すべてうまくいきますように

ネタバレレビュー・あらすじ・感想・評価

フランソワ・オゾン監督の最新作? と思いましたら、違いますね。これは2021年のカンヌのコンペティションに出品された映画で、オゾン監督はその後、2022年のベルリンのコンペティションに「Peter von Kant」を出品し、今年2023年1月にも「Mon crime(The Crime Is Mine)」がフランスのアンジェで行われているプルミエ・プラン映画祭のオープニングとして上映されています。

すべてうまくいきますように / 監督:フランソワ・オゾン

表のテーマは安楽死だが…

この映画が描いているのは、85歳の男アンドレ(アンドレ・デュソリエ)が脳卒中で倒れ、その後娘に「人生を終わらせたい」と安楽死を願い、そして最後にその願いを遂げるという数ヶ月(多分…)の物語です。

安楽死、尊厳死をテーマにした映画はヨーロッパでは結構つくられている印象で、私が見ているものでも古くは「海を飛ぶ夢」「みなさん、さようなら」から「母の身終い」「君がくれたグッドライフ」、直接それを問うものではないにしても映画の重要な要素となっている「眠れる美女」「ブラックバード 家族が家族であるうちに」「或る終焉」なども思い浮かびます。

ヨーロッパは安楽死、尊厳死に関して先進国ということもあるのでしょう。この映画のフランスでは、まだ「積極的安楽死」は認められていませんが、隣のスイスには安楽死を幇助する団体が2つ(私の知っているものでは…)あります。映画の中ではアンドレはその団体の手を借りて薬の投与による積極的安楽死を遂げます。

スイスで思い浮かぶのがゴダール監督です。ジャン・リュック・ゴダール監督は昨年2022年の9月13日にスイスの自宅で自殺幇助団体の助けを借りて積極的安楽死を遂げています。91歳でした。

スイスだけではなく、それぞれかなり厳しい条件付きであったりしますが、オランダ、ルクセンブルク、ベルギー、オーストリア、イタリア、スペイン、イタリア、それに、次の記事を見ますと、アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、コロンビアでもなにがしか安楽死を認める法律が出来ているようです。

安楽死を望むかどうかは人それぞれではあるにしても、人が尊厳ある死を望むことを阻むのはそれこそ人権侵害ですので、当然法的にも認められてしかるべきだとは思います。問題は本人の意志の確認をどう判断するかということと家族など残される側のケアの問題をどうするかということだと思います。

この映画はそうした視点でつくられており、アンドレはある意味身勝手にも思えるほどに安楽死を望むという一点張りで描かれますが、その手筈を頼まれる娘のエマニュエル(ソフィー・マルソー)の心の揺れがこの映画の一義的なテーマなんだろうと思います。

そしてもうひとつ、いざスイスへ向かおうとしたその時に、警察に通報され、エマニュエルと妹のパスカル(ジェラルディーヌ・ペラス)が一時拘束されて検察官から行為の確認をされます。あれは、本人の意志によってスイスの自殺幇助団体の助けで積極的安楽死をすること自体は違法ではないが、遺産相続人である娘たちの意志によって行われていないかの確認なんだろうと思います。弁護士が本人の意志を文書で残すように、また無理であれば動画を残すようにと、わざわざ動画を撮るシーンを2度も入れているのはそういうことなんだろうと思います。

隠されたテーマが主題ではないか…

という積極的安楽死を望む父親と娘たちを描いた映画なんですが、この映画には、安楽死を望むアンドレの思い、たとえば自分の人生を後悔したりすることであるとか、娘たちのことであるとかに思い悩むシーンはありませんし、逆にエマニュエルたち娘が父親の気持ちを変えさせようと説得したりするシーンもありません。エマニュエルも父親は頑固だからと言っています。もちろんひとりになったときに、たとえば眠れないとか、涙を流したりするシーンはありますが、それを情緒的に描いたりはしていません。

ひとことで言えば、安楽死への道筋が淡々と描かれた映画です。邦題は「すべてうまくいきますように」という希望的未来の言葉にして情緒性で売ろうとしていますが、原題は「Tout s’est bien passé」、英題は「Everything Went Fine」であり、「すべてうまくいきました」という意味ですので、「死」にまつわる情緒的なものを避けるフランソワ・オゾン監督のユーモア的なセンスも入っているタイトルだと思います。

言葉をかえれば、フランソワ・オゾン監督が語ろうとしていることは、人の尊厳と個人の選択という意味から「積極的安楽死」を自然なもの(ちょっと言葉が違うかも…)として受け入れるべきということだと思います。

