国境ナイトクルージング

青春とは、孤独と哀愁に抱かれて、人恋しくもあり、そして気まぐれなもの…

イロイロ ぬくもりの記憶」で2013年カンヌ国際映画祭のカメラ・ドールを受賞したアンソニー・チェン監督、日本では10年ぶりの劇場公開作になります。ただ、その間も2本の長編とアンソロジーの1本を撮ったり、プロデューサーとしてはたくさんの映画に関わっているようです。空音央監督の「HAPPYEND」にもプロデューサーとしてクレジットされていました。

国境ナイトクルージング / 監督:アンソニー・チェン

青春、孤独と哀愁に抱かれて…

映画の舞台は中国吉林省延辺朝鮮族自治州の州都 延吉市です。延吉市の2023年のデータでは人口は565,400人、そのうち朝鮮族は305,800人で総人口の54.1%を占めているとあります。

ただ、映画の3人、ナナ(チョウ・ドンユイ)、ハオフォン(リウ・ハオラン)、シャオ(チュー・チューシアオ)、いずれも朝鮮族ではありません。と言いますか、そのことで物語が作られている映画ではありません。

ナナはフィギュアスケートに挫折して今は延吉に逃げてきて(だと思う…)ツアーガイドをしています。ハオフォンは友人(だと思う…)の結婚式のために延吉に来ています。シャオは叔母と一緒にいれば食いっぱぐれがないからと飲食店をやっている叔母について来ているだけです。

誰も朝鮮と関わりがないのになにゆえの延吉市なんでしょう。

一番は国境の町ということかも知れません。地の果てイメージ(ゴメン…)です。それだけでどこか哀愁漂うものがありますし、特に延吉市は、中国における民族的マジョリティからすれば異国情緒が感じられるんじゃないかと思います。ナナがガイドするツアーにしても、ハオフォンが出席する結婚式にしても朝鮮文化を前面に出した演出がなされています。

それに寒さは失意の青春ものにはよく合います。白い息や背中を丸めて歩く姿(そんなシーンはなかったけど(笑)…)は挫折や孤独を表現するのに適していますし、寒ければ誰もが人恋しくなります。

英題は「The Breaking Ice」です。ただ、原題は「燃冬」、どういう意味なんでしょう。文字面からは暖冬みたいな感じですが(笑)、映画はとにかく寒そうです。緯度は札幌とほぼ同じなんですが、やはり内陸だからでしょうか。

冒頭、川(だと思う…)に厚く張った氷を切り出すシーンから始まりますし、氷でつくられた迷路のシーンがありますし、それにハオフォンがよく氷を噛んでいました。

ところで邦題の「国境ナイトクルージング」って、クルージングもしていないのになんやねん? と思いましたが、考えてみれば、この3人の当て所もない数日間の行動からすれば、おふざけタイトルだとしてもあながちズレたタイトルとは言えないかもしれません。それに映画自体もとりとめない内容(ゴメン…)ですので「砕ける氷」よりはいいかもしません(笑)。

青春とは気まぐれなもの…

ナナ(チョウ・ドンユイ)はツアーガイドです。韓国からの観光客でしょうか、朝鮮語を交えてバスツアーのガイドをしています。休憩中に足首を気にしています。疲れかなと思っていましたが、後に足首に傷があり、それがフィギュアスケートでのケガだとわかります。

ハオフォン(リウ・ハオラン)が結婚式に出ています。朝鮮式の結婚式ですので、どういう関係かはよくわかりません。上海の金融機関で働いているエリートですので同僚の結婚式という設定でしょうか。氷を噛み砕いたりして場になじまない物憂げさを醸し出しています。心療内科から予約確認の電話があったり、非常階段で見下ろすしぐさから悩みごとがあり自殺衝動があることを示しています。

シャオ(チュー・チューシアオ)はナナとは親しく話す仲であり、好意を持っているようです。叔母の飲食店で働いており、市場で食材を買い付けし、今日もつけでなんて言っています。ただ、その市場のシーンや叔母の子ども(と思う…)とのシーンなど、あまり生きていません。なくてもいいんじゃないのという意味です。

ナナがガイドするツアーにハオフォンが参加したことから知り合い、ハオフォンがスマホをなくしたことを契機に親しくなり、そしてナナが誘ってシャオを交えて飲むことになり、その夜、盛り上がって飲みすぎ、さらにナナの住まいに突入してさらに飲んで翌日、目覚めたときにはすでに時遅し、ハオフォイが乗る予定の上海行き飛行機は飛び立った後ということになります。

そして3人の気まぐれの数日が始まります。それを「青春」と言います。

青春とは人恋しいもの…

特別物語の軸となるようなものはなく、物憂い青春の日々がナナを中心にして進みます。飲んで、踊って、バイクでぶっ飛ばして、人恋しさからセックスして、そしてそれぞれの日常に戻っていきます。

