上映されているからなんでしょうか。時間が20分ほど短くなっているようです。竹内監督は、現在中国(南京かな…)在住で、2014年に「和之夢文化伝播有限会社」という映像制作会社を立ち上げたとあります。多分、この企画上映はその会社の自主企画でしょう。
映画は長江の源流をたどりつつ、10年前に出会った人々を訪ねていくという内容になっています。そして、10年前には果たせなかったチベット高原の氷河、それが長江の最初の一滴ということで、その画を撮ることももうひとつの目的という映画です。
こんなようなテレビ番組がありましたね。タレントが過去に番組企画でホームステイした地を再度訪ねるという番組、なんでしたっけ? と思い出せなく、あれこれ検索ワードを入れてググりました。
「世界ウルルン滞在記」でした。なにせテレビ番組ですので必ず感動場面があったように思います。この映画も似たような感じです。ですので、「世界ウルルン滞在記」を見ているようなつもりであれば楽しめる映画だと思います。
別に批判しようとして言っているわけではないです(笑)。企画としてはユニークというわけではないというだけです。実際、映像の中で人が感動していれば見ているこちら側にも伝わってきますし、気持ちうるっとしたりもします。
それに川の源流をたどるという企画もテレビ的といえばテレビ的です。
ツームーは夢を叶えたのか…
テレビ的じゃいけないのかと言われそうですが、いけません(笑)。
わざわざ足を運ぶわけですから、何をしたいのか、何を撮りたいのかが伝わってこなければその甲斐がありません。それに一番必要なのは新鮮さでしょう。その点では、この映画、内容も内容ですが、映像としても特別新鮮な印象を受けるものもありません。
映像で勝負しようという意図もないんじゃないでしょうか。もちろん長江ですからその広大さは感じられますが、もうすでに多くの映像が出ていますので、やはり風景のすごさだけでは強く訴えてくるものもありません。ドキュメンタリーと銘打つからには、画につくり手の気持ちが現れてこないと単に風景映像になってしまいます。
上海、南京、武漢、重慶、雲南、チベット高原とめぐるわけですが、映画が見せようとしているのは人との出会いであり、10年前に出会った人がどう変わっているかです。
三峡ダムで貨物船を運行している船長さん、今では貨物船も増えて出港までに3日も待たなくてちゃならないと言っていました。
重慶でバンバン(棒棒)をやっている71歳(だったと思う…)のおじさん(おじいさんと言ってもいい年齢…)とは再会ではありませんが、時代の流れでこの仕事もまもなくなくなると言っていました。
場所がどこであったかは記憶していませんが、10年前にはまだ子どもで軍隊に入るのが夢だと言っていた少女、理由は貧しさから抜け出すためなんですが、残念ながらそれは叶わず、今は結婚して子どももでき夫婦そろってどこかに出稼ぎに出ていると言っていました。
少数民族のモソ族の女性は再会ではなかったかもしれません。モソ族というのは母系社会らしいのですが、映画が撮っているのはその表層だけで、通い婚がどうこうにしかこだわっていません。そもそも女性ばかりが登場し、男性の姿がまったく見えません。こういうところがとてもテレビ番組的で、撮り方も実に男目線の撮り方です。一体どういう社会なのかということがまったく見えてきません。
そして映画がクライマックス的にとらえているのがチベット族の女性ツームーとの再会です。10年前、ツームーは子羊を抱えて観光客に一緒に写真を撮りませんかと言い、わずかなお金を稼いでいたのですが、今はペンションのオーナーです。当時は引っ込み思案であったのが今では行動的な女性に変身したと映画は言っています。
今の中国の政権にしてみれば成功事例として喧伝したい典型でしょう。ましてやツームーのこの成功(かどうかは置いておくとして…)のきっかけが10年前に竹内亮監督がツームーを上海へ連れて行ったことにあるわけです。
能天気さに気づかない能天気さ…
この映画で一番印象に残っているのは、竹内亮監督がツームーに、実はあの上海行きについてはカメラクルーの何とかさん(名前を記憶していないので以下カメラさん…)と大喧嘩をしたと語ったことです。
竹内監督がツームーを上海へ連れて行くことを主張し、カメラさんが反対したという構図です。カメラさんが反対した理由について映画の中でわかることは、ツームーはその村から出たことはないのに上海という大都会を見せることはよくないということでした。その意味合いを正確に知ることはできませんが、少なくともカメラさんはツームーにとって何がいいかという視点で判断しようとしています。
それに対して、竹内監督が何を考えていたのかは想像の範囲でしかありませんが、おそらくツームーの驚きの表情がテレビ番組的に効果的であり視聴者の関心を引くことができると考えたのではないかと思います。
実際、10年前、ツームーが上海のホテルに入り、部屋にトイレがあることに驚く映像が入っています。おそらく他にもたくさん映像はあるのでしょうが、現在ツームーがペンションを経営し、その部屋にはトイレが完備されていることの関連で使われたのだと思います。
そして、現在、竹内監督は現在のツームーを見て、自分の判断によって夢を叶えた人間がここにいると破顔一笑の表情を見せるのです。
ちょっとうがった見方過ぎるかもしれませんが、「世界ウルルン滞在記」をドキュメンタリーとは言わないようにこの映画をドキュメンタリーというのはちょっと無理かと思います。