タロウのバカ

菅田将暉、太賀、YOSHIの怒りは今に通じるか

これを今作りますか!? って感じの映画です。

「怒り」と「暴力」しかありません。

タロウのバカ

タロウのバカ / 監督:大森立嗣

ああ、逆に今なのかな?

ある意味、怒る相手が見えなくなっている今、怒り続けるしかない、怒る自分が消えてなくなるまで、怒り続けるしかないということかも知れません。

大森立嗣監督、過去の作品一覧を見てみましたら、「まほろ」とかはDVDですが、ほとんど見ていいます。作風が幅広いのか、雇われ監督が多いのか、黒木華さんがお茶を習う「日日是好日」から、宗教、性、暴力を描いた「ゲルマニウムの夜」まで多種多様です。コントのような「セトウツミ」なんてのもありました。

この「タロウのバカ」は、映画監督としてデビュー以前の1990年代に執筆したシナリオに基づいているそうです。

なるほどという感じがします。バブル崩壊後のあの時代であればもう少しリアルに感じられたかも知れません。この映画のタロウはネグレクトの犠牲者ですし、高校生の洋子はウリと称して売春(援交)をしています。そのどちらも1990年代に表面化してきたことだったと思います。

そうした時代背景的なこともありますが、それだけではなく、さすがにここまで「怒り」と「暴力」だけのものですと、遠い過去の出来事のような感じがします。

映画の作りも、時間はおよそ120分あるのですが、ほとんど時間軸がみえず、まるで静止しているかのようです。

実際、冒頭は、半グレ(と公式サイトにある)の吉岡(奥野瑛太)と役割がよくわからない小田(國村隼)が、障害者や老人を監禁している(らしい)部屋に入ると、ひとり血を流して死んでおり、その理由もわからないまま、とにかく吉岡は興奮状態で怒鳴りまくり、いきなりある男を殴り飛ばしたと思いましたら、それがエージ(菅田将暉)なんです。その後、ふたりは死体を運び山の中に埋めるのですが、そこで小田も吉岡に撃ち殺されてしまいます。

そして、シーン変わり、川岸の草むらのタロウ(YOSHI)のシーンになっていくという始まり方です。

ですので、その最初のシーンの違和感から、まずはラスト(近くの)シーンを最初に見せておいて、いったん過去に戻り、クライマックスでその最初のシーンをやり、その後結末を見せて終わるんだなと思っていました。

全然違いました。どうやら映画は時間軸どおりに流れていたようです。ですので冒頭のシーンの意味はよくわかりません。それに、ドラマとしては大した進展はありません。ひたすら「怒り」と「暴力」です。

タロウは15歳(だったかな?)、学校へ行ったことはないと言っています。予告編ではストリートチルドレンかと思っていたのですが、母親もいて、家もあります。母親とのシーンは2シーンありますが、具体的に母親が何をしていて、なぜタロウが学校へ行っていないのか、それこそ出生が届けられているのかも語られません。

エージとスギオ(太賀)は高校の同級生です。

エージは柔道の特待で入学したのにケガか何かで柔道をやめざるを得ず、教師(かな?)に死ね!とか(社会の)隅っこで生きてけ!などと罵倒されていました。同じく柔道をやっている兄との1シーンがありますが、その他家庭のことは一切語られません。

エージはとにかく跳ね上がりもので、何がそうさせるのかわかりませんが手がつけられません。この映画の「怒り」と「暴力」はタロウのものではなくエージのものです。

スギオはエージに引っ張られて行動を共にしているようです。ですから一番悲壮的です。抜けたいと思っているようですが、どこか居心地がいいところもあるようで、一度父親とともに抜けたいとエージとタロウに会いに来ますが、結局抜けられずにさらに悲壮的になっていきます。

スギオは洋子という同級生に恋心を抱いていますが、洋子はウリをやっています。洋子がホテルに入るところをじっと見るシーンがあり、さらに悲壮的になっていきます。

ということで、ほぼ映画の8割方、三人の勝手気ままな時間がほとんど変化なく過ぎていきます。ですので、これが一年のことなのか、一日のこと(ということはないけど)なのか、さっぱりわかりません。

ある時、三人は吉岡を襲い、拳銃を手にすることで、さらにテンションもあがり、そのハチャメチャぶりも輪をかけたようになります。

そして、2,3度吉岡たちと鉄パイプを使うような抗争があり、最後はタロウが吉岡を撃ち殺します。その時、エージは頭に負傷します。

で、なんやかやで、完全に煮詰まってしまったスギオは拳銃で自分の頭を打ち抜きます。タロウと、頭へのケガのせいで歩くのもままならない朦朧としたエージは川辺を歩いていきます。川辺に座る二人、しばらく川を見つめていたタロウがふとエージに声をかけますが、エージはすでに死んでいます。タロウは、エージ!と幾度も叫んだ後、よろよろと歩き始め、河原のサッカー場でサッカーをする子どもたちの中に入り声の限り叫び続けます。

やはり当てなく怒り続ける者は自らの怒りに押しつぶされるということになってしまいます。

という映画です。

否定はしませんが、やはり構想した時に作るべき映画だったんだろうと思います。今でもその「怒り」は(世に)消えずに持続的に続いているとは思いますが、もうすでに、単に行き場のない「怒り」だけでは理解されない時代になっているということでしょう。

映画としても、さすがにこの単調さは2時間持ちません。菅田将暉さんも、演出とはいえ、ハイテンションさが単調です。タロウをやっているYOSHIくんは、まだ俳優としての魅力がわかるとことまでいっていません。太賀さんは唯一変化のある人物で悲壮さはよく出ていました。