ドキュメンタリーではないドキュメンタリーのような現実感あふれるドラマ
ドキュメンタリーみたいだなあと観ていたんですが、やはり監督のアレッサンドロ・カッシゴリさんとケイシー・カウフマンさんはドキュメンタリーを撮っていたようです。それにエンドロールの写真を見ますとこの家族、本人たちが演じていますね。

ネタバレあらすじ
娘が欲しい! その理由は…
娘を養子に迎えたいという女性の物語なんですが、その思いの強さが尋常じゃないんです。それにその尋常じゃないところが尋常じゃなく現実的なんです。
ジャスミン(マリレーナ・アマート)は40代前半(多分…)、子どもが欲しいけれどできないとかではないんです。3人の息子がいるんです。それでもジャスミンは娘が欲しいんです。その理由がまたすごくって、毎日のように見る夢です。製鉄所で働いていた父親はアスベストのせいで癌で亡くなっており、その父親が夢に現れて道路の向こうから女の子をジャスミンの方に送り出すんだそうです。もちろん、本人がずっと女の子を欲しがっていたということはあるのですが、映画の中では夢の話が強調されて描かれています。
目の前で、え?! と思うことや、どういうこと? と思うことがおこなわれれば、まあ一般的にはちょっと引いて見たりすると思いますが、この映画は逆に引きつけられるんです。それだけ現実感がすごい映画ということです。
冒頭のタロット占い師との会話のすごさにやられるということもあります。ジャスミンはなにか苛立っているようにみえます。占い師も次第に苛ついてあなたが何を占ってほしいか言わなきゃ占えない!とキレていました。
え、どういうこと? と引きつけられ、続いて医師に相談するも2度も帝王切開で産んでいるから子どもは諦めたほうがいいと言われます。
え、子どもがいるのかい! とますますの不可解さに目が離せなくなります。
ジャスミンの実体験をドラマ化
と始まり、結局ジャスミンは養子を迎えようと考えるわけですが、夫リーノ( ジェンナーロ・スカーリカ)の説得、息子たちの了解、そしてかなり煩雑な手続きといった多くの難関を強固な意志で乗り越えていきます。
この映画がすごいのは、そうしたドラマよりもジャスミンを演じているマリレーナ・アマートさんの存在感です。
その存在感が生まれるわけのひとつがこのドラマは演じている家族の実体験だということです。かと言ってドキュメンタリーというわけではなく、シナリオのあるドラマであり、みな役名で演じているけれども俳優というわけではないということです。ジャスミンだけではなく、リーノも実際に夫です。長男もファミリーネームが同じですので実子でしょう。アマートさんは実際に美容室を経営しており、スカーリカさんも大工(木工職人?…)ということです。映画の中の美容室もアマートさんの店だと思います。
マリレーナ・アマートさんはアレッサンドロ・カッシゴリ監督とケイシー・カウフマン監督(以下両監督…)の前作「Californie(カルフォルニア)」に端役で出演(地元のエキストラ的か?…)しており、その際に両監督がこの養子縁組のことを知り、ドラマとして映画化したということです。
エンドロールの家族写真から想像すれば10年くらい前の話じゃないかと思います。家族で過去を追体験したということになります。
両監督へのインタビュー記事によれば、アマートさんもスカーリカさんも脚本を読んだり台詞を覚えたりはしていないということです。もちろんシナリオもあり台詞もあるのですが、二人のナポリ訛りがすごく強くて両監督にはそれを言葉として書くことができなかったということらしいです。
リハーサルの積み重ねでつくられたということでしょう。
ジャスミンの強固な意思
ジャスミンはヘアを片側刈り上げのツーブロックにするなどファッションセンスも個性的です。美容室のシーンでは、その客は常連なんでしょう、言い合ったりとパワフルです。また、高齢者施設の入居者の髪を切るボランティア(多分…)もしています。
長男は美容師を目指して母親のもとで修行中です。この長男に対してはやや溺愛気味に描かれています。繊細なところのある青年となっており後半に倒れたということでちょっとした騒ぎになっています。事実なのかも知れませんね(想像です…)。次男とは二人でゲームをやっているシーンで次男がかわってと言ってもジャスミンが譲らないシーンがあります。
どちらもジャスミンの人物造形のためでしょう。
リーノは個人で工房をやっており、カプリ島にもうひとつ工房を開きたいと考えています。ただ金銭的な余裕はなく、ジャスミンの父親への賠償金を当てにしているようなところがあります。
