かごの中の瞳

見えていなかったのはジーナ? それともジェームズ?

マーク・フォースター監督、見たのは「チョコレート」だけかと思っていましたが、あらためてウィキペディアを見ていましたら「マシンガン・プリーチャー」? あら? 見たような記憶が…とブログ内を検索してみましたら、ありました(笑)。ただ、読み返してみても全くよみがえってきません。

それにしても、いろんな映画を撮る監督ですね。「プーと大人になった僕」というディズニー映画が最新作のようです。

公式サイト / 監督:マーク・フォースター

この映画、全編通して不穏な空気が流れています。何か起きるんじゃないか起きるんじゃないかともぞもぞしますし、確かに大変なことが起きるには起きるのですが、ただ、そのこと自体は描かれておらず、見終わってみれば、意外にもさらりとした印象です。

基本的な物語は、失っていた視力が戻り新しい世界を見始めた女と、それについていけず、過去に執着して負のスパイラルに落ちていく男の物語です。

結婚後数年くらいではないかと思いますが、互いに愛し合っている夫婦がいます。妻ジーナ(ブレイク・ライブリー)は幼い頃の交通事故で失明しています。スペイン人の設定かどうかはわかりませんが、事故はスペインで起き、両親は亡くなり、姉夫婦がバルセロナ在住です。

夫ジェームズ(ジェイソン・クラーク)は保険会社に勤めており、グローバル企業なのでしょう、現在はバンコク在住、スペインからの栄転だとか言っていました。おそらく、スペイン勤務の時に知り合って結婚したのではないかと思います。

考えてみれば、こうしたそれぞれの背景はほとんど関係してこない物語です。ジェームズも本当に働いているの? というくらいの生活パターンですし、そもそものジーナの失明も、とても20年(くらいだと思う)という期間を感じさせるような行動パターンではありません。

とにかく、そんな夫婦がいます。

で、冒頭は夫婦のセックスシーンから始まるのですが、実際の行為よりも、ジーナの脳内視覚イメージを表現することに力が注がれています。あれこれいろんなカメラワークや映像処理が使われ、その中に事故当時のフラッシュバックの映像を入れたりしています。

この映画の特徴のひとつは、そうした映像処理やカメラワークにあると思いますが、ドローン(かな?)を多用した流れるような空撮があるかと思えば、人物の顔や足元などごく一部のどアップがあったりと、あれこれやりすぎている感が強く、見る側にしてみればなかなか視点が定まりません。だって、ジーナの脳内イメージじゃなかと思うシーンに事故現場へ走る車の空撮が入っていたら見ていて混乱するでしょう。そうしたことも影響して、なんとも落ち着かないそわそわ感が生まれるのではないかと思います。

物語を進めますと、ジーナが角膜移植手術を受けます。左目だけですが、医師は視力 0.4くらいまでは回復すると言っていました。で、実際、手術は成功します。

初めて眼帯を取る時、おや?と思ったのですが、今から思えば、すでに伏線が張られていましたね。

ジーナが眼帯を取った時、最初見えないような素振りでやや落胆の表情をしていたのですが、その間わずか10秒くらいで、ジェームズが、いいんだ、いいんだ、やるべきことはやったんだとジーナを抱きしめるようにしていました。いくらなんでも、諦めるの早すぎるだろうと思ったのですが、ジェームズは最初からジーナの視力が戻ってほしくなかったんですね。

徐々に視力が回復していくジーナは、次第に生き生きとし始めます。ジェームズがどうだい?と尋ねますと、ジェームズ本人に対しても、住まいに対しても、思っていたのと違うと言ったりします。

一度失った視力が戻る感覚がどういうものかを知る由もなく、一般的な感覚でいうのもなんですが、それを言っちゃいけませんというようなことを言っちゃったわけです。

ジーナの気持ちが自分から離れていくのではないかと恐れたジェームズは、出会った頃の二人へ回帰しようとしたのか、スペイン旅行に誘います。

ところがこれが裏目、と言いますか、スペインにいたんならわかっているでしょうと思うのですが、ジーナの姉夫婦がちょっとばかりぶっ飛んでいる夫婦で、セックス用語連発、覗き部屋と言っていましたが、セックスそのものを見せる店に入ったりと、結構ハチャメチャぶりで、映画のつくりとしては、ジーナが変わっていくことのひとつの契機にとの意味合いなのでしょう。

あのスペイン人の描き方は多分ドイツ人の偏見ですね(笑)。 

ジーナが事故現場へ行くと言います。映画的には、それで何かが変わるというのが一般的ですが、この映画、特に何も変わりません。ただ現場で立ちすくみ、姉妹で抱き合い、そこへ突然爆音がしてバイク群がやってきてびっくりさせられるだけです。

バンコクへ戻りますと、二人の気持ちがすれ違うシーンが多くなります。ジーナが引っ越したいと言い出したり、突然髪をブロンドに染めたり、お出かけにセクシーなドレスを着たり、クラブで踊り狂ったりと、ジェームズの不安はつのります。

