霧のごとく

白色テロの時代も遠くなりけりは台湾の人々の日常感覚か…

台湾の「白色テロ」の時代を題材にした映画です。監督は「1秒先の彼女」のチェン・ユーシュン監督、その映画は男のかなり危ない妄想映画でしたので、このセンシティブな題材をどう撮ったのかとちょっと心配です(ゴメン…)。

霧のごとく / 監督:チェン・ユーシュン

ネタバレあらすじ

なるほど、「白色テロ」そのものを直接的に描いているわけではなく、その時代下の兄妹愛と妹を助ける男の人情に焦点をあてた映画でした。映画のトーン(あくまでもトーン…)としてはしばらく前に日本でよく作られていた昭和ノスタルジー映画のような感じです。

1秒先の彼女」とあわせて考えますとチェン・ユーシュン監督は情緒的かつ感傷的な映画を撮る監督ということかと思います。

「白色テロ」は右派国家権力が反体制の左派を拷問、殺害といった残虐行為をもって弾圧することを言います。アジアでは、台湾で1949年から1987年まで布かれた戒厳令化の政治的弾圧を指す言葉です。「国民党政権に対して実際に反抗するか若しくはそのおそれがあると認められた140,000名程度が投獄され、そのうち3,000名から4,000名が処刑されたと言われて(ウィキペディア)」います。

阿月、台北へ向かう

1953年、阿雲(20歳くらいの学生と思われる…)は台北での弾圧から逃れて故郷の嘉義のさとうきび畑に身を潜めています(ということだと思う…)。妹の阿月が食べ物を運んできます。阿雲は自分の描いたノートを見せ、将来は絵描きになりたいと言います。また、腕にはめていた時計をはずし、針を回しながら1年後や2年後にはこうなっていると明るく未来の話をします。

その後、阿雲は官憲に拘束されます。そして、時は経ち、阿雲が銃殺刑に処せられたとの知らせが入ります。遺体を引き取るには600元必要だと言われます。すでに両親はなく、世話になっている叔父にもお金はなく、それでも阿月は兄の遺品となってしまった時計と絵が描かれたノートと僅かなお金を持って台北に向かいます。

台北です。戦後10年といったところですが、日本映画で描かれる敗戦後すぐの闇市ひしめく町といった描写です。

台湾は1895年から1945年まで日本の統治下にありましたので当然空襲も受けていますし、その後中華民国に編入されたものの国民党の統治もかなり酷いものだったらしく、「犬去りて、豚来たる」(獰猛で騒がしい番犬(日本)が去り、食べるだけで何もしない豚(国民党)がやって来たという皮肉)という言葉が流行った(ウィキペディア)」らしく、実際にあんな感じだったのかもしれません。

短距離ロードムービー

台北についた阿月、さて阿雲は本当に死んでいるんだろうか? と、兄を探し求める阿月が白色テロ下の台北での官憲と反体制派のあれこれに巻き込まれて緊迫感溢れるサスペンス系の展開になるのかと期待したんですが、情緒派のチェン・ユーシュン監督ですのでそんなわけはなく、ただひたすら遺体が保管されている斎場を目指す短距離ロードムービーみたいなシーンが続きます。

全体で134分の映画ですので、100分近くはその過程が描かれる映画です。さすがに冗長ではあります。

まず、阿月は親切そうな男に騙されて売り飛ばされそうになります。それを救うのが自転車タクシーの車夫 趙公道です。公道は国民党軍の兵士として台湾にやってきたのですが、上司がスパイ容疑で逮捕され、そのとばっちり(多分…)で投獄されていた経歴の持ち主です。

公道はがさつだが心根は優しい男に造形されています。阿月につかず離れずの立場で支え続ける人物です。売り飛ばされそうになった阿月を助け、事情を聞いて時計を換金する手立てを教え(当初は騙したのかな…)、博打で阿月に稼がせるも最後には自分が賭けてパーにしてしまいます。その後は自身の経歴から官憲に狙われたり、その官憲の部下から上司を殺すことを請け負い、そのお金を阿月に渡したりします。

この阿月と公道の行動が100分近く続き、さらに映画は2000年代に老齢になった二人が再会するシーンで終えていますので、結局この映画の主題は阿月と公道の心のふれあいとすれ違いがテーマだったんだということです。

