ゾンビランド ダブルタップ

笑いと差別は紙一重…かな?

一作目の「ゾンビランド」の成功の後、かなり早い段階から続編の話が出ていたように思いますが、やっと「ゾンビランド ダブルタップ」登場です。

ゾンビ好きというわけではありませんが、こういうただひたすら理屈を超えた展開のおバカ映画は大好きです(笑)。言わずもがなですが、何かを語るような映画ではありませんので、以下、感想程度です。

ダブルタップはスマホをトントンと2回タップする場合に使いますが、ここではゾンビを二度撃ちするという意味で使われています。

ゾンビランド ダブルタップ

ゾンビランド ダブルタップ / 監督:ルーベン・フライシャー

大いに笑えますが、台詞が難しい(涙)。英語ネイティブじゃないと台詞の掛け合いは半分くらいしか理解できないんじゃないでしょうか。それにパロっている映画がいくつかありますので、それらを知っていれば楽しみも倍加するとは思います。後は音楽、というよりも社会現象の意味合いのほうが強いのですが、プレスリー、ボブ・ディラン、ヒッピー・ムーブメントなどを取り入れています。

一作目をそれほどはっきり記憶しているわけではありませんが、それに比べますと、対ゾンビという視点はかなり後退しており、登場人物のキャラクターとその間の掛け合いで見せる映画になっています。

ゾンビについては公式サイトに三種類のゾンビ「ホーマー」「T-800」「ニンジャ」が紹介されていますが、映画自体はせいぜい「T-800」が不死身(的)になったと語っている程度で、ゾンビの生体についてどうこうというシーンはまったくありません。T-800 に襲われ絶体絶命的な危機が訪れるということもありません。

ホーマーは「ザ・シンプソンズ」から、T-800は「ターミネーター」から、そしてニンジャは…何でしょう? ニンジャ映画の漠然としたイメージからでしょうか? どれもさほど突っ込んだキャラ設定じゃないですね(笑)。

ですので、この映画、ゾンビ映画というよりも、キャラクター映画、登場人物のキャラで持っている映画ということになります。その意味では、なぜ4人が一緒に行動しているかくらいは事前に知っておかないと、冒頭いきなりコロンバスが決めた32のルールを紹介しながらゾンビをやっつけるシーンから始まりますので、この続編が初見ですと面食らうかもしれません。

特に目立つキャラクターはウディ・ハレルソンさんのタラハシー、この映画はこのタラハシーの映画ではないかと思うくらい思いっきりやっていました。「ナチュラル・ボーン・キラーズ」以降、結構見ている俳優さんです。最近では「スリー・ビルボード」で紹介されることが多いようですが、見ておらず、割と印象に残っているのは「LBJ ケネディの意志を継いだ男」とか「ガラスの城の約束」とかです。

映画の舞台は、ホワイトハウス、グレイスランド、バビロンと移っていきますが、プレスリーファンの聖地グレイスランドでは、タラハシーが例のつなぎの衣装を着てプレスリーになりきっていました。

グレイスランドとはテネシー州メンフィスにあるプレスリーの邸宅一帯のことで、元首相の小泉純一郎がブッシュ一家の前でエアギターをやっていたところです。

グレイスランドもそうですが、4人が根城にしているホワイトハウスのセットにはあれこれらしい小物がたくさん配置されており、DVDが出れば細かいところをチェックするのもまた楽しい映画かと思います。

で、タラハシーですが、ラストのクライマックスとなる押し寄せるT-800との戦いでも全面的にフィーチャーされおりもっとも活躍していました。やはり、これはウディ・ハレルソンさんの映画と言ってもいいですね。

ジェシー・アイゼンバーグさんがやっているコロンバスはかなり控えめの扱いで、恋愛パートの担当のような位置づけでした。相手はウィチタ(エマ・ストーン)、こちらも同じように控えめになっており、代わりに、新キャラクターとしてマディソン(ゾーイ・ドゥイッチ)が登場し、徹底的におバカキャラを演じてコロンバスやウィチタよりも目立っていました。

マディソンのキャラは、偏見差別的言葉ですが dumb blonde(美人だがお馬鹿な金髪女という意味) 、日本で言えばギャル系ですので、ウィチタとは対照的な人物としてコロンバスとの三角関係的な関係を狙ったのでしょう。実際、コロンバスはウィチタにプロポーズするのですが、断られ、たまたまウィチタとリトルロックがいない時にマディソンと出会い、関係を持ち、その後ウィチタが戻ってくるという展開になっています。もちろん、それらはまったくシリアスな状況ではなく、すべてギャグ的です。

とは言っても、女性の人物像として、知的な人物とおバカ的な人物を並べて、おバカ的な人物に言葉の言い間違いなど無知さのイメージを貼り付け、まわりの人物にそれをバカにするような表情をさせ、三角関係においても最後は男に知的な人物を選ばせるというのは、笑いをとるためとはいえ、かなり価値観が古い(し、いただけない)のではないかと思います。

もうひとりのキャラクター、リトルロック(アビゲイル・ブレスリン)、こちらもあまり目立った人物にはなっていませんが、物語をオチへと引っ張っていく役割が与えられています。

ウィチタとリトルロックは、タラハシーの偉そうな態度、多分4人の疑似家族の中の父権的なものが意識されているのだとは思いますが、その強権的な態度に嫌気が差してホワイトハウスから出ていきます。その途中でボブ・ディランのパクリ音楽を歌うヒッピー系の男に出会い、リトルロックはその男とともにヒッピー・コミュニティへ向かいます。ウィチタはホワイトハウスへ戻り、そこにはマディソンがいるという流れです。

そのコミュニティはバビロンと呼ばれています。古代都市のバビロンからの安易な(笑)ネーミングなんでしょうが、バベルの塔まであり、なんせヒッピー系ですので平和主義者であり、そこに入るには武器を捨てなくてはいけません。

リトルロックを追ってきた3人(&マディソン)も武器を捨てて(溶かされてピースマークのペンダントにされてしまう)中に入ります。そこをT-800ゾンビ集団に襲われますが、タラハシーの大活躍で難を逃れるというオチになっています。

と、大いに笑えはしますが、台詞に重きが置かれたつくりですので、なかなか字幕ではついていけない映画です。

さて、さらに続編という話が出てくるやもしれませんが、もうこれで打ち止めにしておいたほうがいいように思います。

一作目「ゾンビランド」をもう一度見てみよう。

ゾンビランド (字幕版)

ゾンビランド (字幕版)