ブラッドリー・クーパーひとり舞台のやや残念な豪華キャスト
見ているようであまり見ていないギレルモ・デル・トロ監督、直近では「シェイプ・オブ・ウォーター」、さらに遡りますと「パンズ・ラビリンス」くらいです。
この映画は、「アリー スター誕生」がとてもよかったブラッドリー・クーパーさん、「キャロル」以降名前をみれば見たくなるルーニー・マーラさんという名前が飛び込んできましたので見なくっちゃとなった映画です。
豪華キャストのサスペンス・スリラー
やはり宣伝文句としては「豪華キャスト」となりますね。ふたり以外にもケイト・ブランシェット、ウィレム・デフォー、トニ・コレット、リチャード・ジェンキンス、ロン・パールマン、デビッド・ストラザーンと並びます。
「サスペンス・スリラー」という点では、終盤に多少それっぽさがでてきますが、ハラハラドキドキ感や怖さを感じる場面は多くありません。そもそもギレルモ・デル・トロ監督の得意分野ではないのでしょう、その点ではかなり物足りなさを感じます。
原作があります。ウィリアム・リンゼイ・グレシャム著『ナイトメア・アリー 悪夢小路』
レビューなど読みますとかなり面白い犯罪小説のようです。試し読みをしてみましたら、冒頭から「獣人(ギーク、geek)」が登場します。映画でもこの「獣人」でまとめていますし、知る限りのギレルモ・デル・トロ監督の傾向から考えますと、この「ギーク」にそそられたのかもしれません。
この映画、今年2022年のアカデミー賞では作品賞、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞の4部門にノミネートされていたんですが残念ながら受賞はなかったようです。
ブラッドリー・クーパーのひとり舞台
ということで、一見、オールスターキャストの映画にみえますが、実のところブラッドリー・クーパーさんのひとり舞台のような映画です。
冒頭、男が毛布にくるんだ死体もろとも一軒家に火をつけて去っていきます。スタン(ブラッドリー・クーパー)です。スタンがバスで行き着いた先ではカーニバル風の見世物小屋(フリークショー)の一団が興行をうっています。行われているのは怪力男と小人のショー、読心術、電気ショックショーなど猥雑なものばかり、中でも檻に閉じ込められた獣人が生きたままの鶏を食らうショーは奇怪でグロテスクです。
映画ははっきりと前半と後半に分かれており、前半はこのフリークショーが舞台です。
この前半でのポイントは、スタンがその如才なさから団長(ウィレム・デフォー)に気に入られ、行動をともにするうちに読心術の仕掛けやノウハウを学び、そして、電気ショックショーのモリー(ルーニー・マーラ)と親しくなることです。
スタンは最初に読心術のジーナ(トニ・コレット)と関係を持ちます。そして、そのパートナーのピート(デビッド・ストラザーン)から読心術のからくりを教わるという流れなんですが、この前半ではスタンの人物像がはっきりしません。たとえばジーナと関係を持つこともジーナからの誘いですし、読心術にしても積極的に盗もうとする描き方にはなっていません。
冒頭の犯罪者を思わせるシーンと後半の野心に溢れた尊大な人物像に挟まれたこの前半は、なぜか心優しいお兄ちゃんに見えます(私だけかも?)。ただし、それはスタンの描き方に一貫性がなくバランスがよくないという意味で、実はスタンはそういう人物ではあるのです。時々挿入されるフラッシュバックで描かれるように父との関係にトラウマを抱えている人物であり、それが最終的に「獣人」という存在につながっていくということになります。
本当ならば、そうした心の闇を抱えた人物が、読心術というやってはいけないことに手を染め、トラウマがゆえに歯止めが効かなくなって堕ちていくところを一連の流れの中で見せていかないといけない映画なんだろうと思います。
前半のフリークショーや後半のノワール風のビジュアルに力が入っているからかもしれません。
クライムサスペンス風ファンタジー
映画は始まって10分(以上?)スタンは一言も発しません。物置のような小屋に火が上がるシーン、テンガロンハットを目深にかぶるスタン、暗闇に浮かぶ明かりの中の猥雑な獣人や読心術のフリークショー、降りしきる雨とぬかるみ、クライムサスペンスを思わせる画が真逆なファンタジックさを醸しながら続きます。
