エミリア・ペレス

序盤はほぼ完璧なミュージカル、中盤以降もその線でいけばよかったのに…

昨年2024年のカンヌ国際映画祭で4人の俳優が女優賞を受賞し、今年2025年のアカデミー賞ではそのひとりゾーイ・サルダナさんが助演女優賞を受賞したジャック・オーディアール監督の「エミリア・ペレス」です。あるいは過去の差別発言がなければ、タイトルロールであるエミリア・ペレスを演じたカルラ・ソフィア・ガスコンさんがトランスジェンダーとしての注目から初の主演女優賞を受賞していた可能性もあります。

エミリア・ペレス / 監督:ジャック・オーディアール

序盤は完璧ミュージカル、以降は失速…

前半、といっても1/3くらいですが、メキシコの裏社会のボスであるマニタス(カルラ・ソフィア・ガスコン)が弁護士のリタ(ゾーイ・サルダナ)に「女性になりたい」と言い、リタがその手筈を整えてそうなるところまでは無茶苦茶引き込まれます。

ほぼ完璧なミュージカルです。

がしかし、4年後とスーパーが入り、リタの前にエレミア・ペレスとして生まれ変わったマニタスが現れる後半になりますと、しばらくは前半の余韻で持つもののやがて失速し、それ以降は最後までもたつくことになります。

もったいないなあと思いますが、そのもたつきの理由は、おそらくこの映画の面白さは、ギャングのボスが女性への性別移行を望むという意外性に依存しているからであり、その後、それ以上の映画的面白さを生み出せなかったからだと思います。である限り必然的にマニタスがエミリアになってしまえば、物語の行き末は糸の切れた凧のようにどこに向かって飛んでいるのかわからない状態になってしまうということです。

実際、エミリアとなった後半の多くが行方不明者捜索事業に費やされるにもかかわらず、結局最後は過去の夫婦関係を確かめ合うというメロドラマで終わっています。

この映画、結局のところ、過去を捨てた人間が再び過去に囚われるという話ですので、いっそのこと後半は、前半のテンポのいいミュージカルから一転してシリアスなメロドラマとし、苦悩するエミリアがオペラのアリアのようにドラマチックに自らの思いを歌い上げるような悲劇にするという手もあったんじゃないかと思います。

余計なことでした(笑)。それに悲劇と言えば悲劇でした。

それはそれとして、この映画、LGBTQ界隈からは批判されているらしいのですがそれも当然かと思います。そもそもこの映画はトランスジェンダーを描くことを目的としていません。上に書いたように過去を捨てるという物語であり、その意味では性別移行ではなく整形手術による別人男性のままでも一定程度成り立つ物語です。つまり、この映画、性別移行によって何が起きるのか、個人的にも、あるいは社会的にも何が変わるのか、そうしたことはなにも描かれていないということです。

序盤はとにかく面白い…

でも序盤はとにかく面白いです。

弁護士のリタ(ゾーイ・サルダナ)が雇い主から殺人を自殺と主張する弁論の原稿を書くように依頼され、気軽に了解と言いながらも実はうんざりしているその心情がミュージカル表現されます。ゾーイ・サルダナさんが歌い踊りながら街に出て、街なかの人々がバックダンサーとして加わり、そのままの流れで法廷シーンに突入していきます。

最初の曲「El Alegato」ですね。陳述とか弁論という意味みたいです。音楽もいいですし、ゾーイ・サルダナさんもとてもいいですし、とにかく全体がうまくつくられています。

同じようなつくりのシーンが後半、エミリアが立ち上げた行方不明者捜索事業のお金集めのパーティーシーンにもあります。ここはリタが一人で会場全体を歌い踊りながら回り、出席者を責めるような振り付けで会場のテーブルの上で踊ったりとなかなかパワフルでした。12曲目の「El Mal」悪という意味のようです。

後半にこうしたミュージカルシーンが少ないことが失速の原因でもあります。カルラ・ソフィア・ガスコンさんのミュージカル俳優としての力不足もあるのかもしれません(想像です…)。

マニタスからリタに依頼の電話が入ります。リタは待ち合わせ場所で拉致され、そしてマニタスから「女性になりたい」と告げられ(3曲目 El Encuentro)、その手筈を整えるよう命じられます。

リタはタイ、そしてテルアビブへと飛び、秘密裏に手術をする医師を探します。このあたりもすべてミュージカル表現で進み、そして、手術シーンなどあり、同時にマニタスが死体で発見されたとのニュースが流れます。リタはマニタスの妻ジェシー(セレーナ・ゴメス)に命が狙われていると言い含め、二人の子どもとともに用意しておいたスイスの住まいに移動させます。

と、ここまで一気に進みます。

中盤、セレーナ・ゴメスを活かせず…

4年後、ロンドンです。リタの前にエミリアとなったマニタスが現れます。リタがまったく気づかないほどに顔からして変わっています。エミリアはジェシーと子どもたちを呼び戻して一緒に暮らしたいと言います。

