夜明けのすべて

三宅唱監督のうまさと、上白石萌音さん松村北斗さんの俳優力…

三宅唱監督の映画は過去に「Playback」「きみの鳥はうたえる」「ケイコ 目を澄ませて」と3本見ていますが、どれもあまりいいことは書いておらず、「ケイコ 目を澄ませて」にいたっては、いい映画と言いながらもったいないもったいないと書いています(ゴメン…)。

しかし、この「夜明けのすべて」はいいことしか書いていません(笑)。三宅唱脚本監督のうまさが光る映画でした。

夜明けのすべて / 監督:三宅唱

言葉でつたえる、画でつたえる…

映画は基本的には物語を語ること(語らないことも含めて…)ですので、まずは物語のベースとなっている設定や構造を伝えなければ、そこから生まれる様々なもの、つまりはその映画の主題となるものを伝えることが出来ません。

ベストは事前に何も知らなくても見ていれば自然とわかってくることかと思いますが、なかなか難しいことで、どうしても言葉で説明せざるを得なくなり、登場人物が自分の過去を語ったり、会話形式にして、ああだったね、こうだったねと物語の設定を説明したりします。ひどいケースになりますと、主要な人物でもない脇役が飲みながら噂話をして説明するなんて映画もあります。

この映画はその点を明確に切り分けて成功しています。

藤沢(上白石萌音)はPMSという疾患を抱えています。このPMS、私も知りませんでしたが、月経前症候群という疾患で、よく言われるような月経で不調になるというものではないとのことです。映画では、藤沢が自分では抑えきれないイライラ感で周りに当たり散らすといった症状で描かれていました。もちろん誰もがそうであるわけではなく、それぞれ程度や期間も人によって違うそうです。

冒頭、そのPMSを藤沢のナレーションとともに、職場の上司への八つ当たりとも取れるような怒りのシーンで一気に見せています。雨の中、バス停で動けなくなり、警官にまで八つ当たりして保護されるというシーンで症状の酷さを描いていました。

時間にして10分もなかったんじゃないでしょうか。上白石萌音さんのうまさもありますが、それだけでPMSのつらさを一気に伝えきっています。うまく言葉が使われています。

5年後、藤沢は子ども向けの教材玩具を扱う会社で働いています。そこには同僚であり、やや後輩でもある山添(松村北斗)がいます。山添はパニック障害を抱えているという設定なんですが、こちらは藤沢の場合とは違い、一切言葉を使わずにそれを描いています。

まず、山添のやる気のなさを見せます。周りの者がそのことを気にする様子はありません。かなりフレンドリーな職場のようです。その後、山添が以前の会社の上司辻本(渋川清彦)とビデオ通話で話すシーンを挿入しています。その会社はそれなりの規模の会社であり、辻本は山添が会社に戻れるよう努力していると話しています。

突然、自助グループのミーティングシーンが入ります。そこにはその辻本や、藤沢と山添が働く会社の社長栗田(光石研)がいます。栗田が会社を一緒にやってきた弟を亡くして今でも後悔していると語ります。辻本が語った心の傷は忘れてしまいましたが、このシーンで山添が栗田の会社で働いているわけがわかります。さらに亡くなった弟の存在が後半になり物語の展開に重要な役割を果たすことになります。

そして、これまた突然に、山添が心療内科の診療を受けているシーンが入ります。女性が付き添っています。その様子から、おそらく前の会社の同僚でありプライベートな関係もあるんだろうと想像させます。医師がパニック障害について説明しています。医師の質問に山添は特に変わったことはないと答えています。しかし、その帰り、山添は電車に乗ることが出来ません。

この医師のシーンはちょっと説明的でしたが、それでもまったく言葉を使うことなく画によって山添という人物の背景を描いています。

シナリオがよく出来ていますし、うまいです。

恋愛ものにしないうまさ…

そして、そのうまさがさらに上白石萌音さんによって生かされます。

山添に発作が起きます。山添が落としたのでしょう、藤沢がたまたま拾った薬を飲ませておさまります。このとき、会社の仲間たちが皆そのことを知って受け入れていることがわかります。

すでにこの前には藤沢がPMSを発症して山添に当たるシーンがあり、そこでも仲間たちが同様に対応しています。冒頭の前の会社のシーンもそうですが、上白石萌音さんの八つ当たりのうまいことといったらありません(笑)。

フレンドリーな会社というのは、弟を失った栗田がその後悔から心に傷のある者を積極的に受け入れようということから生まれた職場環境ということです。それに、中学生ふたりがドキュメンタリーを撮っているということで社員たちにインタビューするシーンを数シーン入れています。入れ方としては唐突なんですが、まったく違和感なく自然に流れていきます。男の子のほうかと思いますが、社員である女性の子どもだと言っていました。