フランソワ・オゾン監督の映画は「8人の女たち」からほとんど見ていますが、いろんな傾向の映画を撮る監督で、恋愛もの、ミステリーもの、家族もの、同性愛などのLGBTQもの、実話ものと、描かれる内容はかなり幅広く感じます。映画づくりの手法としても、どの映画にもうまさは感じますが、これといったものが浮かんでくる監督ではありません。

そうした中で、私がフランソワ・オゾン監督の映画を見て感じるのは、「愛」と「死」それぞれの両面性のようなもので、「婚約者の友人」のレビューには、

この映画で感じることは、フランソワ・オゾン監督の「優しさ」と「死」というもの、おそらく具体的な「死」というよりも概念としての「死」ではないかと思いますが、何か「愛」と裏表の「死」みたいな、そうしたものを強く感じる映画でした。

と書いています。

で、その視点からこの映画を見てみますと、実は、重要なのはアンドレの同性愛の恋人ジェラルド(グレゴリー・ガドゥボワ)と妻(離婚していないよう…)クロード(シャーロット・ランプリング)の存在ではないかと思えてきます。

アンドレとジェラルド、そしてクロード

この映画が表で描いている安楽死の問題にはさほどドラマ性はありません。上に書いたように淡々と進んでいきます。ところが、時々語られるアンドレの過去はかなり波乱に満ちていたように思えます。

こういうことだと思います。アンドレはゲイであり、今ではそれを隠すこともなく、娘たちもわかっています。その最後のパートナーがジェラルドということです。

フランスでは1982年まで同性愛は異性愛と区別されて刑罰の対象となっていたそうです。昨年2022年8月4日のマクロン大統領のメッセージにもそのことが語られています。

フランス法は1982年8月4日、同性愛を完全に非処罰化しました。
そうです、フランスでは、1980年代初めまで、何千人もの人々が「みだらなまたは自然に反する行為」で起訴され、有罪判決を受けました。そのほかにも多くの人々が弾圧を恐れながら、不安な日々を送りました。
今からちょうど40年前、フランスはようやく共和国の標語である自由、平等、友愛に忠実になりました。
フランスはこの日、性的同意年齢における同性愛者・異性愛者間の差別に終止符を打ちました。すべての同性愛罪を廃止することで、わが共和国の基礎である、権利の平等に新たな一歩を記しました。

同性愛の完全非処罰化から40年、マクロン大統領のメッセージ

映画の時代設定が現在だとしますと、アンドレは85歳ですので40年前は45歳です。クロードとの結婚は1982年以前と思われますので、アンドレは自分の性的指向を隠して(閉じ込めて)結婚したんだと思います。本人が言っていた、クロードの両親は娘をゲイである自分と結婚させた(みたいな台詞…)というのは、原語のニュアンスがわかりませんが、その台詞にはかなり屈折した思いがこもっていたんだと思います。

そして、結局のところ、アンドレの同性との不倫行為によって結婚生活は破綻したんでしょう。アンドレは、本当のところはわからないにしても、妻であるクロードを嫌っているように振る舞います。自分の性的指向を押さえて無理やり結婚したことによるものだと思います。

エマニュエルが母クロードに「お母さんは、なぜ離婚しなかったの?」と尋ねるシーンがあります。その場を去ろうとしていたクロードは、立ち止まり、そして振り返り、「愛していたから」と答えます。

このときのシャーロット・ランプリングさんは、これまで見てきた中で最高のシーンでした。

そして、ジェラルドです。エマニュエルはジェラルドを父親から遠ざけようとしています。「あの男」とか、原語のニュアンスはわかりませんがやや侮蔑的な呼び方をしていました。おそらく、ジェラルドが金銭的にアンドレに寄りかかっていたからでしょう。

ジェラルドがアンドレに会おうと病院にやってきてひと悶着あるシーン、エマニュエルが厳しい言葉で叱咤しますとジェラルドはおとなしく去っていきます。過去のシーンが浮かんでくるようなシーンです。

そして、後日、再びジェラルドがやってきたと聞きエマニュエルが病室へいきますと、ふたりは寄り添うようにして眠っています。エマニュエルはそっとドアを締めてそのままにしておきます。

また、スイスへ向かう直前に誰かが警察へ通報してエマニュエルたちは職務質問を受けることになるわけですが、エマニュエルは、通報したのはジェラルドだと思う、「父を愛しているから」と言います。

アンドレは、エマニュエルにも、クロードにも、ジェラルドにも何も語らず静かにこの世を去っていきます。

アンドレとクロードの夫婦関係、アンドレとエマニュエルたち親子関係、アンドレとジェラルドの恋愛関係、それぞれに語れないほどの愛憎がこの映画の裏には隠されているということです。