愛を読むひと/スティーブン・ダルドリー監督

6年前の映画ですが、こんないい映画とは知らず、今さらのDVD鑑賞です

公開当時も気になっていましたし、DVDを借りる度に必ず一度はクリックし一覧に入るんですが、なぜか最後には選択から落ちてしまうという哀しい運命(?)の映画をやっと見ることが出来ました。2008年の公開、6年前です。こんなに良い映画だったんですね。邦題と下のケースにも使われているイメージ画像に惑わされ、単純なラブストーリーものと勘違いしていました。

愛を読むひと(字幕版)

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  • 発売日: 2018/01/12
  • メディア: Prime Video

ケイト・ウィンスレットをいいと思ったことはほとんどないのですが、これは素晴らしいですね。アカデミー主演女優賞も納得です。

ウィキによると、ニコール・キッドマンで撮り始めたとありますが、結果良かったように思います。ニコール・キッドマンでは、この映画のハンナのようなある種のだらしなさや裏を感じさせないシンプルさは出なかったような気がします。

15歳のマイケル(デヴィッド・クロス)がハンナ(ケイト・ウィンスレット)に出会う物語の発端となる1958年のシーン、やたら不安感を煽る音楽が流れ、ハンナも落ち着きのなさやどこか精神的な不安定さを感じさせていたので、こんなスタートから悲恋を漂わせているのかなと不思議だったんですが、ラブストーリーものと軽い気持ちで見始めた私には、その後とんでもない展開となりました。

だがある日、ハンナは働いていた市鉄での働きぶりを評価され、事務職への昇進を言い渡される。そしてその日を機に、ハンナはミヒャエルの前から姿を消してしまうのだった。
理由がわからずにハンナに捨てられて長い時間が経つ。ミヒャエルはハイデルベルク大学法学部に入学しゼミ研究のためにナチスの戦犯の裁判(例フランクフルト・アウシュビッツ裁判)を傍聴する。そしてその被告席の一つにハンナの姿を見つけるのだった。(以下ウィキに詳しいストーリーあり

裁判のシーンで、他の被告が否認するにもかかわらず、ハンナは「新しい囚人が次から次へと送られてきて(選んでアウシュビッツへ囚人を送らなければ)収容しきれません」と言い切り、裁判官が「収容場所をつくるために、囚人たちに死が待っていることを知りながら送ったのか?」と尋ねられ、「あなたならどうされますか?」と問い返すあたりのケイト・ウィンスレットの演技はすごいと思います。ハンナ・アーレントの言う「悪の凡庸さ」に近いものがあります。この映画のハンナの場合、思考する能力の放棄とはまた違った「凡庸さ」が見事に現れており、怖くなります。

その後の展開も興味深いことがいっぱいです。

ハンナが、文盲であることを知られることよりも終身刑を選択してしまうこと、そのことをただ一人知ることとなったマイケルが、自分の証言でハンナを救うかどうかを悩み、結局何もしなかったこと、マイケルが、判決の出る前にハンナに面会に行き、結局迷った末会わなかったこと、ハンナが服役中にマイケルの朗読したテープを聴いて文字を覚えていくこと、そして、刑務所での再会の場面、ハンナの死の選択、それらのことを「なぜ?」と考えても「これだ」という答えなど出ようはずもありません。

人の心情などすぱっと割り切れることなんてあり得ません。そうしたことが実にうまく描かれています。

そして、最後、マイケルと元囚人で生き残ったユダヤ人の女性の会話も緊張感に満ちあふれ、とても興味深いものです。

愛を読むひと(字幕版)

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