妊娠や母性は選択肢であるべき
アフガニスタン人(の表記は正確ではないが)によってアフガニスタン国内で2019年に製作された映画です。製作年が重要なのは、アフガニスタンは2021年8月15日にブッシュが始めた20年の戦争を経て再びタリバン政権に戻っているからです。
監督のサハラ・カリミさんはタリバンが政権を掌握した直後にカブールを脱出しウクライナに逃れて、現在(5月7日付の記事による)はイタリアに滞在しているとのことです。
Hava, Maryam, Ayesha
アフガニスタンの女性三人の物語でした。生活環境がかなり違う三人がそれぞれ接点なく描かれ、最後にある場所で三人揃います。原題の「Hava, Maryam, Ayesha」が三人の名前です。
ハヴァは夫の両親と同居する専業主婦(日本でいえば)で30歳くらいの妊婦、ミリアムはニュースキャスターで夫の浮気により離婚直前の40歳くらい、アイーシャはつきあっている男性がいたが親の勧める従兄弟との結婚を決めた10代後半の女性です。
こうした三人三様の設定もあってアフガニスタンの女性の置かれている環境が現実感をともなって感じられる映画です。ただそれもタリバン政権になる前の話で、タリバン政権になってすでに1年、女性が置かれている状態が良くなっていることはあり得ないでしょう。
ハヴァの場合
ハヴァの場合は、これは映画だとはわかっていながら、自分はまったくなにもしないくせに、ハヴァにあれやれこれやれだの、遅いだのと怒鳴りちらす舅に「お前がやれ!」と声が出そうでした(笑)。
笑いなんて書いちゃいましたが笑いごっちゃありません。
夫も舅に輪をかけたような父権主義者でハヴァをひとりの人間としてみていません。電話をしてきて友人を連れて行くからメシを作れだの、材料がなければ買ってこいだの、帰ってきたら帰ってきたで客を通すから顔を出すな、舅のご飯を用意していると客のほうが先だと怒り、とにかく権力的です。
仮にこのハヴァのような現実があるとして、それがイスラムの価値観からくるものなのか、部族社会の慣習からくるものなのかははっきりしないところがあると思いますが、宗教という点を除けば、日本にだってこうした環境に置かれている女性がいるんじゃないかと思います。
で、映画としては、ハヴァが舅のせいで転び、その後お腹の子どもが動かなくなったことを心配し、夫に病院へ連れて行ってと頼むものの、夫は客が来ているのにわがままだと言って無視してこのパートは終わります。
ミリアムの場合
ハヴァのパートでテレビがカブールでの自爆テロ事件を報じています。
そのニュースキャスターがミリアムです。放送が終了し、上司が車の広告のモデルの仕事のオファーが来ているがどうかと言ってきます。ミリアムは馬鹿にしているのかと一蹴します。まあ当たり前ですし、これでなにを見せようとしたのかはよくわかりません。
ミリアムはタクシーで自宅へ戻ります。タクシーから降りますと、運転手がサインを求めてきます。キャスターだからサインかと思いましたら、これもよくわからないのですが、運転手が決まりでサインをもらわなくてはいけないと言っていました。これまたミリアムはそんな馬鹿なと無視していましたので運転手の言っていたこともよくわかりません。ペルシャ語とダリー語ですのでまったくわかりませんが、字幕が悪いのかもしれません。最近は字幕がよくない映画が多いですね。
ミリアムの生活レベルはかなり高いようです。ハヴァとはずいぶん違いますし、住まいもヨーロッパ風でかなり広そうです。
で、ミリアムは登場から一貫して不機嫌で、なんだろうと思っていましたら、夫の浮気が原因で離婚を決めているにもかかわらず、妊娠していることがわかったからでした。
このパートはこれ以降ミリアムの物憂いシーンと、頻繁にかかってくる夫からの電話に対するミリアムの様々な心理状態が夫に対するミリアムの言葉だけで描かれていきます。ただ、ここはかなり冗長で、電話への受け答えだけで表現しようとしたのは面白いのですが、あまりよい出来ではありません。これも字幕のせいかもしれません。
