「海角七号 – 君想う、国境の南 -」いい映画です。
台北で夢敗れたミュージシャン阿嘉(アガ)が、台湾最南端の故郷恒春に帰ってくる。当然くさる毎日だが、母のパートナーであり、町の有力者である男から、無理矢理郵便配達の仕事をあてがわれる。そんなある日、日本のミュージシャン中孝介を招いての町おこしライブイベントが企画され、急遽前座のバンドを住民たちで結成することになる。
と来れば、当然、バンドはアガを中心に組まれるだろうし、映画はその紆余曲折やライブでの成功が描かれるだろうと…。まったくその通りです!
と言った、取り立てて目新しさのある話ではない、いわゆるベタな話というやつなのに、すっかりやられてしまいました!
理由はいくつかあるんですが、何といっても、まずその展開のテンポと、些細なところに深入りしない、いわゆる青春もの、そうなんです、この映画、青春ものなんですよ。その青春ものの王道をいっているということです。
青春ものですから恋愛が必要です。相手は、友子(田中千絵)という日本人なんですが、この2人の関係の伏線として、60年前、戦争により引き裂かれた日本人教師と台湾女性の悲恋が描かれていきます。日本人教師は、引き上げの船の中で女性宛に7通の手紙を書くのですが、結局投函出来ず、60年後、その孫によって出された手紙が、今、アガの手にあります。手紙の宛名も友子(日本名を持つ台湾人ということらしい)という、一歩引いてしまうと何ともダサ〜いとなりそうな展開なんですが、なぜかそうはならないんですね(私だけかも?)。
手紙の文章がうまいです。脚本もウェイ・ダージョン監督らしいのですが、誰か日本人が周りにいるのでしょうか?日本語の手紙として自然です。やや抽象的な言葉遣いで綴られており、ナレーションとして各所に流れるのですが、聞いていて、ラブレターのモゾモゾ感もなく、意識的に音楽的(BGM)に扱おうとしているのか、淡々と読むナレーター(蔭山征彦)も私好みです。
他にも私好みがいくつかあります。
アガは、友子おばあちゃんの居所を突き止め、手紙を届けるのですが、後ろ姿が寂しい友子おばあちゃんの側にそっと置いてくるだけです。後ろ姿以外の友子のカットはありません。
60年前のシーン、港に立ちすくむ友子、女性を置き去りにして船の縁に隠れる日本人教師。その教師がそっと友子をのぞき見る見方が、柱の陰からなどではなく、うつ伏せのような体勢で船の縁から顔だけ出します。なぜそれがいいのかって?多分、その体勢に男のいろいろな気持ちが滲んでいると感じるのでしょうね。
アガと町の有力者がアガのバイク越しに話をするシーン。何にでも素直になれないアガですから、当然その男ともうまくいっているわけではなく、バイク越しの切り返しのシーンでも、アガの捨て台詞で終わります。でも、こういうシーンの積み重ねが、これといった分かりやすい説明的なカットを入れなくても物語を展開させていっていると思うのです。
バンドのメンバーに、多分10歳前後の設定だと思いますが、どこか悟ったところのある女の子がキーボードとして加わるのですが、なかなかいいキャラクターです。友子おばあちゃんの曾孫に当たるんですかね? そのあたりも、特別深入りしたり、説明されたりしません。
いろいろあって、結局前座であるアガたちのバンドは盛り上がります。じゃあ、メインである中(あたり)孝介の扱いはどうなるか?ちょっとしたことなんですが、うまいですよね。それまで所々で振ってあった「野バラ」をアガたちがアンコールで歌い始めると、中は「この歌、僕歌えるよ」とジョイントとするんです。中はどうなったの?と思わせない、さらっとしたうまい展開です。
町中の人が集まったような宴会(誰かの披露宴らしい)で、みんな酔っぱらいます。メンバーのひとりの元軍人、今警察官、どうも妻と別れたらしく、でも今でも未練たっぷりの男が、海辺の防波堤に行き、「あ、みっけ」みたいなセリフの後のカットがすばらしい!その前のシーンは、アガが席を外し、友子も酔っぱらって外に出るカットがあるわけだから、当然そのどちらかがいると思いきや、何と防波堤に座って海を観ているのは、バンドの女の子とそのボーイフレンド(かも知れない)男の子がふたり、そして、その今警察官は、女の子の胸に泣き崩れ(というほどではないが)、さめざめと泣くのである。それが引いたカットで、何となくそれとわかる。これって、すばらしくないですか!
と、まだまだあるのですが、でも結局、何にも増して、この映画を観ると、台湾、それも映画の舞台である台南の町、恒春へ行ってみたくなるのです。
いやあ、長くなってしまいました。
で、思い出しました。
最近観た台湾映画の「練習曲」と韓国映画の「GOGO70」、特に「GOGO70」は同じくバンドもので感動しました! 日本未公開かな?