まずジャスミンにとってのひとつ目の難関、リーノの説得です。言い出そうとしてもなかなか言えません。ただリーノも強く反対している描き方ではありません。結局ジャスミンは直接言うことができなく、パーティー(誰かの誕生日だったかな…)の際に友人たちの前でいきなり娘を養子にすると宣言していました。まさしく宣言です。それでも喧嘩になったりはしません。リーノがなぜまず自分に言ってくれないと抗議するくらいです。
ジャスミンは子どもたちにもどう思うかを尋ねます。長男は好きにすればいいと答えるのみで、ジャスミンはその答えに不満そうです。これもその事自体が大きな問題となるわけではなく、おそらく二人の精神的な依存関係の結果でしょう。
そして、行政への事務手続きです。イタリアでの養子縁組は結構ハードルが高そうです。
イタリアの養子縁組は、実の親子関係と同様の法的な結びつきを持つ「完全養子縁組」が原則であり、主に3年以上結婚している夫婦が対象です。子供の福祉が最優先され、年齢制限(通常18〜45歳差)や、児童裁判所による厳格な審査・準備期間が必須です。(Gemini)
夫婦の両親の同意も必要とも言っており、母親の同意を偽装していたように思います(間違っているかも…)。それに子どもの性別を選べないということも言っていました。ジャスミンは何とかすると言っていましたのでなにか裏の方法を使ったということかも知れません。さらにこの映画の場合は国際養子縁組となりますので余計にハードルは高くなるでしょう。
映画はこのあたりのことをすっ飛ばしていました。両監督はインタビューで養子縁組についてまったく知識がなかったと語っていますし、あるいは現実には語れない何かがあったのかもしれません(想像です…)。
ラストシーンは一気にドラマへ
半年とか1年とか、かなりの月日が経った時点に飛びます。一面の雪景色シーンとなり、ん? となります。ベラルーシです。
ジャスミンとリーノは養子となる女の子ヴィットリアに会うためにベラルーシの児童養護施設へ来ています。担当者は言葉が遅れており精神障害があるかも知れないと言います。ジャスミンは障害とまでは聞いていないと言い、夫婦ともに不安そうです。ジャスミンは地元の医師に電話をして相談します。医師は丸が書ければ大丈夫だと言います。
ジャスミン、リーノ、施設の職員たち、そしてヴィットリアがいます。ヴィットリアに鉛筆を持たせますが書こうとしません。ジャスミンが丸を書いてと言い、職員が通訳します。しかしヴィットリアの手は動きません。徐々に空気が緊迫していき、職員たちが丸を書いて、丸を書いてとヴィットリアを急かし始めます。
オイ、オイ、それはダメだろ、と思っていたその時、それまで離れてみているだけだったリーノが突然、マル、マル、マルっとしつこいぞ! とヴィットリアを抱き上げ、抱きしめるのです。
ドキュメンタリーが一気にドラマに転換しました。さすがにグッときます。
感想、考察:身勝手さが愛に変容…
子どもたちのことを一番に考えなくちゃいけない児童養護施設の職員たちが責め立てるように、マルを書いて、マルを書いてとヴィットリアに浴びせかけますので、えー、どういうこと!? と違和感を感じながら見ていたんですが、そうきますか!
良くも悪くも映画が一気につくりものになった瞬間です。批判ではありません。もともとシナリオのあるドラマだと言っているわけですから。
という、アレッサンドロ・カッシゴリさんとケイシー・カウフマンさん両監督の映画センスとジャスミンを演じているマリレーナ・アマートさんの現実的な存在感がピッタリはまった映画ではあります。
ラストシーンの持つ意味は、ジャスミンのある種身勝手ともいえる望みがリーノによって普遍性のある愛に変容した瞬間ということだと思います。
それにしても俳優でもない人たちが自分の経験をドラマとして再現するというのはすごいですね。それもドキュメンタリーのような現実感を伴ってです。いずれにしてもジャスミンを演じたマリレーナ・アマートさんあっての映画だと言えます。
実はこうした試みの映画を過去にも観ています。ダニス・タノヴィッチ監督の「鉄くず拾いの物語」です。
『鉄くず拾いの物語』(原題: An Episode in the Life of an Iron Picker)は、保険証を持たないために医療を受けられない貧しいロマの夫婦が、流産しかけた妻の命を守るために必死に奮闘する9日間の顛末を描いた、実話に基づく衝撃のドキュメンタリータッチ映画です。(Gemini)
主演の夫婦が本人役で出演している映画で、この映画と同じようにすごい現実感のある映画でした。2013年のベルリン国際映画祭で銀熊賞の審査員グランプリとナジフ・ムジッチさんが男優賞を受賞しています。一度観てください。