ヨーロッパで売るべき映画だと思いますが…
ジョージア(旧グルジア)のキストと呼ばれるチェチェン系ジョージア人の暮らしを追ったドキュメンタリーです。監督は竹岡寛俊さんという方で、ネットにはこの映画以外には情報がないですね。
ジョージアとパンキシ渓谷
ジョージアは2015年までは日本ではグルジアとよばれていた国で、1991年のソ連邦崩壊まではグルジア共和国としてその構成国でしたが1991年4月に独立しています。
ジョージアに関する映画は2003年ごろに「やさしい嘘」という映画を見て以降、わりと気にして見ています。「放浪の画家ピロスマニ」ではニコ・ピロスマニという画家を知り、「とうもろこしの島」や「みかんの丘」ではロシアの介入によるアブハジアでの地域紛争(逆からみれば独立戦争…)のことを知り、「花咲くころ」ではソ連邦崩壊後の混乱時を生きる二人の14歳の少女に強いインパクトを感じました。他にも「聖なる泉の少女」「ダンサー そして私たちは踊った」「金の糸」といった映画を見ています。
ということで、ジョージアのことは多少知っているということもあり、公式サイトなどを読むこともなく見に行きましたら、最後まで人間関係をつかむことができず、なんとなくぼんやりしたままの印象で見終えてしまいました。
ともに中年という年齢かと思いますが、レイラという女性とアボという男性を軸に話は進みます。この二人の会話であるとか、それこそ同時に登場するシーンがなかったと思うのですが、私の見落としでしょうか。
今、公式サイトを読みましたら、二人はいとこだったようです。仮に映画の中でそのように語られ、また二人のシーンがあったとしても、少なくとも親しい関係とは感じられず、なかなか映画のテーマが浮かび上がってこなかったということです。
レイラさんはゲストハウスをやっており、仲間の女性数人とともにパンキシ観光協会をつくり、来るべきパンキシ祭での企画を練っています。両親と娘と暮らしており、その暮らしぶりは穏やかなものですが、その過去には様々なことがあったようです。
アボさんは山岳ガイドをしており、ポーランド人女性のバルバラさんとツアー会社を立ち上げようとしています。アボさんはチェチェンでも戦った過去を持っており、イスラム同胞のためにシリアに行かなかったことを負い目に感じている人物です。
という二人の日々を交錯させて描いている映画です。出だしからしばらくは興味深く見ていたのですが、すでに書きましたように二人の関係であるとか、出来事の位置関係であるとか、時間軸がつかみづらく、結局なんとなく曖昧で散漫な印象を感じたというわけです。
いずれにしても、ある程度の情報を持って見たほうがいい映画ではあります。
パンキシ渓谷とキスト
レイラさんもアボさんもキストと呼ばれるチェチェン系ジョージア人です。
ウィキペディアを読んだ程度の知識でざっと整理しますと、もともとこの地域は北にロシア、南西にトルコ、南東にペルシャ(イラン…)という大国に挟まれ、また宗教的にもキリスト教とイスラム教が直接ぶつかる地域ですので争いが絶えないところです。また地勢的には山岳地域が多く、紛争の際にゲリラ組織(一概にテロリストという意味ではない…)が潜伏しやすいということがあるかと思います。この映画の舞台であるパンキシ渓谷はその名の通りアラザニ川流域の渓谷地域で、19世紀半ばに北に接するチェチェンからチェチェン人が移住してきたということです。おそらくロシアの南下によるものじゃないかと思います。
で、このパンキシ渓谷という地域には「テロリストの巣窟」という悪評があるらしく、その訳は、ロシアによる1991年からのチェチェン侵攻(チェチェン紛争…)により難民や独立派のゲリラ組織が流入し、その後アルカーイダや ISIL と関係が深くなったということのようです。ウィキペディアによれば、ゲリラ養成所がおかれていると報道されたり、また、ISIL の指揮官のひとりがこの地の出身であり、リクルート活動が盛んに行われたということです。
この映画の中にもアボさんがシリアに行かなかったことを悔やんでいるシーンがありますが、シリア紛争に対してイスラム同胞へのシンパシーがとても強い地域ということだと思います。
宗教的にはジョージア全体では90%近くがキリスト教徒であり、そのほとんどがグルジア正教会で、国教ではないものの特別な地位が認められているようです。イスラムはキストの人々も含めて10%くらいです。
レイラの娘マリアムがその地域でただひとりのグルジア正教徒だと、映画でしたか、ネットの記事でしたかにありました。
なにせこの映画を見たのはもう2週間ほど前ですので、見た直後にいろいろ調べた記憶もかなり薄れてきています。
ヨーロッパ向けの紹介映画…
と、今、再び続きを書こうと思い立ったわけですが、なかなか進みません(ペコリ)。
結局、その理由は映画の印象が薄くぼんやりしているからなんですが、それはそもそも何を撮ろうとしているのかが伝わってこないということだと思います。
確かに山岳地帯ですから景色は美しいですし、レイラさんは見るからにいい人そうですし、アボさんにしても無愛想だけれども本当は心優しいんだろうと思えるようにつくられています。
でも、これカメラを向けられているからだよねと思います。いや、偽りの姿だと言っているわけではありません。人には色んな面があります。ある一面を撮っているだけだということです。それですと紹介映画にしかならないです。
観光協会を作ろうとしている活動にしてもなにかはっきりしません。レイラさんではなく他に中心になって活動している人がいましたので、その人のことも撮ればいいのにと思います。パンキシ祭も息子を殺された人物の抗議によって中止になったようですが、これももっと突っ込んで描けばいいのにと思います。結局何やら有耶無耶のうちに映画は終わっていました。
レイラさんがグルジア正教会の教会に行くシーンがありましたが、行くべき理由があったんでしょうか、よくわかりませんでした。仮に演出だとしてもいいとは思いますが、おそらく普段は行くことはないと思われますのでもっと明確な意味付けが必要です。
アボさんのツアー会社も、どちらかと言いますとパートナーのバルバラさんのほうが積極的にみえましたので、もっと二人のシーンを増やしてツアー会社がどんなものか見えてくるような撮り方もあるような気がします。ポーランドからだったでしょうか、数人の女性のツアーの様子を撮っていましたが、あれも演出じゃないかと思います。
なんだかいいことは書けませんでした(ごめんなさい…)。実際、この映画を日本でやってもどうなんだろうと思います。ヨーロッパで売るべき映画です。