エリザのために

クリスティアン・ムンジウ監督、カンヌ監督賞も納得

2007年、「4ヶ月、3週と2日」がカンヌでパルムドール、2012年、「汚れなき祈り」がカンヌで脚本賞と女優賞、そしてこの「エリザのために」が昨年2016年の監督賞を受賞というカンヌ三連勝*1のクリスティアン・ムンジウ監督です。

特に「4ヶ月、3週と2日」はかなりインパクトを感じた映画で、冒頭二人の女性(大学生だったかな?)が忙しく動き回る様子を固定カメラで撮ったシーンは今でも画として記憶しています。頻繁にフレームから人物が消えてしまうのですが、全く追おうとしません。声だけ聞こえてくるのです。それだけで引き込まれてしまいました。

監督:クリスティアン・ムンジウ

医師ロメオにはイギリス留学を控える娘エリザがいる。ある朝、エリザは白昼人通りもあるなか、暴漢に襲われてしまう。動揺は激しく、留学を決める卒業試験に影響を及ぼしそうだ。ロメオは娘の留学をかなえるべく、警察署長、副市長、試験官とツテとコネを駆使し、試験に合格させてくれるよう奔走する。しかしそれは決して正しいとは言えない行動で、ついに検察官が彼の元へやってくる…。(公式サイト

で、この「エリザのために」です。

時代は現代、ルーマニアの(多分)地方都市。ロメオ(アドリアン・ティティエニ)と妻マグダ(リア・ブグナル)は、1989年の民主化後にルーマニアに戻ってきたと語っていました。亡命だったのかどうなのかは語られていませんでしたが、いずれにしてもチャウシェスク政権下の圧政から脱出していたのでしょう。新しい国づくりの希望に燃えて故郷に戻って20数年、しかしながら思うようにいかなかったと語っています。それゆえロメオは娘エリザをイギリス留学に出すことに必死です。国に残ることに希望はないと考えているようです。

冒頭のシーン、いきなりロメオの家に石が投げ込まれガラスが割れるシーンから始まります。カメラは微動だにしません。「4ヶ月、3週と2日」でもそうでしたが、この手の導入が逆に緊張感を高めます。

ふと、ミヒャエル・ハネケ監督に似ているかなと思いました。

続いて、エリザ(マリア・ドラグシ)が登場します。試験を明日に控えているからなのか神経質さが漂っています。この俳優さん、何かでみた記憶が…と思ったのですが、「白いリボン」に出ていたようですのでその記憶かもしれません。

ロメオはエリザを学校まで車で送っていく手はずのようで、奥の部屋にいるらしいマグダに出掛けると声をかけますが、マグダの返事はそっけなく沈んだ感じです。ドアはほんの少し開いており、でもマグダが出てくる気配はありません。

うまいですね。ファーストシーンで映画全体のトーンや主要な人物の関係がすんなり入ってきます。

だた、このファーストシーンで、え?と思ったことがあります。ガラスが割られた後、ロメオは外へ駆け出し犯人を探すのですが、それを追うカメラが動くわ動くわの手持ちカメラで、こんな画を撮る監督でしたっけ? まるでダルデンヌ兄弟のようだと驚いたのですが、何と、プロデューサーにダルデンヌ兄弟の名があるではありませんか! もちろんその影響かどうかは分かりませんが、監督に少なからず意識はあったのかもしれません。

登校途中にエリザが強姦未遂にあうという事件が起きます。車で送っていったはずのロメオはどうしていたかといいますと、エリザを途中で降ろし愛人のところへ行っていたわけです。

白昼、それも朝ですが、工事現場のようなところとはいえ強姦未遂にあうということでルーマニアという国の現状を示そうとしているのかもしれません。後に防犯カメラで見ることになりますが、現場は人通りのないところではなく、通りがかりの何人かは気づいていたようですし、ロメオ自身はその映像の中にエリザの恋人マリウスを発見し、後半マリウスを問いただすことになります。

こう書きますと、事件の犯人探しが映画の軸かと思われるかもしれませんが、結局、この犯人はわからないままですし、マリウスが実際そこにいたのかどうかもはっきりしないまま終わります。

映画が主に描いていくのは、エリザをイギリスに留学させるために必死になるロメオの行為やその様子です。事件のせいで動揺しているので試験時間を延長してほしいと学校関係者に迫ったり、コネを使って試験の点数をごまかそうとしたり、その交換条件のために、医師という自分の立場を利用して依頼者の肝臓(だったかな?)移植の順番を変えたりの不正行為をします。