そして、メキシコでの生活が始まります。エミリアはマニタスの遠い親戚を名乗ります。その対面シーン、エミリアの子どもたちへのキスの嵐にリタは顔をしかめています。ジェシーは怪訝な表情ですが、その後ラストシーンまでジェシーが疑念を持つようなシーンはありません。

なぜジェシーのそうしたシーンを入れなかったのか不思議ですね。ジェシーとエミリアのシーンを増やせばヒヤヒヤしたりドキドキしたり、いっぱいドラマを増やせるように思いますけどね。セレーナ・ゴメスさんって歌手でもあるわけでしょ、上のサントラには2曲入っていますが、8曲目の「Bienvenida」しか記憶にありません。え? ようこそって意味ですか? エミリアへの不満をぶつけるようなシーンだったような気がしますが記憶違いかも知れません。それにミュージカル表現ではなく、ステージでのパフォーマンスのようなシーンでした。

なにか契約上の制約があるのかもしれませんね(まったくの想像です…)。じゃなければミュージカル映画でセレーナ・ゴメスさんを活かさない理由がありません。

慈善活動が罪滅ぼしにみえない…

で、後半は、行方不明の息子を探しているという女性の訴えをきっかけにエミリアが行方不明者捜索事業の非営利団体を立ち上げて社会貢献活動を始めます。多分自らが行ってきたことへの罪滅ぼしといった設定だとは思いますが、エミリアの葛藤のようなシーンもありませんので前半の熱が持続しません。ああ、もったいない(笑)。

そして映画は終盤になり愛憎劇的展開となります。ひとつはエミリアの恋愛です。エピファニア(アドリアーナ・パス)という女性が行方不明の夫を探しているとエミリアのもとにやってきます。その際、ナイフを隠し持っているカットがあり、エミリアがターゲット? と思うものの、ここまでにエミリアの過去がバレたといったシーンが一切ありませんので、もしそれが狙いなら失敗です。結局、エピファニアは仮に夫が見つかったのであれば夫を刺し殺すつまりだったということです。愛情など一切なく、レイプされて従わされてきたと言います。

この出会いをきっかけにエミリアとエピファニアは愛し合うようになります。が、それだけです。ドラマ全体の中にうまく収まっていません。

エンディングへ向かうための愛憎関係はジェシーです。ジェシーは子どもが生まれてからマニタスが変わったと言い、その頃からグスタボと関係を持っていたと言い、スイスからメキシコに移り、再び関係を持つようになっています。ああ、ここでセレーナ・ゴメスさんの2曲目の「Mi camino」でしたね。私の道という意味のようです。

エミリアはそのことを知っているわけですが、何か気にはなっている様子ではあるもののそれ以上の嫉妬といったようなシーンはありません。ある日、ジェシーがグスタボと結婚し、子どもたちを連れて出ていくと言い出します。エミリアは怒り、カードを利用不可にしたり、部下を使ってグスタボを痛めつけこの地を去るように命じます。

エミリアになってもやることは変わらないということなんでしょうか。

そして後日、ジェシーは子どもたちを連れていなくなります。また、エミリアがグスタボとジェシーに誘拐され、リタは身代金を要求されます。エミリアの指が2本送られてきていました。

終盤、怒涛の展開へ…

このあたりは怒涛の展開と言いますか、時間がないので早く片付けようみたいに(笑)ポンポンポンと進みます。リタは突如出てきた名前の誰か(誰やねん…)に何人かの精鋭を頼むとか言い、身代金引き渡しの場に向かいます。そして銃撃戦となり、その最中、瀕死の体のエミリアはジェシーに抱かれて二人にしかわからない出会いの様子をつぶやき始めます。ジェシーはエミリアがマニタスであることに気づきます。

グスタボがエミリアを車のトランクに放り込み、ジェシーとともに逃走しようとします。ジェシーがグスタボに拳銃を向け、停めて! と叫んでいます。もみ合いとなり、車は追突し崖から落ちていき爆発します。3人とも死にました。

リタは子どもたちに母親が亡くなったと告げ、エピファニアは追悼の歌「Las Damas que Pasan」歌い、女たちが行進していきます。

女性讃歌の映画だったようです。

ジャック・オーディアール監督の映画…

ジャック・オーディアール監督、72歳です。2005年の「真夜中のピアニスト」から見ていますが、やはり強く印象に残っているのは2009年のカンヌ国際映画祭でグランプリを受賞した「預言者」です。そのラストシーンにカタルシスといったものを感じた映画です。

その後は、

と見てきていますが、いまだ「預言者」を超える映画ないと感じています。

こうして並べてみますといろんな映画を撮っていますので何が特徴と考えてもあまりはっきりしませんが、いずれの映画にもドラマへのこだわりは感じられます。

ジャック・オーディアール監督「エミリア・ペレス」でした。