ソン・ランの響き

ノスタルジックな映像と余韻ある俳優の演技の調和

1980年代が舞台のベトナム映画です。

ベトナムの1980年代といいいますと、ベトナム戦争は1975年に終結しているのですが、その後もカンボジアでの覇権争いや中国との戦争があり、安定の兆しが見え始めるのは1990年以降ですので、政治的にも経済的にも大変な時代だったと思います。ドイモイ政策が始まるのも1986年です。

ただ、この映画にはそうした政治経済的な背景を感じさせる描写はありません。

ソン・ランの響き

ソン・ランの響き / 監督:レオン・レ

で、見終えた後、どういう監督なんだろうと公式サイトを見てみましたら、プロデューサーの名前ゴ・タイン・バンさんに見覚えが…と読み進みましたら「サイゴン・クチュール」のプロデューサーの方でした。

その「サイゴン・クチュール」も1969年の話なのにベトナム戦争の影がないことに驚いたのですが、(ベトナムで言えば)戦後生まれの海外育ちということからの価値観があるのかもしれません。ゴ・タイン・バンさんのプロフィールを引用しておきます。

1979年、南部メコンデルタのチャーヴィン省に生まれ、10歳で家族ともにノルウェーに移住。1999年、ベトナムに帰国し、(略)モデルとしてのキャリアをスタート。(略)女優として成功する傍ら、起業家としても活躍、2009年9月タレント事務所ベトナムアーティストエージェンシー(VAA)を創立、(略)さらに、スタジオ68という制作チームを率いて、2015年から映画製作にも進出(公式サイト

ベトナムの映画製作状況はわかりませんが、「サイゴン・クチュール」にしろ、この映画にしろ、ベトナム国内でどう捉えられている映画なのか興味のあるところです。

で、この映画ですが、とてもシンプルな物語であり、映像と俳優の存在感で余韻を感じさせる映画です。

全体的にセピアっぽい色彩ですし、逆光や夕陽の色合いを多用しています。夜間の街並みの陰影の強調、それに仰角や俯瞰(俯角)の映像も特徴的です。演技的には、間合いをたっぷり取って人物の思いをじんわり感じさせるようにつくられています。

レオン・レ監督は1977年生まれですのでゴ・タイン・バンさんと同年代です。初めての長編とのことですが手慣れたつくりで隙がなく安心して見ていられます。

物語は、これを日本に置き換えて、なおかつ異性間の話にしてみますと、批判的な意味合いではありませんが、過去をもつヤクザものと旅芸人の恋愛がらみの物語というかなりベタな話ではあります。

今は借金の取り立て屋というヤクザな仕事に身をおいているユン(リエン・ビン・ファット)は、もともとカイルオン(カイルーンと発音されている)という伝統的な歌劇を演じる家庭に生まれ、本人はソン・ランという楽器の手練でもあります。

ユンの取り立てはいつも非情です。クールな殺し屋イメージのキャラクターであり、取り立てシーンが2シーン(だったかな?)描かれます。そのひとつが映画のオチになっている家族への取り立てで、両親が留守の間に幼いふたりの子どもに優しく接する様子を見せておき、戻った父親には暴力的に変貌するという描き方です。

そのユンが、カイルオンの歌劇団に取り立てに訪れ、いつもどおりの非情さで取り立てようとしますが、そこに花形役者のリン・フン(アイザック)割って入ります。

これが物語の軸となっているユンとリン・フンとの出会いで、結局、ユンは取り立てに躊躇してその場は引き下がります。

この出会いのシーン、映画を見る前に予告編を見ており、運命的な出会いのシーンなんだろうと予想して見てしまいましたが、意外にもあっさりしていましたので、おや? と気になったシーンです。

公式サイトには「ボーイ・ミーツ・ボーイ」なんていうコピーもありますが、見終えてみますとそうとも言えず、もし二人の関係を最後まで描いてしまいますとすれ違いになる気配もあります。ラスト、ユンは非情な取り立ての恨みを買い刺されて死んでしまいますので、二人の関係がどうなるのかは描かれていません。

ユンが、この劇団への取り立てに躊躇したのはリン・フンに対する何らかの感情が生まれたというよりも、一番にはカイルオンへの郷愁的な思いからと考えたほうが自然です。実際、その後もユンがリン・フンへの恋愛感情をもつようには描かれていませんし、むしろ、後にリン・フンの歌の伴奏をすることになりますが、それによりカイルオンの演奏家への回帰の思いが強くなったんだろうと思います。

ところで、ソン・ランというのは下の画像の打楽器なんですね。映画の中でもユンが二弦のリュート系の楽器を演奏する中に2,3カット挿入されますが、映画の流れではそのリュートのことをソン・ランというのかと思いました。

ソン・ラン

リン・フンの方はユンに惹かれていきます。そのきっかけは、最初の出会いの翌日だと思いますが、街で見知らぬ男たちに絡まれ、喧嘩になり、ユンに助けられ、その喧嘩で家の鍵を失くしたことからユンの家に泊まることになり、親しく話をするようになったからです。

リン・フンがユンに惹かれていくことにはもうひとつドラマ的仕掛けがしてあります。リン・フンはスターではありますが、劇団の重鎮からはリン・フンの演技に感動が生まれないのは人生経験が足りないからだなどと言われており、演じていいる演目は悲恋物語なわけです。ドラマ的には、リン・フンは恋愛を欲している状態にしてあるということです。

ふたりのよそよそしさを解くきっかけがテレビゲーム(ファミコン)というのはどうよと思いましたが、とにかく、お互いの境遇もぼそぼそと話すようになり、ユンがカイルオンで育ち、父親がソン・ルンの奏者であることから、父親の残した詩をユンの伴奏でリン・フンが歌うということになります。

今の欧米や中国の映画であれば、この展開であればセックスシーンまで進んでしまうのではないかと思いますが、これがベトナム映画だからなのか、そもそもそういう意図はないのかはわかりませんが、この映画はそちらへは行かず、ユンにヤクザな道から足を洗わせ、再び演奏者としての道を歩ませようとします。

そして翌日、リン・フンはユンへの思いをはっきりと意識し始めカイルオンの舞台に立ちます。ユンは雇われている高利貸しとも縁を切り、リュートとソン・ランを携え劇場に向かいます。

カイルオンの悲恋物語のクライマックス、リン・フン演じる王子の愛する敵国の王女が(何者かに)切られたその瞬間、劇場の前でユンも取り立ての恨みをもつ男に刺されて息絶えます。

その瞬間、リン・フンは愛するユンの死を感じ、それまで一度たりとも感じたことのない思いを込めて悲しみの歌を歌うのです。

これまでにないスタンディングオベーションの中、カイルオンの幕が下ります。

余計なものを削ぎ落としたとてもシンプルなドラマにまとめられています。ベタな物語なのに、カイルオンという、日本で言えば歌舞伎のような人間の感情を概念化することで成立している伝統芸能を枠組みにしていることが功を奏していると思います。

こういうノスタルジックな映画もいいのですが、現代劇も見てみたいですね。

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