廃用身

原作の発行年は2003年、先取りされた未来が今来ていると考えるならもっと突っ込んで描かないと…

「廃用身」そうした言葉があることも知りませんでしたが、漢字ですのでおおよその意味はわかります。久坂部羊さんの原作の映画化です。監督は吉田光希(𠮷田光希)さんです。

廃用身 / 監督:吉田光希(𠮷田光希)

ネタバレあらすじ

最後までポイントが定まらない映画ですね。いくつかのテーマらしきものは見えるのですが、それらがただ平板に並べられているだけで何かを伝えたいという意志は感じられません。

まず、廃用身という言葉ですが、

「廃用身(はいようしん)」とは、脳梗塞や脊髄損傷などの後遺症で麻痺し、リハビリを行っても回復する見込みがない、動かなくなった手足のことを指す医学用語(造語)です。
(Gemini)

「廃用症候群」という言葉はありますが「廃用身」は久坂部羊さんの造語ということだと思います。

で、いくつかのテーマらしきものというのは、まず要介護の高齢者問題、医師の倫理観、マスコミなどメディアの倫理観、一般大衆の盲従意識と手のひら返し、こんなところでしょうか。

映画の軸となっているのは介護施設の医師が回復の見込みのない麻痺した手足を切断する医療を推し進めることですので、介護問題が一番のポイントだとは思います。それなのになぜ平板に感じるかと言いますと、そのことに対して映画のつくり手の立ち位置がはっきりしていないからです。

問題提起したからあなたたち考えてねという感じと言えばいいのか、そうじゃないですね、その「考えてね」の意志自体が感じられないということです。ただこんなことがありますよと言っているだけでこれを伝えたいというものが感じられないということです。

意志なき問題提起

異人坂クリニックの医師漆原(染谷将太)は、脳障害などで回復の見込みのない手足を持つ要介護の高齢者のつらい表情や介護する家族の負担を見るにつけ、その解消方法として手足の切断を提案するようになります。

役に立たない不用なものは廃棄してしまえばいいという考えです。

テロップで「一例目」と出ていたと記憶していますが、実際に両足と片手を切断した高齢者の成功例がうたわれます。その高齢者は、体が軽くなった、気持ちが楽になった、片腕で何かやろうという意志が生まれたなどとその効果を施設の皆の前で報告しますので、それにつられて(かどうかははっきりしていない…)十何例(とあったと思う…)実施されます。

漆原はこの治療法の適切な言葉がないからと Aケアと名付けます。Aケアを施された高齢者たちはよかった、よかったと言っています。

その矢先、週刊誌に告発記事が掲載されます。それを機にマスコミが殺到することになり、世間では批判的な論調が増えていきます。

それにつれ喜んでいた高齢者たちも手のひら返しで手足を失ってつらいと言い始めます。Aケアを施せば夫の認知性も回復すると思い込んで切断を了承した妻も回復しないじゃないかと言い始めます。

一例目の高齢者が家族を殺害し自ら命を絶ちます。漆原の立場はますます悪くなります。

漆原は自殺します。

熱なきドラマ

こんな感じで進む映画です。

で、平板だとか意志が感じられないというのはどういうことかといいますと、すべての登場人物に熱がないのです。

漆原にしても、Aケアについて医療行為としての論理性を持っているのか、あるいは思い込みの結果なのか、はたまた何か悪意があるのかが最後までわかりません。結果として得られるもの、名声とか金銭とかが描かれるわけではなく、最後には自ら命を断っているわけですから、思い込みであるにしても論理性を持っていたはずです。それがまったく見えません。自ら命を断つことにも映画的説得力がまったくありません。

熱がないというのはそういうことです。同じことで一例目の Aケアの男にしても、家族の殺害は Aケアとは関係なく、息子の虐待と妻の放置(妻がやるべきという意味ではなく映画は放置と描いている…)です。その殺害にしても突然そのシーンを入れているだけでそこに至る憎悪も一切描かれません。虐待シーンを描いていますが、それは観客に対してこれはひどいだろと言っているだけで殺害にいたる男の憎悪ではありません。

その他2例ほどの Aケアが描かれていますが同じことでまったく熱が感じられません。

その後に描かれる世間の論調というのも、マスコミが押しかけるよくある画が挿入されるだけで実際には世間の論調なんてものは描かれていません。

メディアスクラムみたいなものを描こうとしたわけじゃないのかも知れません。ただ単に画として入れただけとか。いくらなんでもそれはないとは思いますが。

無意識の悪とか?

この Aケアを取材して書籍化しようとする出版社の矢倉(北村有起哉)が映画当初から登場します。

この矢倉にも全く熱が感じられません。映画的に何を矢倉にさせようとしているのかわからないということです。

矢倉の行為になにか問題があるように描いているわけではありませんので何なんでしょう。無意識の悪とか? 仮にそうだとすれば、Aケアに問題があることをもっときちんと描かないと矢倉の行為がよくないとは言えませんし、そもそも出版差し止めになっていましたけど、なぜ出版差し止めになったんでしょう。

ラストシーンでしたか、週刊誌への告発者は介護施設の看護師だと暗に示す終わり方をしていました。

つまり、この映画のつくり手たちは Aケアには倫理的に問題があると言いたいということになります。

感想、考察:現実との接点がなさ過ぎる

そうだとしますとそれを表現する力がなかったということしか考えられなくなります。

ところで、キービジュアルを見たときに「関心領域」を思い出したのですが、映画を観てますますその映画を意識しているんじゃないかという気がしてきました。

塀の中の中でおこなわれている残虐行為、それを知っていながら見てみぬふりをするこちら側ということでしょうか。

関心領域」のレビューにも「これを描きたいという思いが感じられない」と書いており、これも同じです。

もちろん原作の話ではありません。

え、初版の発行年は2003年ですか。

23年前ですね。であれば「廃用身」という視点は新しかったかも知れません。日本が高齢化社会に突入したと言われ始めたのはその頃ですので、時代を先取りしたインパクトのある小説だったんだろうと思います。

やはりテーマは医療倫理みたいです。

じゃあ、まさしく小説の世界が現実味を帯びてきているわけですからもっと突っ込んで描くべきでしたね。現実に「不用なものを廃棄する価値観」も存在しています。

脚本、監督の吉田光希(𠮷田光希)さんの力不足ということです。