ちょっとだけツッコミを入れておきますと(笑)、藤沢は山添のパニック障害のことを知らないことになっていますが、先輩である藤沢がそのことを聞いていないというのはないでしょう。

山添がパニック障害を持っていることを知った藤沢は積極的に山添に近づきます。近づくという言葉しか思いつきませんでしたのでそう書きましたが、この藤沢の山添への対し方がこの映画の肝だと思います。

上白石萌音さんがとにかくうまいんです。松村北斗さんとの間合いがいいこともありますが、とにかくお節介と思いやりの混じり合った行動が、一切、恋愛であるとか友情であるとかの感情を感じさせないのです。

いきなり自転車を持っていったり、やったこともないのに髪を切ろうかと言って失敗したり、頼まれてもいないのに食べ物を持っていったり、それに山添と付き合っていたと思われる女性との対し方も、あるいはと思っているであろう女性の気持ちをさらりとかわしています(ちょっとやり過ぎか…)。

山添が変わっていきます。自分の診療の際にPMSについて医師に尋ねたり、本を借りで読んだりします。そして、藤沢にPMSの予兆が出れば、外に連れ出してそのイライラ感を吐き出させようとします。また、藤沢がPMSで早退したときには、置きっぱなしにされていた携帯や荷物を藤沢がくれた自転車で届けたりします。

ふたりの関係が恋愛になることはありません。友情であるかもわかりません。ただちょっとだけ相手の気持を理解してみようと思っただけにもみえます。

きっとこれがこの映画の伝えたかったことでしょう。

藤沢には離れて暮らす母親がいます。一切説明的なものはなく、多分脳卒中か何かで倒れたんだと思いますが、その母親が介護の必要な状態に陥ります。後半になりますと、藤沢は実家に帰るために転職を考え始め、そしてラストでは会社を退職していきます。

ふたりの別れのシーンもあえて入れないでいるのだと思います。

この映画、あまり目立たないところにもかなり気が使われています。冒頭のシーンで藤沢が警察に保護されて母親が呼ばれて書類に署名をするシーンがあります。母親がペンを落とします。ん? 撮り直さないということは…と記憶に残っていたのですが、母親が倒れることの前ぶりだったんでしょう。

ここでもうひとつツッコミを、実家は母親が警察に呼び出されてすぐに来られる距離ってこと?(笑)

物語はファンタジー…

という映画ですが、これだけでは映画としてドラマが足りません。

プラネタリウムが使われています。ふたりが働く会社は子ども向けの教材玩具を扱っています。映画中頃から移動式のプラネタリムの話題が出始め、その解説原稿をふたりで作り、藤沢がそれを読むことになります。

その過程でふたりがより親密に話をするようになるわけですが、そこに栗田の弟の話が絡んできます。これもなにも説明されませんが、栗田は兄弟で新しいことを始めていこうと頑張っていたのかも知れません。そのひとつとして移動式プラネタリウムがあったのでしょう。弟が解説文を考え、録音したカセットテープが残されています。後半になり、山添と栗田が倉庫からあったあったなどと言ってなにかを引っ張り出してきます。この解説文のカセットテープでした。

そして、ほぼラストシーン、会社としてのプロモーションなんでしょう、移動式プラネタリウムのイベントが開かれます。山添の元上司や同僚たちも来ています。藤沢が誘った転職アドバイザーも来ています。ああ、見落としていますが、あの転職アドバイザーは子どもを連れてきていたかも知れません。藤沢との面談のシーンで、子どもからだからと申し訳なさそうに電話に出ていました。もしそうだとしたら、細かい…(笑)。

藤沢が、皆さん目をつむってくださいと言い、そして、前説後に開けてくださいと言いますと皆からわーと静かな歓声が上がります。プラネタリウムの天体を見せるのかと思いましたが、観客のざわつきを撮っていました。プラネタリウムの宇宙を見たいところですが何らかのこだわりがあるのでしょう。ベタな盛り上げを避けたのかも知れません。

藤沢の解説が入ります。

この解説原稿は同僚の山添とつくりました。最後をどうやって締めるかに迷っている時、社長の弟さんの解説が残されていることを知りました。そこにはこんなことが書かれています。夜明け前が一番暗い…(こんな感じでしたが、あとは忘れました…)。

山添はこのまま栗田の会社で働くことにしたと言っています。藤沢は実家に帰り、働きながら母親を介護しています。

という、いい人しか出てこない映画です。その点ではファンタジーです。こんな人間関係、そうは持てないでしょうし、こんな会社、そうはないでしょう。それに許容範囲ぎりぎり(私には…)ではありますが、たとえば、ドキュメンタリーを撮っている子どものキャスティングにしても、また、エンドロールにまで栗田の会社のフレンドリーさを見せつけていることにしてもかなり作り込まれている映画ではあります。

でも、この映画を見てちょっとだけでも楽になれる人がいるかも知れず、それはそれでとてもいいことだと思います。