たかが世界の終わり

グザヴィエ・ドラン、会話劇で新境地

グザヴィエ・ドラン監督、27歳にしてすでに6作目、どの作品も自国だけではなく世界に配給され高評価、どんだけ才能豊かなんだ!という若き天才映画監督です。

この映画は俳優もすごいです。ギャスパー・ウリエル、マリオン・コティヤール、レア・セドゥー、バンサン・カッセル、そしてナタリー・バイ、そうそうたるメンバーということなんですが、さらに言えば、出演者はこの5人だけです。

初監督作品「マイ・マザー」からしてカンヌで上演されるというカンヌ常連の監督で、この映画は昨年のカンヌグランプリを受賞しています。

監督:グザヴィエ・ドラン

「もうすぐ死ぬ」と家族に伝えるために、12年ぶりに帰郷する人気作家のルイ。母マルティーヌ、妹シュザンヌ、兄アントワーヌ、彼の妻のカトリーヌ、まるでルイが何かを告白するのを恐れるかのように、ひたすら続く意味のない会話。戸惑いながらも打ち明けようと決意するルイ。だが、過熱していく兄の激しい言葉が頂点に達した時、思わぬ感情がほとばしる―。(公式サイト

原作があるようで、フランスの劇作家ジャン=リュック・ラガルスの舞台劇「まさに世界の終わり」だそうです。

まさに世界の終り/忘却の前の最後の後悔 (コレクション現代フランス語圏演劇)

まさに世界の終り/忘却の前の最後の後悔 (コレクション現代フランス語圏演劇)

  • 作者: ジャン=リュックラガルス,日仏演劇協会,Jean‐Luc Lagarce,齋藤公一,八木雅子
  • 出版社/メーカー: れんが書房新社
  • 発売日: 2012/03
  • メディア: 単行本
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原作を読んでいませんのでどの程度忠実かは分かりませんが、映画は、会話劇の趣を大切にしつつ、映画的手法、たとえば人物のアップのカットの切り返しとか、被写界深度の浅いカメラを使って人物と背景の対比を強調するなど、グザヴィエ・ドラン監督らしい挑戦的な試みが織り交ぜられていました。

過去の作品全て見ていますが、不思議と絶賛系の映画はなく、どの映画ももう一度見てみようかなと後から気になる味のある映画が多いです。20歳から27歳に撮った映画にしてですからね。

とにかく、デビュー作からすでにうまいです。映画作りの手法、ドラマの組み立て方、俳優の使い方、それに音楽の使い方もそうですが、一体どこで身につけたのかと思うくらいうまいです。

日本の20代の映画監督ですと才能はあってもなかなか劇場公開作を撮ることは難しく自主制作という道を取るしかないようですが、どういう経緯で初監督作品をカンヌで上映できたんでしょうね。

アニメが悪いわけではありませんが、もう少し日本でも若手に実写版の機会があってもいいように思います。

前置きが長くなってしまいましたが、この映画、ストーリーと言ったものにはほとんど意味がありません。

引用したあらすじをもう少し補足しますと、ルイ(ギャスパー・ウリエル)は12年前に家を飛び出して、その後劇作家として成功しており、現在は雑誌などでも取り上げられるくらい人気のようです。

家を飛び出した理由は、ゲイであることによる居づらさであったと想像されます。回想シーンで長髪の男性とのベッドシーンがあったり、母マルティーヌ(ナタリー・バイ)が「まだゲイ地区(と訳されていた、多分地名)に住んでいるの?」と尋ねたり、妹シュザンヌ(レア・セドゥ)や兄アントワーヌ(ヴァンサン・カッセル)との会話が、何かに触れてはいけないようなよそよそしさで進められていることからも、まず間違いないでしょう。