ただ、そうしたジェームズの不安感がことさら強調されているわけではなく、ジェームズ本人は割と淡々と描かれています。男の焦りというのはああいう感じかなという感じで、かなり意識して気を使っている感が出ています。

目薬がことを進めます。ジーナは目薬を処方されているわけですが、目薬をさしている途中にその場を離れ、その目薬をジェームスが注視します。

誰もが想像することが起きるのですが、そのことそのもののシーンはありません。ジーンが不調をきたすようになります。目薬が合わないのではないかと医師に尋ね、調べてもらうことにします。

一方のジェームズの行動も伏線となっています。二人は、特にジェームズは子どもを欲しがっています。でも出来ません。ジェームズはジーナには知らせず精液検査を受けます。医師からは、精子が少なく、子どもは望めないと告知されます。

さらに、ラストにからんでくる重要なことがあります。

住まいが隣なのか、親しくしている家族がいて、以前からそこの子どもとギターの練習をしており、その発表コンサートが予定されています。また、その家族は犬を飼っており、ジーンが引き取ることになります。

その犬の散歩中に犬が熱中症にかかり、以前からプールなどで出会っていた男に、家が近いから寄って休ませなさいと声をかけられ、それに従います。犬も元気を回復し、帰り際、別れの挨拶のキスがついついエスカレートし、関係を持ってしまいます。

この男は、視力が回復する前から、プールで言葉を交わしたり、犬の散歩中に出会ったりと、かなり前振りがしてありましたので、何かあるなとは思っていましたが、ここのシーンの展開は、どちらかといいますとジーナから求めたように描かれていました。

この映画、あまりメリハリが効いていなく、時系列の記憶が適当になっていますが、件の目薬の件、ジーナは、医師から目薬に問題があるとの報告を受け、今後は指定の(サンプルと言っていた)ものを使うようにとの指示を受けます。

おいおい、この医師、ダメだろう。目薬を調べて、異物が混入されているのなら、その時点で事件だろうと思うのですが(笑)まあ映画ですから。

なんだか、書いていても時系列が曖昧で、以下、適当に書きます(笑)。

ある日、住まいに泥棒が入り、犬もいなくなってしまいます。

ジーナが妊娠しているとジェームズに告げます。もちろんジェームズは自分の子供ではないと思(うように作られて)います。

ジーナが引っ越したいからと自分で見つけてきた家をジェームズが契約してきます。サプライズと言っていましたが、ジーナは大して喜んでもいなかったですね。妊娠していることがわかった前後だったかもしれません。いずれにしても、このあたり、時間経過が結構適当です。

妊娠したその相手が件の男かもしれないと、(ジェームスの無精子の件を知らないのに)ジーナは思うわけですが、その男と関係を持ったのは、男が数日でバンコクを離れると言っていた時なのに、妊娠がわかったときにはその男と連絡を取ろうとしていました(確か…)。

新しい住まいに引っ越します。自作の曲の発表コンサートの日です。

ジェームズが出かけると言って階段を下りていき、途中で、そのまま下りていったふりをしてジーナの様子を見ます。あれは、何をしようとしたんでしょうね? 見えているかどうかを確かめようとしたんでしょうか? 仮に見えないとしても、人間の気配って感じるとは思いますが、ジーナは、ジェームズ? と声をかけ、ジェームズは戻ってきたふりをして(かな?)抱擁します。

とにかく、この映画、こういう曖昧なシーンがとても多いです。それはそれでいいのですが、何かがうまく噛み合っていない感じで最後までしっくりきません。私はカメラ(撮影視点)が散漫だからだと思います。

ひとりになったジーナは手紙を見つけます。ジェームズの前では見えていないふりをしていますが、もちろん見えています。手紙には犬の写真が入っており、「白人の男が柵に犬をつないでいた。そのまま連れて帰って、もう離し難くなった。」みたいな(おそらく匿名の相手からの)内容で、つまり、泥棒が入り犬がいなくなったのもジェームズの狂言だったということで、まあ言ってみれば、ジェームズはジーナが可愛がる犬にまで嫉妬していたということでしょう。

誰もいない家にジェームスが戻り、落ちている手紙を見つけ、(まだ読んでいなかった?)読み、すべてを理解します。 コンサート会場に駆けつけたジェームズはそこでジーナ自作の歌を聴くことになります。


Blake Lively – “Double Dutch” (All I See Is You OST)

客席のジェームズはステージで歌うジーナと視線があっていることを感じます。その時、ジーナは、「… It makes me happy and all I see is you …」とジェームズに語りかけるのです。(原題:All I See Is You)

たまらなくなったジェームズは会場を飛び出し、車で走り去ります。車は蛇行運転、トンネル、反対車線に飛び出す車、そして前からは車のヘッドライト。

後日、元気な赤ん坊が誕生します。

結局、本当のところ、見えていなかったのはどっち? という映画でした。

いずれにしても、あれこれ策を弄さず、「チョコレート」のように俳優とシナリオを信じてオーソドックスに撮ればよかったのにと思う残念な映画でした。

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