珠玉のラブストーリーというよりも河瀨直美監督の映画愛?
「殯の森」以来見ていない河瀬直美監督ですが、あらためてウィキペディアなど見てみますと、年1本は撮っているんですね。
正直なところ、あまり性に合わないのですが、「カンヌ、パルムドールか!」などとかなり宣伝をかけていますので、久しぶりに見てみました。
エキュメニカル審査員賞を受賞しています。青山真治監督の「EUREKA」も受賞している賞ですが、映画祭としての賞ではなく独立したもののようです。
監督:河瀬直美
生きることの意味を問いかけ、カンヌ国際映画祭他、世界中から大絶賛をされた『あん』。河瀨監督と永瀬正敏のダッグが、ヒロインに水崎綾女をむかえて次に届けるのは、人生で多くのものを失っても、大切な誰かと一緒なら、きっと前を向けると信じさせてくれるラブストーリー。(公式サイト)
物語は、徐々に視力を失っていく写真家と視覚障害者向けに音声ガイドを作っている女性の交流を通して、何だろう? 何かを描こうとしているのだと思います。
何とも持って回った書き方をしましたが、ラストカットに「光」の文字を出して、それが答のようなつくりになっていますので、(私が)何だろう?と思ったにしても、きっちり修めようとした意識は強いのだと思います。
物語の軸となっているのは、そこそこ売れた写真家である中森(永瀬正敏)が、原因は語られませんが徐々に視力を失っていくようで、その不安感と焦りから時に自暴自棄(というほどのシーンはないが)になりつつも、最後には現実を受け入れる覚悟をすることと、音声ガイドの原稿を書く仕事をしている尾崎美佐子(水崎綾女)が、当初は健常者ゆえの思い違い、つまり視覚障害者には見えないからとの思い込みから過剰な言葉の説明を加えることでかえって想像力を奪ってしまうことに気づき、(多分)一歩成長していくことです。
そしてもうひとつ、サイドストーリーとして、音声ガイドをつける映画の中で語られる老夫婦の話があり、老いてもなお何かに執着する姿みたいなものが描かれます。その劇中映画の監督兼主役を演じているのが藤竜也さんで、監督役としても登場し、劇中映画の中では夫役を演じています。
で、その3つがラストシーンで映画の主題である「光」に収斂していくという構成になっています。
具体的には、劇中映画のラストは、重三(藤竜也)と妻が海辺にやって来るシーンで、重三が海辺の丘を登りその向こうに「光」を見るシーンで終わっているのですが、妻は認知症のようですし、重三自身相当疲れているようでもあり、わざわざ二人で海辺に来て最後が一人であれば、多分妻を手にかけたのでしょう。
そのシーンに対して、美佐子の音声ガイドは、最初は過剰な言葉で説明され、その後中森との交流を経て言葉なしになり、それに対する中森の「結局何もつけないのだ」の言葉を受け、最後は「重三は光を見る」(間違っているかも)といったものが、最後の決め台詞になっています。
ということで、物語としては一見まとまっているのですが、全体の印象としては映画自体がかなり平板ですし、およそ物語は想像の範囲内であることから、かなり早い段階で飽きてきます。
こういうことじゃないでしょうか。
映画は、最初から最後まで一貫して真摯であり、俳優たちも常に真剣なんですが、じゃあ一体何に対して真剣になっているのかと考えてみますと、それがよく分からないんですね。
無理やり考えて(笑)思いつくことは、何かを失うことでしょうか。
視力を失う、若さを失い老いる、そして生きる希望を失う? でも、希望(光)はあるよって!?
いくら何でもそんな安易ではないとは思いますが、でも、ひょっとしてそうかと思わせるのは、映画の視点が美佐子の立ち位置から作られているからではないかと思います。
美佐子の背景がよく見えないですよね。美佐子には痴呆症の母がいますが、山奥の一軒家に一人住まわせています。ヘルパーさんではなく、多分近所の人だと思いますが、あれ、毎食食事をお膳で運んでくるのでしょうか?
母から「会いたい」とのFAXが来て、時々美佐子が様子を見に行くようですが、美佐子と母とのシーンってありましたっけ? 美佐子が子供の頃の思い出にふけるようなシーンがあったりと、なんだか人間関係が上っ面を滑っているような薄さです。
ラスト近く、母が行方不明になり、村中で捜索しているというのに、美佐子が道なき山に分け入って、(映画的には)簡単に母を見つけるというのもどうかと思いますが、その後の二人のシーンもなんだかよく分からないですね。
中森との関係についても、宣伝コピーでは「ラブストーリー」の言葉が使われていますが、美佐子にその意識は感じられません。
こうしたことは俳優のせいではなく、基本的には元となるシナリオに問題があるのではと思いますが、美佐子が何を考え、何をしようとしているのか分からないことが映画全体の曖昧さにつながっていますし、音声ガイド作成という、ある種の才能や経験が必要と思われる仕事を、あたかも美佐子の心情の変化で変わるかのように描いていることもかなり安易に感じられます。
カメラワークも成功しているかどうか微妙です。ほとんどのカットが、「眼」だけを撮ろうとしているかのような「どアップ」なんですが、映画のリズムや流れからしますと違和感を感じます。
こうやっていろいろ考えてみますと、結局この映画は、視覚障害云々よりも、河瀬直美監督自身の「映画愛」がテーマの映画なのかもしれません。
視覚障害者が描かれた映画では、「ブラインド・マッサージ」「光にふれる」をお勧めします。
ブラインド・マッサージは、まだDVDが発売されていないんですね。