獣人が逃げ出します。暗闇の中をさまようライト、降りしきる雨、スタンは怪しげな異形のものが溢れる小屋に迷い込みます。そして、獣人との格闘です。ただ、やはりここもファンタジックなテーマパークを思わせるビジュアルではあります。
こういうところがギレルモ・デル・トロ監督の得意とするところなんでしょう。
一転して、後半はフィルム・ノワール風へ
後半は一転してフィルム・ノワール風になります。
前半の後半、スタンは電気ショックショーのモリー(ルーニー・マーラ)に近づき、新しいショーのスタイルを提案して気に入られるなど、フリークショーの一団に溶け込んでいます。そこに警察の手入れが入ります。スタンはピートから教わった読心術を活用して警察署長を思うがままに操り一団の危機を救います。
それをきっかけにして、モリーとより親しくなり、モリーに君はこんなところでくすぶっているような人じゃない、おれと一緒に一流のエンターテイナーになろうと誘い、ふたりでフリークショーの一団を離れます。
そして後半は2年後、二人は読心術のエンターテイナーとして一流ホテルのショーで人気を博しています。トリックは、モリーが客側に立ち、客の持ち物などから何らかの情報を言葉でスタンに伝え、あたかもスタンが読心術で当てるかのようなまやかしのショーです。
この後半の入りからして、もうすでにスタンとモリーには主従関係ができているようであり、いずれ壊れるであろうことを予感させます。もう少しその中間を描けばよかったのにとは思います。
で、ここでやっとケイト・ブランシェットさんの登場です。リリス・リッター博士、精神分析をおこなう心理学者です。ショーを見に来たリリスは、スタンのショーがインチキであると見破るために挑戦的に仕掛けてきます。しかし、ここはスタンが機転を利かせて難を逃れます。
これを機にスタンはリリスに近づきドツボにはまっていく様がフィルム・ノワール風に描かれるのが後半です。簡単に書きますと、スタンはリリスが社会の大物を診療していることを知り、その診療上の秘密を手に入れ、その人物に近づいて金をせしめるということです。一人目はうまくいき、さらにそのつてでさらなる大物に近づき、読心術を超えて、その大物が過去に犯した過ちのその当人を呼び出すという降霊術にまで手を広げ、モリーに幽霊を演じさせて、殺人まで犯す羽目になります。
この後半もビジュアルとしては悪くないのですが、なんともその行為に深みがなく、ファンタジーをシリアスに演じているようなところが、いいような悪いような、なんとも中途半端なまま、その大物やらボディガードやらがスタンに殺されていきます。さらに、ずいぶん前から心は離れていたモリーも懇願されて幽霊役をやったものの大物に見破られて、スタンが殺人を犯すところを見るや、さすがにもうだめだと去っていきます。
スタン、獣人になる
スタンはリリス博士にすがるも裏切られ、誰も頼るものもいなくなり、アル中の浮浪者になり、そして獣人になります。
実は、前半にスタンがフリークショーの団長に獣人をどうやってつくるのかと尋ねるシーンがあり、団長は、浮浪者を探してきて、酒を飲ませ、薬を盛り、廃人同然にするのだと教えます。ですので、ある段階からこのオチは予想できることでもあり、逆に言えば、そのオチにスッキリするわけではなく、なんともいやーな感じが残る後味の悪いものです。
その意味では一定程度映画として成功はしているとも言えます。
豪華キャストは苦手なギレルモ・デル・トロ監督?
ギレルモ・デル・トロ監督の映画をあまり見ていないものの適当な話ですが、俳優のアンサンブルで見せる映画は苦手なんだろうと思います。
この映画で言えば、最初に書きましたように完全にブラッドリー・クーパーさんのひとり舞台になっていますし、割と出番の多いルーニー・マーラさんもあまりいいようには見せられていませんし、ケイト・ブランシェットさんにいたっては別にブランシェットさんじゃなくてもいいんじゃないのというくらいの役回りです。
やはり、得意とするビジュアルの中にシンプルな人物をシンプルに配置してシンプルに見せていくほうがいい作品になる監督ではないかと思います。
ああ、忘れていました。冒頭の家を燃やすシーンの死体は父親であり、老いてなのか放蕩の末なのかベッドに横たわる父親にずっと憎んでいたとつぶやきながら窓を開け凍死させたということです。
この父親殺しの心の闇は取ってつけたようなところがありますので原作にはないかもしれませんね。