この100分の中には様々なエピソードが盛り込まれています。阿月の姉が幼い頃に養子に出されて今は踊り子をやっていることやある盗賊の男が何度も捕まるもののすぐに脱獄してしまう話や公道を拷問したという強面の官憲がその部下の男の初恋の女を手籠め(古い…)にしているからとその部下が公道に殺してくれと頼んでくる話などがあります。

こうしたかなり豊富なエピソードに包まれていますので、一見、阿月はこれらに翻弄されているように見えますが、まったくそうではなく阿月は最初から最後まで阿雲の遺体を引き取ること以外に心を動かすことはなく強固な意志を貫く少女に描かれています。おそらくこれはチェン・ユーシュン監督によって意図されたことではなく阿月を演じているケイトリン・ファンさんの存在感によるものだと思います。現在20歳です。

Caitlin Fang 20220709
PlayIN, CC BY 3.0, via Wikimedia Commons

結果として言えることは、このケイトリン・ファンさんをうまく活かしきれずに情緒性に頼りすぎて冗長になってしまった映画かと思います。

二滴のしずく

その情緒性は阿雲が書いたという「二滴のしずく」によく現れています。

「阿水」と「阿迷」と名のつけられた二滴のしずくはそれぞれ「雲」と「霧」となり、阿水は雲から雨、そして海に注いでその役目を果たすが、阿迷は霧のまま漂い消えていくだけという話です。

この話の結末には、阿雲が阿月に語ったパターンと阿雲が阿月の姉に語ったパターンの2つが語られており、その違いがどうであったかは記憶できていません。

霧は白色テロの犠牲者となった阿雲を指していると思われますが、雲が阿月や公道を指しているかどうかははっきりしません。所詮どちらも人が見る景色に過ぎないなんてまとめてもいましたので、やはり情緒的かつ感傷的なチェン・ユーシュン監督ということになります。

結局、1953年パートのラストでは阿雲の遺体は斎場にはなく、なんとか院に回されていましたので解剖実習の献体にされたということかと思います。ホルマリン(なんでしょうか…)で満たされた水槽に何体も浮かんでいる映像でした。阿雲の遺体は焼却され、阿月と姉はその骨を引き取ってこのパートは終わります。

ただ映画はこれで終わりではなく、その後、戒厳令が解除されて阿月に娘がいるシーンでは白色テロによる行方不明者のリストが明らかになり、阿月が公道の名がないかと落ち着かなくなり、そしてさらに時は経ち、2000年代になって阿月と公道が再会します。

病院を訪れた阿月はアナウンスで趙公道の名を耳にします。会計窓口の公道、顔を見合わせた二人に記憶が蘇ります。診察が終わるまで待っていてと言う阿月にうなづく公道、しかし診察室に入る阿月を見届けた公道はひとり病院を後にします。

感想、考察:センチメンタリスト、チェン・ユーシュン監督

センチメンタリスト、チェン・ユーシュン監督でした。

日本の公式サイトの「チェン・ユーシュン監督インタビュー」を読んでいましたら、「本作を撮ろうと思ったきっかけは?」に対する答えに次の言葉があり、ちょっとびっくりしました。

二・二八事件や白色テロがあったことは、多くの台湾人と同じように「なんとなく」知ってはいましたが、深く調べたことはなかった。ところが関心を持ち始めると、(以下略)

チェン・ユーシュン監督は1962年生まれですので二・二八事件や戒厳令が布かれた当初のことは知らないにしても戒厳令解除の1987年は25歳なんですけどね。そんなものかなあという気もしますが、今調べますと1970年代の台湾は経済成長の時代のようですので、チェン・ユーシュン監督の青春時代は「もはや戦後ではない」と言われた日本の高度成長期のような時代であり、社会の空気自体が変化していたのかもしれません。

結局のところ、「白色テロ」というものをよく知らなかったチェン・ユーシュン監督にとってみればノスタルジーとしてしか描けなかったということなんでしょう。

またそれは、この映画が2025年の金馬奨において最優秀作品賞など4部門を受賞したということからしますと、台湾社会においても「白色テロ」の時代が過去のものになってきていることを示しているんだろうと思います。