春に散る

昭和物語なのに意外にもあっさりビズリーチ、そして橋本環奈に驚く…

沢木耕太郎さんの『春に散る』の映画化です。監督は瀬々敬久さん、そろそろ巨匠や大御所と呼ばれる領域に入る方ですのでもういいかなと思ったのですが、横浜流星さんを見てみようというのが目的です。

春に散る / 監督:瀬々敬久

横浜流星、窪田正孝、橋本環奈

横浜流星さん、身体を作り込んで臨んでいるようでしたし、かなり力の入った演技でした。

でも、意外にも、と言いますか、役柄的にはどうなんだろうという意味も含めて、とても優しい目をしていました。ですので、目だけの話でいえば、ボクサーよりもラストシーンのスーツ姿のほうがピッタリきています。

ボクシング映画というのは、身体もそうですが、構えやファイティングポーズにもごまかしが効きませんので、ボクサーを演じる場合はどの俳優でも実際にトレーニングを積んで撮影に臨むわけですが、横浜さんは、さらに、撮影後ではありますがプロテストを受けてC級ライセンスを取得されたそうです。それだけ演技を越えたものが身についていたということだと思います。

その上での話ですが、役柄としてのギラギラ感があまり感じられなかったです。演じる黒木翔吾は理不尽な判定負けをしたことからボクシングをやめてしまったという人物です。まあ普通に考えれば、やけっぱちで当たり散らしてでしょう。早い話短気ということです。そうした、クソっ!!!!という無分別さのエネルギーみたいなものがあまり感じられなかったです。

笑顔もきれいですし、優しさのほうが前面に出る俳優さんのようです。

世界チャンピオンの中西利男役の窪田正孝さん、妙に(笑)現実感がありました。人を舐めたところとか、それが不安の裏返しに見えたりするところがとても良かったです。

ビックリしたのは橋本環奈さんです。映画的存在感がすごいです。何をするわけでもないアップのワンカットだけで主張できています。映画の内容としては、佐藤浩市さん演じる広岡仁一の姪役で、後半には黒木(横浜流星)と一緒に暮らすようになるという、こうした映画のパターンの役割ですが、この俳優さん、映画の流れを変えることができるだけの存在感をもっています。

結構チャラけた(見ていないのでゴメン…)映画に出ている印象の俳優さんでしたのでこれまで見たことがありませんが、是非見たくなるような映画に出てほしいと思います。

昭和的価値観の払拭に苦労か…

ボクシング映画というものは、それ自体に昭和の香りがします。ましてや「春に散る」です。

なのに、この映画からはあまり昭和の香りがしません。それにはいくつか理由があり、横浜流星さんのギラギラ感のなさもそのひとつかと思いますが、それとともに映画全体が淡白に出来ているからではないかと思います。

とは言っても、出だしの昭和臭さにはさすがに失笑がこぼれるほどでした。広岡(佐藤浩市)が居酒屋で騒ぐ客に注意して喧嘩になるシーン、その後の黒木(横浜流星)との出会いと絡みなんてもう昭和のドラマそのものでしょう。

「あしたのジョー」ですね。

その後、広岡は昔の仲間を集めようとします。原作は四人ですが、映画は三人、しかもひとりはうんとは言わずに、後に中西(窪田正孝)のセコンドについてしまいます。

黒木が、俺にボクシングを教えてくれ、今しかないんだ! とやってきます。この刹那感は完全に昭和のものですが、やはりここでも横浜さんの平成的爽やかさでそれが打ち消されています。

それを受ける広岡はどうかといいますと、すでに枯れています。「丹下段平」のような熱情がありません。はっきり言って、広岡が何をしたいのかわからない映画です。若い頃通ったジムの現オーナー(山口智子)に言われていたように黒木を自分のために利用しているだけに見えます。桜の花が散るように逝きたいだけにみえます。自ら言っていたように特攻のようにです。そして、実際に桜の下で死にます。ただ、そのストーリーもほとんど説明されません(描かれません…)ので実に淡白です。

中盤から終盤にかけては、昭和的な人物が登場します。黒木の母親(坂井真紀)とその愛人(という言葉がふさわしい…)の男(奥野瑛太)です。男は母親に暴力を振るうらしく、それを知った黒木が男に暴行をはたらき、組まれていた試合が危うくなるというつくりになっています。

結局、こうした脇ネタが持ち込まれるのは軸となる物語を分厚くするためのものなんですが、この母親のくだりにしてもかなり端折られており、徹底的に盛り上げようとの意識はなさそうでどこか腰が引けています。

その意味では広岡の姪(橋本環奈)と黒木の関係にもまったく情緒的なシーンがないままに一緒に暮らすことになっています。これが昭和のドラマであれば、こここそが見せ場にもなるところです。それが見事に端折られています。

そしてもうひとつ、黒木(横浜流星)と中西(窪田正孝)のボクシングシーン、あんなにボコボコ殴り合ったらどちらかが死ぬんじゃないかと思い、こ、これは、「力石徹」か…と見ていましたら、突然偽スローモーションになり、最後はともに倒れて判定となり、黒木の勝利で終わり、ともによくやったと抱擁しあい、ウィンウィンみたいな今どきの終わり方をしていたのも、結局のところ、ネタは昭和なのにそれを払拭しようとあがいたということだと思います。

さらに言えば、黒木は片目を失明した(多分…)ものの、第2、第3の人生を歩むという、つまりは、ビズリーチという価値観で終わる映画ということになります。

あしたのジョーはもういない…

最近の邦画でボクシング映画といいますと「BLUE/ブルー」とか「ケイコ 目を澄ませて」とかを見ていますが、これらにはほとんど昭和的価値観が感じられません。

あゝ、荒野 前篇」「あゝ、荒野 後篇」には昭和的背景が感じられますが、そもそもこの映画はボクシング映画ではなく青春映画です。ああ、その意味では「BLUE/ブルー」も青春映画ですね。「ケイコ 目を澄ませて」もボクシング映画とは言えないかも知れません。

春に散る、今しかないんだ、燃え尽きる、もうそうした価値観を美しいものとして描ける時代ではないのだと思います。

ただし、そうした価値観を持つ若者がいなくなったというわけではありません。