ジェンダー・マリアージュ 全米を揺るがした同性婚裁判/ベン・コトナー、ライアン・ホワイト監督

ジェンダー・マリアージュは同性婚という意味にはならないのではないでしょうか?

カリフォルニア州で同性婚が法的に(再び)認められるまでを追ったドキュメンタリーです。

2,3年前、LGBT に関する本を何冊かまとめて読んだことがあり、この映画が追っている「提案8号」についても事の成り行きだけは知っていました。

映画は、2013年6月28日に下されたカリフォルニア州での「提案8号」の無効判決までですが、その後、2015年6月26日には、アメリカ合衆国最高裁判所が同性婚を認める判断をしています。

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同性婚が合法とされていたアメリカ・カリフォルニア州で、2008年11月、結婚を男女間に限定する州憲法修正案「提案8号」が通過。同性婚が再び禁止されることになった。この「提案8号」を人権侵害であるとして州を提訴したのが二組の同性カップル。愛とは、家族とは、人権とは……。彼らのかつてない闘いを5年以上に渡って撮影し続けた感動のドキュメンタリー。(公式サイト

映画は、リアルタイムの映像はあまり多くなく、ほとんど無効判決が出た後からの証言で構成されています。ですから、どちらかといいますと無効を訴えた原告側の記録映像のようなつくりです。

映画を見ていけば分かりますが、同性婚に反対する側の主張はほぼ偏見からのものですので、結局時代の流れには逆らえないということだと思います。ただ、それゆえに、つまり人間が偏見から解き放たれることは相当難しいのではないかという意味では本質的なことですので、問題の解消には時間がかかりますし、悲観的に言えば、偏見や差別はなくならないかもしれません。

証言(言葉)が多いですので、細かいことを記憶に残すのは難しかったのですが、同性婚に反対していた人が、裁判の過程で自らの偏見に気づき「信条や信念が邪魔をして他者を他者として認識できない(こんな感じだったような…)」と語っていたのは印象的でした。

ただ、「結婚」という社会制度に普遍性があるわけでもなく、逆に言えば、社会制度自体が偏見を生む要因でもあることを考えれば、個人的な考えで言えば、制度としての結婚を廃止していく方が、より「マリッジ・イクウォリティー」に近づけるのではないでしょうか。

ところで、タイトルにも書きましたが、「ジェンダー・マリアージュ」って言葉、間違っていますよね。あえて使っているのかもしれませんが、誤用を助長することになりませんでしょうか?

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