このパートではミリアムがウェディングドレスを着るのですが、どういうことなんでしょう、夫とのよかった頃を思い出しているということなんでしょうか。なんだか作り物くさく感じます。
実は、ハヴァのシーンからこのミリアムの前半までは台詞も少なく、じっくり俳優を捉えようというつくりになっており、集中して見られていたのですが、電話のシーンからは電話の台詞で説明しようとの意志が働き始めたようで、よくない字幕のせいもあり(ペコリ)集中が途切れてしまいました。
アイーシャの場合
アイーシャがブーケのようなフラワー・アレンジメントを持って家に帰ります。家はハヴァの隣の家でした。ハヴァのシーンでハヴァが買物を隣の家の息子に頼んでいたんですが、アイーシャの弟ということでした。そのシーンでハヴァがはしごを上っていくカットがあり、何をするんだろうと思いましたら、屋根の上に上り、隣の家の庭で洗濯をする女性(アイーシャの母)の息子に買物を頼めないかと頼むシーンでした。
アイーシャは5人兄弟姉妹の長女、父親は自爆テロで亡くなっています。母親はアイーシャの結婚を望んでおり、父親の妹の息子である従兄弟との結婚をすすめています。今日はその叔母と従兄弟がやってくる日、日本でいえば結納の日のようです。しかし、アイーシャにはつきあっていた男性がいるらしく、このパートでも友人との電話でのやり取りでそうしたことが徐々にわかってきます。そして、アイーシャはその男性の子どもを妊娠しているようです。
叔母と婚約者となる従兄弟がやってきます。アイーシャが買ってきたフラワー・アレンジメントは婚約者に贈られるもので、そのお返しとしておそらく金銭だと思いますが封筒がアイーシャの母親に贈られていました。そして、アイーシャと従兄弟のシーン、従兄弟はアイーシャとの結婚を望んでいる(親の決めたことに従っているだけかもしれないが)ようで、アイーシャにブレスレットをプレゼントします。
アイーシャが母親に隠れるようにして慌ただしく出掛けていきます。町でブレスレットを換金し、電話で話していた友人のもとに向かい、お金が足る足らないの話をしながら二人で出かけていきます。中絶です。友人はアイーシャに誰にも見られないようにと全身を覆うブルカを渡します。
ハヴァ、ミリアム、アイーシャ
アイーシャはブルカを着て、病院(一般的な産婦人科の印象だった)の待合室に入っていきます。そこには二人の女性がいます。ひとりは同じようにブルカをまとっています。もうひとりはミリアムです。アイーシャがブルカを着たまま座ります。
隣の女性がブルカの前を上げて顔を見せます。ハヴァです。ハヴァは、あの日の翌日に診察に訪れているということでしょう。ブルカを着ているのは保守的な生活環境に生きているということだと思います。ミリアムはいつもどおりの頭を覆うヘジャブです。
現実感のある女性たち
この映画は、2019年のベネチア映画祭のオリゾンティ部門で上映されています。監督のインタビューにはアフガニスタン国内でも上映されたとあります。
そのインタビューによれば、サハラ・カリミ監督はアフガニスタンで育ち、中学卒業後ですから10歳半ばくらいかと思いますがイランの叔父のもとで建築家を目指していたところ映画に出演することになり、それがスロバキアの映画祭で賞を受賞したことから、2001年にスロバキアに移住して映画の道に入ったということです。2012年にアフガニスタンに戻っています。年齢はあきらかになっていないようですが、40代かと思います。
この映画についてはアフガニスタン=テロといったステレオタイプなアフガニスタンではなく、現実感のある生きた女性を描きたかったと語っています。
それは成功していると思います。翻訳ですのが監督の言葉として「妊娠や母性は選択肢であるべきだと思う」というものがあり、実にそのとおりであると思います。
このインタビューで監督が語っていることがすべて映画から感じられるわけではありませんが、映画を見なければサハラ・カリミ監督の熱い心と強い意志を実感することは出来ないとは思います。