ファミリア

役所広司さんじゃなければどうなっていたことやら…

役所広司主演、成島出監督、いながききよたか脚本という映画です。公式サイトには「現在、約280万人の外国人が暮らしている日本。その中のブラジル人に光を当てた本作は…」とありますが、本当に光は当たっていますか?

ファミリア / 監督:成島出

役所広司さん以外に見るべきものは…?

役所広司さんじゃなかったらどうなっていたんだろうと不安になるような映画です。

たしかに役所広司さんを見るだけでも一定程度の価値はありますが、映画としてはとにかく薄っぺらいです。いろいろな問題を取り入れていますが、単にドラマを作るために利用しているだけです。そもそものシナリオが薄っぺらいんだと思います。

タイトルが「ファミリア」となっているわけですから、親しい人とか仲間とか、言ってみれば「家族」といったものをテーマにおいているのでしょうが、できた映画は「暴力行為」だけが目立つ映画です。それも、あくまでも目立っているだけです。暴力に対して何の意思表示もありません。

おそらく、やりたかったことは「家族」というものが人が生きるための拠り所となるものだということだとは思いますが、物語や人物の設定が薄っぺら過ぎます。

誠治は陶芸家?

誠治(役所広司)はひとりで焼き物を焼いています。誠治の仕事の立ち位置がよくわかりません。

冒頭のシーンは、おそらく土を採取していたのだと思います。採取のロケーションもどうなんだろうとは思いますが、それは置いておくとしても、土の採取から薪窯で焼くまですべてひとりでやり、あの焼物の量であれば、それなりの陶芸家として評価されていなければ生活が成り立ちません。映画にはそうした誠治の陶芸家としてのバックボーンが感じられません。役所広司さんにはその雰囲気は十分すぎるほどありますが、シナリオにはそれらが考えられている気配がありません。

ましてや、息子の学(吉沢亮)が大手プラントエンジニアリング企業をやめて父親の後を継ぐということに対して、やめとけとは言うものの内心はうれしく思うわけです。もし陶芸家という立ち位置であれば、継ぐ継がないという次元の問題ではありませんし、学にしても子どもの頃の手習いである程度は出来るにしても、ある日突然やってみるで始められることではないでしょう。

こうした人物設定が薄っぺらいです。

学はなぜ死ななければならなかったのか?

この映画がやりたかったのは何なんだろうと考えてみますと、ラストひとつ前のシーンじゃないかと思います。

この映画は誠治や学ではなく、半グレのリーダー海斗(MIYAVI)のブラジル人への憎しみが物語を動かす軸になっています。海斗の妻と子どもは数年前の交通事故で亡くなっています。運転していたのは夜通しパーティーで騒いでいたブラジル人で酔っぱらい運転です。その恨みからブラジル人の若者たちを執拗に追い詰め、ひとりを臓器売買で売り飛ばし、ひとりを殺害、とにかくやっていることが無茶苦茶です。

で、その海斗と誠治がラストで対峙します。その時海斗は誠治に、お前に妻と子どもを殺された気持ちがわかるか!と叫び、誠治に突進しナイフで刺します。

それまで自ら手をくだすことはなかったのに誠治にはなぜ? ということもありますが、それはそれとして、その時の誠治の返しが「わかるさ」です。学と妻のナディア、そしてお腹の子どもが殺されなくてはならなかったのはこの台詞のためでしょう。

いろんなことが薄っぺらく気になります。テロ事件そのものに深く立ち入るならまだしも、安易にテロ事件を持ち出して人を殺す設定もそうですし、それに対して誠治に現金を用意させて首相官邸にまで駆けつけさせるのも意味不明です(親の気持ちを描こうとしたとしても…)し、対応する官僚の描き方も取ってつけたような嫌味っぽさを感じさせて薄っぺらいです。

ブラジル人はなぜ殴られ続ける?

この映画はブラジル人をどう見ているのでしょう?

この映画の中で描かれているブラジル人のイメージは、日本語が話せなく不登校になり、いわゆる不良化する若者たち、不況になれば真っ先に解雇される労働者、そして陽気なファミリーというパターン化したイメージです。

そうしたパターン化したイメージを使いながら、それに対峙させる日本人は個人的な恨みを持つ海斗です。ましてや海斗のターゲットとなる若者たちはその当事者ではありません。海斗は逃げた運転手をブラジルまで追いかけたが思いは果たせず、その屈折した恨みから誰彼なくブラジル人を目の敵にしているという設定になっています。

単純なエンターテインメントものならいいにしても、そんな特異なケースを持ち込んで「ブラジル人に光を当てた」などというのは宣伝文句だとしても薄っぺら過ぎます。

社会派を装った暴力エンターテインメント

結局この映画は何なのか?

とにかく「暴力」だけが目立ちます。海斗の暴力だけではありません。テロ事件もそうですが、ブラジル人のマルコスを救うのは誠治が誘発させる海斗の暴力です。海斗は殺人未遂犯として服役することになるのでしょう。あの海斗を鎮めることが出来るのは、殺す(あくまでも映画なので…)か逮捕しかないという意味に置いては、逮捕、そして服役させることも暴力的行為です。

きっと服役を終えて出所した海斗の憎悪はさらに増していることでしょう。