緯度と理屈っぽさは比例する?スペイン映画なら笑ってすますのに…
すでにハリウッドでのリメイクも決まっているとのこと、この映画は間違いなくハリウッド向きですね。
こんな個的なテーマを、こんな偉そうに上から目線でやられた日にゃ、たまったものじゃありません。
その辺、ハリウッドはうまいもので、個人の尊厳を脅かすようなテーマを直接的には描きませんし、ちょっと穿った言い方をすれば、父権を否定するような映画はつくらないでしょう(笑)。もっとエンタテイメント性豊かなものに仕上げ、見やすいものになるだろうということです。
フランスの高級リゾートにスキー・バカンスにやってきたスウェーデン人一家。
スマートなビジネスマンのトマス、美しい妻エバ、愛らしい娘のヴェラと息子のハリー。普段仕事に忙しいトマスは、たまに取った休暇で高級リゾートを奮発し、ここぞとばかり家族サービスに精を出す。バカンス2日目。たっぷりとスキーを楽しみ、陽が輝く絶景のテラスレストランで昼食をとっている最中、いきなり爆発音が鳴り響き、彼らの目の前の斜面で雪崩が発生する。それはスキー場の安全確保のため、人工的に起こした雪崩であった。トマスや他のスキー客たちは、ダイナミックな光景に面白がってカメラを向けるが、エバは何かがおかしいことに気づく。果たして、雪崩は予想外に勢いを増し、テラスめがけて向かってきた。
真っ白な雪の煙がだんだんと晴れていく。幸い大事には至らず、人々は再び笑いと活気を取り戻すが、雪崩の瞬間、トマスが見せた“期待はずれの行動”は、エバと子供たちを大いにガッカリさせ、家族の間の空気がぎくしゃくし始める。エバは雪崩が起きた時のトマスの行動を問いただすが、トマスはエバと異なる主張を繰り広げ、次第に夫婦仲にも暗雲が立ちこめてくる。今までの結婚生活に疑問を抱きはじめるエバ、反抗的な態度をみせる子供たち。そして「理想のパパ」の座を取り戻そうと必死にあがくトマス。
バカンスは5日間。残された時間の中で、バラバラになった家族の心は、再びひとつに戻る事ができるのか─?(公式サイト)
理屈で撮られた映画の割に、ラストシーンの意味合いがもう一つ掴みづらいのですが、いずれにしても、リューベン・オストルンド監督にとってのテーマは「父権がいかにもろいか」あるいは「幻想の上にあるか」ということなのでしょう。
二人の子供に対して、あるいは夫婦二人の将来に対して打つ大芝居がそれを現しています。
で、この映画の鬱陶しいところは、その描き方、視点にあります。
個人が、いざという時にどういう行動をとるか? といった極めて個的なこと、つまり、誰にも分からない、自分にも分からないこと、もちろん誰もがこの映画のトマス(ヨハネス・バー・クンケ)のような行動はとらない、あるいはとらないようにしようと考えるでしょう。
でも、それは誰にも分からないことで、誰もが、自分も逃げたりするのではないかと一抹の不安を抱えていることだと思います。
リューベン・オストルンド監督は、そうした誰にも分からない、言うなれば神にしか分からないことに対して、かなり上から目線的で、その当事者、この映画で言えば、トマスやその家族に寄り添おうとしているようには思えません。
幾度もホテルの男性従業員が出てきます。一階上の階から夫婦を見下ろすシーンが何度か出てきます。オートロックで閉めだされた夫婦の部屋の鍵を開けに来ます。
男は常に無言です。この男の視点がこの映画の視点ということでしょう。
大仰な音楽、冒頭の音楽に何だっけ?と思ったのですが、「四季」の「夏」のようですね。そうした音楽や爆発音の使い方は良く言えば「うまい」、悪く言えば「あざとい」ということになり、じっと固定カメラで見続ける目にも優しさはありません。
人がいざという時にとった行動を取り上げてどうこう言っても始まりません。
許してあげてください。問題を解決できるのは当事者(たち)でしかなく、映画ではありません。