不正行為には、警察署長や町の実力者(?)が絡みますが、皆その行為が特別なこととの意識はないようで、ごく普通に行われているように描かれています。ここにもルーマニアの現状に対する監督の意識があるのでしょうが、ただロメオはそうした不正行為を常習しているようには描かれておらず、それなりに迷いや不安を持っており、描かれているのは不正行為に対する善悪の判断ではなく、娘のために視野が狭くなっていくロメオの姿だと思います。

多分そうしたロメオの心情の現れだと思いますが、実のところよく分からなかったシーンがあります。どの流れだったかは記憶が曖昧ですが、夜ロメオが懐中電灯を持って道路沿いの茂みに入っていき、何かを探している様子だったのですが、突然慟哭するシーンがありました。確かその前に車で野良犬を轢くシーンがありましたので、関連があったのでしょうか、何かを見落としたのでしょうか、いずれにしてもよく分からないシーンでした。

映画が追っていることはもうひとつあります。ロメオとマグダの関係、そしてロメオの愛人サンドラです。

夫婦関係がうまくいかなくなった理由が具体的には語られることはありませんが、ロメオの意識の中には社会への不満と妻への不満が同居しているようなところがあり、つまり、よくある男の自己中心的な浮気の理由付けみたいなことなんですが、それに反してマグダは、ロメオのそうしたある種の身勝手さを見抜いているようで、最後にはロメオに出ていってと言い放ちます。

そのきっかけとなる出来事は、ロメオの母親、エリザのおばあちゃんが倒れた時にロメオはサンドラの家におり、そこへまさか知っているとは思っていなかったエリザが知らせに来るわけです。

このシーン、無茶苦茶いいですね。

自分の将来に不安を感じているサンドラはロメオによそよそしく、一方、エリザの試験のことで頭がいっぱいのロメオにはそんなサンドラのことなど分かるはずもなく、当然二人の関係はギクシャクしているのですが、そこにドアのチャイムが鳴り、サンドラが出ます。一瞬の間の後、サンドラが「お客さんよ」と引っ込んでしまいます。ロメオはと言えば、特に慌てる様子を見せることなくエリザと相対します。

何ということはないのですが、このリアリティはすごい(と感じるのは私だけ?)です。

ということで、この映画は、特別ルーマニアの現状がコネ社会であるとか、不正行為が横行しているとかに焦点を当てようとしているわけではなく、もちろんそれもありますが、それも含めて上の3つの問題を軸に、エリザのバカロレア(Bacalaureat 原題)をめぐるロメオの数日(かな?)をリアルに描いているということです。

あえて言ってしまえば、

エリザは、自分に対するロメオの期待が愛情ゆえであることは分かっていますが、重荷に感じていますし、自分の将来は自分で決めたいとの気持ちもあり、大きく揺れています。

マグダは、ロメオから気持ちが離れている自分をどうすればいいのか迷っています。

サンドラは、ロメオを愛してはいますが、自分のことを二の次にしか考えないロメオとの関係を断ち切れない自分に苛立ち気味に悩んでします。

ラストシーン、エリザの卒業式、それらすべて、事件も含め何ひとつ解決しないまま、それでもたったひとつだけ、エリザが自らの選択で試験に不正を犯さなかったことだけは間違いなく、学生たちの笑顔の集合写真で映画は終わります。

ロメオはと言えば、エリザの笑顔を見て、きっと何かひとつ重要なことに気づいたのだと思います。でも、何かが変わるかどうか、変えられるかどうかは誰にも分かりません。

むちゃくちゃ長くなってしまいましたが、特徴的な映画的手法をふたつ書いておきます。

音楽がほとんど(全く?)使われていません。映画の中の SE としては使われていましたが、劇伴的な音楽はなかったと思います。代わりにと言っていいのかどうなのか、電話の着信音や振動音、町ノイズ、ガヤ、犬の鳴き声など効果音(SE)が全編に何かしら流れていました。

  

ロメオとエリザやマグダ、サンドラ、それにロメオが伝手の頼っていく誰彼との一対一の対話が非常に多いのですが、それらを横からの固定カメラのツーショットでとらえたワンカットで撮っていました。

このふたつはかなり目立つ特徴だと思います。

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汚れなき祈り [DVD]

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*1:ではなく、2009年のカンヌ「ある視点」に「Amintiri din epoca de aur」という映画を出品していました。