基本ファンタジーなのに、したたり落ちる汗、暑苦しい室内、人間関係に熱さを求める人々のリアルさが立ち上がってくる
第一印象は、室内のシーンの撮り方がうまいなあということと、やたら最後を盛り上げますねということと、なんといっても、中村映里子さんがいいです!ということでした。
シネマテークのレイトショーでひっそりと公開されていたこの映画を観ようと思ったのは、どんな映画かなと、ざっとネットで調べていましたら、coco に、
こんなツイートがあり、
「自分が描きたいものを描く」という潔い言葉に引きつけられ、これは観なくっちゃとなったわけです。
このツイート内の発言は、多分東京でのアフタートーク時のものだと思いますが、同じ方の他のツイートには、「5年に1本の傑作を撮るより5年に10本の駄作を撮ってやる、という勢いでやっていきたい」らしき発言もあったとあり、かなり興味をかき立てられました。
で、観てみましたら、この発言から私がイメージしたものとは全く違っていました。
むしろ、この映画は完成度を高める方向で勝負しないといけない映画でしょう。
監督自身が言っていることに私が逆らっても意味がありません(笑)が、ましてやトークですから、様々な要素が絡み合って、逆説的な言葉を使ったり、照れがあったりしますので、文言通りに取ることもまた無意味ですが、実際、この映画には完成度を高めようとの意志が強く働いていますし、ある程度(失礼)の結果は出ていると思います。
言い方を変えれば、「自分が描きたいものを描くだけに専心する」との意思から想像されるパワフルさや内へ内へと収斂していく強固さはあまり感じられず、様々な手法を使ってうまくまとめよう、つまり完成度を上げようとしているようにみえます。
これは批判ではありません。
この映画はファンタジーです。と、私が言い切ってもなんですが、親子の関係、兄弟の関係、そして新たな出会いから新しい家族をめざすという、これ言っちゃおしまいですが、現実にはそうそう転がっていない話で、登場人物皆、過去は悪い人でも今は良い人ばかりです。
言うなれば、人間関係に熱くなりたいと願う人々のファンタジーです。ならば、完成度を求めるべきでしょうということです。
この映画が完成度が低いと言っているわけではありませんが、さらに高いものを求めて欲しいと思います。
たとえば、導入と最後に持ってきている友だちが自殺した(?)女性の話がよく分からなかったんですが、あれは何なんでしょう? 公式サイトにもそれらしき気配もないんですが…。
シンプルに二組の話だけにした方がいいように思いますし、かなり考えてある二組が交錯する編集ももっともっと完成度を上げることは可能でしょう。
人間関係に熱くなりたい二人、夏希(中村映里子)と夏生(沖渡崇史)がとてもいいですし、ファンタジーなのに、なぜか強い現実感がわき上がってきます。多分、夏希と父(光石研)のシーン、夏生と妹(高橋愛実)のシーン、特にそれぞれの室内のシーンがうまく撮れているからだと思います。
120分のディレクターズカット版もあるそうですのでそちらも観てみたいですね。
ところで、「愛の小さな歴史」作者: 港千尋という本がありますが、関係はないですよね。
この本、面白そうですね。読んでみよう。