病名は語られていませんが、余命がわずかと宣告された(と思われる)ルイは、12年ぶりに家族のもとに戻り、そのことを告げようとします。

しかし、家族間の会話はまったく噛み合わず、アントワーヌは何かを恐れてルイの言葉を遮るかのように刺々しく皆に当たり散らします。シュザンヌは、ルイが出ていった時幼かったため、有名人のルイのイメージが強いのでしょう、憧れのような感情を持っています。母マルティーヌはと言えば、12年前と何も変わっていないのよと母親らしさを見せようとしますが、アントワーヌの辛辣な言葉に場は壊れ、まったくうまくいきません。

そして、カトリーヌ(マリオン・コティヤール)、アントワーヌの妻であり、ルイとは初対面との設定なんですが、このカトリーヌの存在が非常に分かりにくく、映画的処理では、ルイとの間に何かがあるような描き方がされています。

正確な場面は記憶していませんが、久しぶりの帰郷のルイを囲んだ最初の家族の会話のシーンの中だったと思います。二人の台詞のないアップの切り返しが(印象としては)1分ほど続き、そこに妙に叙情的なメロドラマを思わせるような音楽が意図的に盛り上げるように流されていたのです。

また、カトリーヌの言葉は、どこかたどたどしく(聞こえ)、その初対面の会話の中で、うまく喋れないといった意味のことをルイに語っていたようでもあり、この映画は、原語のカトリーヌの台詞を理解できないと本当のところよく分からないような気がします。

といった感じで、とにかく全編家族の会話は噛み合わず、一体なぜこの家族はこうもよそよそしく、また刺々しいのだと理解不能のまま、それでも何故か引き釣りこまれていくのです。

とにかく映像センスがいいのです。

息苦しいくらいに登場人物の顔へのクローズアップが続きます。被写界深度の浅い映像も効果的で、冒頭のルイが家に入ってくるカット、ぼけた映像から一瞬にしてルイに焦点が合うところやルイと最初(だと思う)の恋人ピエール(だったと思う)のシーンなど、とにかく意図したことを意図したとおりにやっているなあと驚くしかありません。

音楽の使い方もうまいです。

わたしはロランス」でもそうでしたが、グザヴィエ・ドラン監督はヒット曲を効果的に使います。 この映画では、カミーユの「ホーム」、モービーの「Natural Blues」が最初と最後に効果的に使われていました。モービーは CD を持っていますが、うまい使い方だと感心します。オリジナルスコアは、ガブリエル・ヤレド、「トム・アット・ザ・ファーム」に続いての参加です。

ミュージック・ホール

ミュージック・ホール

 

ということで結局、映画は、意味不明で刺々しくも慌ただしい会話のまま何の進展もなく、ルイは自らの死を家族に伝えることができず、アントワーヌに追い出されるようにふたたび家(ホーム)を後にすることになるのです。

ラストシーン、ルイが「実は…」と語りだした矢先、なぜかアントワーヌが怒りをあらわに猛然と喋り(怒鳴り)始めます。一体何が起きたのだ?と理解不能であっても、なぜかそのシーンは涙がこぼれるほど感動的となり、言わなくてよかったね、それでいいんだよと静かに幕は下りるのです。自分の子供に「ルイ」と名付けるくらいですから、兄アントワーヌは弟ルイを愛しているのでしょう。

いい映画でした。

マリオン・コティヤール、この役は難しいでしょう。上にも書いたようにフランス語が理解できないと良かったのかどうかは判断できませんが、その難しさだけは伝わってきました。

レア・セドゥ、こういう役柄は合いますね。ただ、いくつの設定か分かりませんが、12年前のことを覚えていないとすれば10代、年齢はちょっと無理でしょう。

ギャスパー・ウリエル、「サンローラン」も良かったのですが、この映画も不安定さや感情を出すことを恐れているような感じがとても良かったです。台詞も少なくかなりの至近距離で表情を撮られ続けるというのは相当大変だったでしょう。

わたしはロランス(特典DVD1枚付き2枚組)

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