キャスティングからしてどうしてもナナを演じるチョウ・ドンユイさんが軸になります。

ナナは行動的と言いますか、何事にも決断が早い人物です。チョウ・ドンユイさんがよく役柄にあっており、ガイドシーンもとてもキレがいいです。一人で参加しているハオフォンを気遣っています。団体客の中でひとり暗〜い印象のハオフォンですからそりゃ目立ちます。そういう演出です。そのハオフォンがスマホをなくします。ナナがお金を渡して会社には苦情を言わないでねなんて言っていました。ちょっとよくわからない行為でしたがそういう社会なんでしょう。

そして、ホテルに入っていくハオフォンの後ろ姿を見つめて、ナナが、夜の予定は?と声を掛けます。

ナナの人物像がよくわかるいいシーンです。後に二人は関係を持つことになりますが、その際にもナナがハオフォンにシャワーは? と誘い、戸惑うハオフォンに男が好きなの? と畳み掛け、ハオフォンの膝で膝枕をします。おそらくアンソニー・チェン監督の妄想女性像でしょう(笑)。

それに対してハオフォンはどこか煮えきらない人物になっています。ほとんど人物背景がわかるシーンはありませんが、本人から、母親は教育ママで言われるがままに頑張ってきたがどうこうと挫折感を語るシーンがあります。それだけです。

シャオの人物背景がわかるシーンもほとんどなく、自分は勉強が嫌いで叔母についていれば生きていけるみたいなことを言っているだけです。ただ一つ、ハオフォンが愚痴を漏らしたときだったかに、好きなように生きればいいんだ(こんな感じだった…)と自己弁護的に言っていました。

という3人が、飲んで酔いつぶれたり、バイクの3人乗りで北朝鮮との国境に繰り出したり、本屋で一番分厚い本を盗んだ者が勝ちみたいな遊びをしたり(お金は払っていた…)、言葉通りの「青春」を刹那的に謳歌します。

シャオがナナの部屋を訪ねますとハオフォン出てくるシーンがあります。当然シャオには状況はわかるわけですので、ナナに好意を持っているシャオとしてはショックなわけですが、それをぐっと飲み込んで何事もなかったようにその後も3人でつるんで遊ぶという展開にしています。

こうしたところもアンソニー・チェン監督のセンス(知らないけれど…)がよく出ています。

そういえば、強盗が指名手配されているとの話が幾度か入り、え? シャオ? という気もしましたが、まったく関係なく線路上で男が逮捕されるシーンまで入れてつじつまを合わせていましたが、あれ、どういうこと?

なぜ、白頭山(長白山)神話?…

終盤になり、ハオフォンが天池に行きたいと言い出します。上の GoogleMap にもありますが、国境に位置する長白山、朝鮮名白頭山にあるカルデラ湖です。金日成神話に使われている例の白頭山です。

Baekdu Mountain Winter
Farm, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

雪の中、シャオのトラックで向かいます。途中から徒歩で登ります。しかし、悪天候のため途中で挫折します。あっけない撤退でしたので、え? と思ったのですが、青春に挫折はつきものということなんでしょう。

この白頭山行きには朝鮮民族の神話が関係しているようです。ですので、あえて長白山ではなく白頭山と書いているわけですが、ハオフォンが本屋ゲームのときに見ていた本にあり、また、この白頭山行きの過程でハオフォンが話していた、白頭山、熊、虎の話は朝鮮民族建国の神話のようです。私も知りませんでしたので引用です。

はるか昔、桓雄(ファンウン)が地上に降り立った。虎と熊に「百日間、洞窟でニンニクとヨモギだけを食べて暮らせば人間にしてやろう」と伝えた。虎は我慢できなかったが、熊は百日後、美しい女性となって桓雄と結婚。韓民族の始祖である壇君(ダンクン)が生まれた。白頭山は韓国人にとっても聖地でもあり、霊山でもあるのだ。(GLOBE

金日成伝説もこれを利用しているということなんでしょう。

それにしてもなぜ3人ともに朝鮮と関係がないのに(ひょっとして関係があるとの設定?…)こんな神話を持ち出したんでしょう。不思議ですね。それにこじつけのようにその帰り道、熊と遭遇し、ナナが恐れることなく熊に触れて交流するようなシーンまで入れています。

で、その後映画をどう終えていたかあまりはっきりした記憶はありませんが、それぞれがそれぞれの日常に戻っていったということだと思います。

その前にハオフォンとナナのシャワーカーテン越しのラブシーンがありました。あんなシーンいらないですし汚いです。余計なことでした(ゴメン…)。

という、青春ものとしては悪くありませんが、物語としてはツッコミ不足で中途半端ではありました。