LBJ ケネディの意志を継いだ男

ジョンソンその人より「公民権法」がテーマでしょう

「スタンド・バイ・ミー」 のロブ・ライナー監督です。

と、いつまでも枕詞のように「スタンド・バイ・ミー」がついてしまいますが、1986年の映画ですから、もう32年前になります。

公式サイト / 監督:ロブ・ライナー

今あらためてその後の監督作品を見てみますと、割とコンスタントに撮っている監督ですね。ただ、私が見たと記憶しているのは「ミザリー」と「最高の人生の見つけ方」くらいです。

で、この映画は、ケネディ暗殺後に、副大統領から36代目のアメリカ合衆国大統領になったリンドン・ベインズ・ジョンソン(LBJ)の「ある時期」を描いている映画です。

そのある時期というのは、当然ケネディ暗殺前後ということになり、言い方を変えれば、この映画はリンドン・ベインズ・ジョンソンという人物を描こうとしているわけではなく、ケネディ暗殺前後のアメリカの政界を描いているということになります。

映画が大衆文化である以上、注目度の低い人物は映画になりにくいのはやむを得ないことではありますが、それを逆手にとって、人気はなくとも注目すべき人物に光を当てるということも、映画が取り得るひとつの手法ではあります。

ケネディが大統領に就任するのが1961年1月20日、映画はその1年前あたり、民主党の大統領候補として誰が指名されるかといったところから始まります。

そもそもアメリカ大統領選のシステムをよく知っているわけではありませんので、映画を見ていてもどういう経緯でケネディが民主党の大統領候補となっていったのかよくわからなかったのですが、ざっとウィキペディアを読んでみましたら、大統領候補を決めるための予備選というものが現在のようには行われていない時代だったらしく、立候補を迷っているジョンソンを尻目に、ケネディは一部州で行われ始めていた予備選に打って出て勝利し、その勢いで党大会での指名を勝ち取ったということのようです。

ジョンソン(ウディ・ハレルソン)は上院の院内総務として共和党とも強いパイプを持つ実力者だったにもかかわらず、押されるのを待つ古いタイプの政治家だったということなのかもしれません。

で、結局、ジョンソンは立候補はするものの党大会での指名選挙に敗れます。

しかし、ケネディから副大統領候補に指名されます。政治の世界ですから、このあたりの駆け引きにはいろいろあるんでしょうが、映画では、ケネディ本人はほとんど登場させず、弟のロバート・ケネディ(ボビー)をジョンソンに対立する存在として描いています。実際どうであったかはわかりませんが、ボビーはジョンソンを嫌っており、ジョンソンが、なぜ私を嫌うのだ? と本心から尋ねるシーンもありました。

で、1963年11月にケネディが暗殺されてジョンソンが大統領に就任するわけですが、ここから、この映画の本当のテーマといいますか、軸になっているのがアメリカにおける「公民権法」の成立だということがはっきりしてきます。

ケネディ暗殺までにも、公民権法、つまり黒人差別撤廃の問題はちらちらと描かれており、その機運に乗って登場してきたケネディに対して、南部出身の議員が、ジョンソンに対してあれこれ駆け引きを持ちかけて、公民権法の提出を阻もうとするようなシーンがありました。

ジョンソンはテキサス州選出の上院議員ですが、民主党でもあり、比較的リベラルな考え方の持ち主として描かれています。ただ、時代ということもあるのでしょうか、民主党、共和党の対立以前に、北部、南部の対立のほうが根強くあるらしく、そのため、南部出身でありながら、公民権法にも理解を示すジョンソンという存在は、どちらの側とも話ができる存在として重宝されたということだと思います。

この駆け引きの話の中で、新型戦闘機(だったかな?)の発注をロッキードにする代わりに、黒人労働者の雇用を認めさせるといった、ほぼ汚職に近いようなことが行われている描写もあったりします。

といったような前振りがあって、ケネディが暗殺され、ジョンソンが大統領に就任します。

映画ですから、その時のジョンソンの、とにかくまずは暗殺ということの重大さへの単純な動揺があるでしょうし、次第に予想もしなかった大統領への道が開けたことへの不安と高揚、もともとジョンソンは大統領になることを目指していたということですので、いくら降って湧いたことであっても多少なりとも高揚感はあるでしょう、そうしたジョンソンの心理的な動きを描くことに力が注がれており、やはりアメリカ映画ですので、抑え気味ではあってもヒーロー誕生的に描いていました。

そもそも副大統領は実権のない添え物的な存在であり、ましてや新しいリーダー像として登場したケネディに対して、調整型の古いタイプの政治家であるジョンソンに期待する向きはほとんどなかったわけで、それが一夜にして大統領ということになれば、ジョンソンの置かれた立場はかなり厳しいものだったと思います。

しかしジョンソンは、プチヒーロー的ではありますが、両院議員総会での演説で自分に対する悲観的な空気を一気にはねのけます。

ケネディの意思を継いで公民権法の成立を目指すと宣言したわけです。

成立に反対する南部出身の議員たちにしてみれば、ジョンソン大統領誕生は願ったりかなったり、これで成立を阻止できると踏んでいたわけですから、裏切られたということになり、北部出身の議員たち、またボビーを始めとするケネディとともにあった議員たちにしてみれば、希望を失って失意のどん底状態であったところへのこの演説ですから、感涙もの(ボビーは涙ぐんでいた)だったということになります。

と、これで映画は終わりです(笑)。

やや中途半端な感じが残る映画ではありますが、なぜ今この映画? と考えてみれば、当然、差別主義的なトランプ政権を意識していないわけはないわけで、この企画がいつ立ち上がったにせよ、実際の制作自体はトランプ政権発足以降でしょうから、かなり抑えめでありますが、ある種のメッセージがないということはありえないと思います。

実際、なぜ、ジョンソン大統領が映画になるの? との疑問は消えないわけですから。

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