母へ捧げる僕たちのアリア

ヌールはここを出ていくと宣言するが…

フランスのヨアン・マンカ監督の長編デビュー作、昨年2021年のカンヌ映画祭のある視点部門で上映されています。マンカ監督は1989年生まれの32歳です。

母へ捧げる僕たちのアリア / 監督:ヨアン・マンカ

マンカ監督、シュムラさんに訴えられる?

ヨアン・マンカ監督のウィキペディアを見ていましたら、マンカ監督は、この映画のサラ役の俳優ジュディット・シュムラさんに携帯電話を投げつけて顔に怪我をさせたとあります。昨年7月4日のことで、シュムラさんのインスタにはその怪我の様子が自撮りで上がっています。このトラブルでふたりともカンヌ映画祭への出席をキャンセルしたとのことです。

ふたりはプライベートでもパートナー(だった)で子どももいるらしいです。ものはついでにとその後をググってみましたら、マンカ監督には執行猶予付きの8ヶ月の刑がくだされたみたいです。監督本人が暴力の経緯を語っているところではかなりプライベートなことが発端のようです。

4兄弟の物語

映画の原題は「Mes freres et moi」、英題は「My Brothers and I」です。物語はそのタイトル通り、「僕(ヌール)と兄貴たち」のある夏の物語です。場所の設定は南仏の海沿いの町とあり、どことは設定していないのかも知れませんが、ロケ地はモンペリエ近くのセットというリゾート地です。

アベル、ムー、エディ、ヌールの4兄弟は公営住宅の一室で寝たきりの母親の介護をして暮らしています。ヌールは14歳、エディは多分10代後半、アベルとムーは成人はしていますが定職はないようです。父親は亡くなっています。

4人それぞれ特徴的な性格の設定になっています。長男アベルは一家の主的な存在で、弟たちを守ろうとの気持ちが逆にでてしまうのでしょう、言葉やふるまいは乱暴です。ですので権威主義的な家族を愛する父親的な存在です。サッカーチームのユニフォーム(偽物)を売って稼いでいるのでしょう。

三男のエディはそんなアベルに反抗的でよくぶつかります。麻薬の売買で稼いでいます。映画の後半に、警察の車を見るや突如鉄棒で徹底的に破壊し始め逮捕されるシーンがあります。刹那的といいますか、どうとでもなれといったところがあります。

次男のムーはそんなふたりが喧嘩になれば間に入りなだめ役になります。観光客相手のセックスワーカーをしています。プールで観光客の女性に誘いをかけるシーンや男性とキスをするシーンがあります。快楽主義的な人物ということでしょう。

そして14歳のヌール、素直でいい子です。母親がオペラ(の音楽)好きだったからとパソコンのスピーカーを母親のベッドに向けてパヴァロッティのアリアを流すことが習慣になっています。三人三様の兄たちですが、ヌールには自慢の兄たちです。アベルとエディが喧嘩を始めれば声がもれないようにとすぐに窓をしめます。アベルに水を買ってこいといわれれば素直に買いに出ていきます。

一家は常に緊張状態にあります。金銭的な余裕はありません。母親は寝たきりの状態であり、その費用や家賃の支払いに追われる日々です。母親の兄である叔父が入院させることを望んでいることに抵抗して自分たちで介護すると主張しています。その叔父は何らかの事業に成功して裕福であり、兄弟たちに金銭援助をしているようですが、常に言い争いが起きる関係のようです。

映画の後半には母親が誘拐された!と大騒ぎになり、どういうことかと思いましたら、叔父が兄弟に無断で入院させていました。兄弟たちは病院に忍び込んで取り返し、その後叔父との取っ組み合いの喧嘩もありますが、その関係に険悪さはなさそうです。

といった環境の中でヌールが一歩成長する姿が描かれる映画です。邦題の「母へ捧げる僕たちのアリア」からイメージする感傷的な映画ではありません(笑)。

ヌール、音楽と出会う

夏休み、ヌールは学校の補修作業をしています。公式サイトには教育奉仕作業とありますが、乱暴な(笑)責任者はコミュニティなんとかと言っていたように思いますし、ヌールが遅刻したときに自分にもやらせてくれと積極的に申し出ていましたので奉仕的なものではないように思います。

とにかく、学校の廊下でペンキ塗りをしていますとパヴァロッティが歌う「誰も寝てはならぬ」が聞こえてきます。サラ(ジュディット・シュムラ)が夏休みの特別ワークショップ(のようなもの)で音楽を教えています。

サラは教室をのぞいていたヌールにかなりと言いますか、あり得ない強引さで(笑)歌ってみてと持ちかけます。ヌールは「愛の妙薬」から「人知れぬ涙」を歌います。なぜこの曲を知っているのかと聞かれ、父親が母親に求婚した曲だと答えます。

ヌールの父親はイタリア人でアフリカ(多分アルジェリア)出自の母親をこの歌で口説き落としたということです。両親の出自は逆かもしれません。

その後、ヌールはサラの誘いに応じてそのワークショップに参加したり、あれこれで遅刻したりという状態が続きます。このあたりはこうしたドラマのパターンとはちょっと異質な展開をします。

この映画はヌールと音楽の出会いだけが軸でもなく、またある時ヌールが音楽によって母親が目覚めた(動いた)と錯覚することはあっても、その寝たきりの母親がどうなるかが軸でもなく、あれこれたくさんの問題が交錯して描かれていきます。一番はヌールと音楽の出会いではありますが、その他、4兄弟それぞれの生き方であったり、母親や叔父との家族関係であったり、社会的な階層からくる貧困の問題であったりと、あれこれ交錯させてベタな感動物語を避けようとしているところもあり、その点ではわりと好感を持てます。ただ、それゆえに一方では軸がないことからのまとまりのなさも感じられる映画です。

音楽が重要な役割であるにもかかわらずうまく活かしきれていないところもありますし、エディが逮捕されその家宅捜索にサラを絡めながらも中途半端に終わったりもしています。

映画は結局、ある日突然母親は息を引き取り、悲しみのうちにラストシーンへと向かいます。サラは自分が出演する舞台「椿姫」への招待券をアベルに託します。つまり家父長であるアベルがいいと思うのならヌールに渡してということです。

このあたりがこの映画の煮えきらなさを象徴しています。

とにかく、アベルはヌールを劇場へと送り、ヌールはサラが歌う「椿姫」の「花から花へ」に感動し、自らここを出ていくと決意します。

ただ現実に出ていけるかどうかは誰にもわかりません。

フランスの公営住宅

公式サイトには、この映画を「レ・ミゼラブル」や「GAGARINE/ガガーリン」とひとつのくくりで語っています。フランスの公営住宅が移民や貧困層の住宅となっているという現実からのものだと思います。

ただこの3作品、その舞台となっているのが公営住宅ではあっても、それぞれ見ている世界が違っていますのでそのくくりにはちょっと無理があるとは思います。

フランスの公営住宅ものと言えば、何といっても「アスファルト」です。