シンプル・アクシデント/偶然

ジャファル・パナヒ監督が放つ不条理サスペンス、パナヒ監督の意図はどこにあるのか

昨年2025年のカンヌ国際映画祭パルムドール受賞作です。これでジャファル・パナヒ監督はパルムドール、金獅子賞、金熊賞制覇ですね。過去にこの3つを受賞しているのはアンリ=ジョルジュ・クルーゾー、ミケランジェロ・アントニオーニ、ロバート・アルトマンの3人ですので4人目ということになります。

シンプル・アクシデント 偶然 / 監督:ジャファル・パナヒ

ネタバレあらすじ

ジャファル・パナヒ監督には不屈の闘士という言葉がよく似合います。逮捕された回数は数知れず、2010年には実際に有罪判決を受け投獄もされています。それでもイラン国内にとどまり映画を撮り続けている監督です。

この「これは映画ではない」はその判決に対する控訴中の自宅軟禁下で撮られ、USB メモリで国外に持ち出されてカンヌ映画祭に出品された映画です。

さらに、ここ最近では2022年にも逮捕されています。この時はハンガーストライキをして48時間後に一旦は釈放され、その後、2025年の12月に国外に出ていたパナヒ監督に欠席裁判で懲役1年の判決が下されています。国外に出ていたのは、多分カンヌ国際映画祭への出席があり、その後アカデミー賞にノミネートされていましたのでその流れじゃないかと思います。

直近の情報では Iran Insights が今年の4月1日の記事で「パナヒ監督がイランに帰国した」と報じています。

アメリカとイスラエルによるイラン攻撃の真っ只中ですね。大丈夫なのかということもありますが、パナヒ監督はこの戦争に対してどういう立ち位置を取るのでしょう。それも気になります。

サスペンスタッチの導入

で、この「シンプル・アクシデント/偶然」です。

過去に私が観ている「これは映画ではない」「ある女優の不在」「熊は、いない」の3本は、パナヒ監督自身が登場するメタフィクションの映画でしたが、今回は完全なるフィクションです。それだけに、表向きは不条理コメディの体裁をとってはいますが、むしろパナヒ監督の怒りや闘争心のような感情が強く感じられ映画になっています。

映画は男が運転する車内映像から始まります。隣には妻が乗っています。フロントガラス越しに二人を撮った長回しです。外は街灯もない暗闇です。車やバイクの近づく音が唐突に入り、ライトの明かりとともに走り去っていきます。

サスペンスタッチの始まりです。犬の鳴き声も入り煽ります。さらに、突然爆音で音楽が始まり二人の間に女の子が映り込みます。なんだ?! とちょっとばかりびっくりしました。後部座席に娘が乗っていたんです。娘は音楽に合わせて踊っています。

車が何かにぶつかります。男は車から降りてまわりを確かめます。結局犬にぶつかったんですが、ここでもカメラは車の下を撮ったりせず、男のバストショットくらいの画角で固定したまま男がフレームに入ったり出たりする撮り方をしています。

娘が死んだの?(殺したの?だったか…)とつぶやきます。母親は「しかたない、これも神のお導きだから」と言っています。

男はしばらく走りますが車が故障します。暗い状態ですので何もないところかと思いましたら、突然車を横から捉えたその向こうが明るくなり修理工場があります。

この導入、うまいですね。え? え? え? と見ているうちに一気に引き込まれます。

よみがえる恐怖と怒り

ワヒド(ワヒド・モバシェリ)が修理工場の2階で電話をしています。1階では同僚が男に応対しています。男が歩く姿を見たワヒドの顔が引きつります(ちょっと誇張しています(笑)…)。男は足を引きずっており、耳をすませば義足がきしむ金属音が聞こえます。2階からは男の足元しか見えません。工具の在処を尋ねられたワヒドは隠れたまま声色を変えて答えています。

ワヒドにはイラン当局に逮捕され拷問された過去があり、その時の看守が義足だったのです。目隠しをされたまま殴り続けられ、その後遺症で腎臓をやられてしまっています。金属音を耳にしたワヒドには当時の恐怖と怒りが蘇ります。

ワヒドは男の後をつけ、すきを見て拘束し、誘拐します。そして、砂漠に穴を掘り埋めようとします。しかし男は人違いだと叫ぶばかりです。確信が持てなくなったワヒドは知り合いのサラルを書店に訪ねます。サラルは関わりたくないと言い、カメラマンのシヴァ(マルヤム・アフシャリ)を紹介してくれます。

ワヒドは車に男を乗せたままシヴァを訪ねます。シヴァはゴリ(ハディス・パクバテン)とアリ(マジッド・パナヒ)のブライダル写真を撮影中です。シヴァも関わりたくないと言いますが、男の匂いを嗅ぎ、そうかも知れないと言います。やり取りを聞いたゴリが興奮し始めます。ゴリにも拘束されて拷問された過去があるのです。アリは興奮するゴリを落ち着かせようとしますがおさまりません。アリは当事者ではありません。

シヴァは元カレのハミド(モハメッド・アリ・エリヤスメール)ならわかるかも知れないと皆でハミドのもとに向かいます。道路のこちら側からの車越しの画でシヴァがハミドに突き飛ばされています。別れを告げられた腹いせのようなんですが、ハミドが短気で気性の荒い人物であることを見せています。ハミドは男の義足の足に触れて間違いないと断言して男をすぐさま殺そうとします。

ハミドが足に触れて確信したのはなぜなんでしょう。

ゴドーを待ちながら

件の砂漠です。

興奮して手のつけられないハミド、落ち着かせようとするワヒドとシヴァ、おぞましい過去が蘇り苛立つゴリ、そんなゴリをなだめようと愛を語るアリ、そうした喧々囂々の論争ともみ合いが続き、次第に徒労感へと変わっていきます。

このパートのあてどない空気感がいいんですよね。映画の中でも台詞としてありますが、「ゴドーを待ちながら」的な不条理感があるんです。

砂漠に1本の木という空虚さ、結論の出ない徒労感、やがて何をやろうとしているのかわからなくなってきます。不確実性、不透明感、現代そのものです。

男の携帯電話がなります。男の娘が母親が倒れたと必死です。ワヒドには男の家がわかっていますので家に向かいますと母親は破水して気を失っています。皆で母親を病院へ運びます。母親は無事男の子を出産します。

復讐の連鎖か

ワヒドとシヴァは男を木に縛り付け、頬を叩きながら看守であることを認めさせようとします。

この時、残りの3人は去っているのですがその経緯は忘れました。それと男は薬で眠らされていたということです。

男はしばらくは人違いだと言い張っていましたが、やがてそうだと認め、居直り始めます。体制のため(と言っていたか? アッラーではなかったと思うが…)にやったことだと主張し、殺されれば殉教者となるだけだと豪語します。ワヒドとシヴァは拷問の恨みつらみをぶつけます。そして、男の妻が男の子を出産したことを伝えます。

ワヒドとシヴァは男を置いたまま去っていきます。男が謝罪らしきことを言っていたかも知れません。

後日、修理工場なのか家なのかはわかりませんがワヒドが母親となにか話した後、背を向けて奥に入っていきます。車がやってくる音がします。立ち止まるワヒド、義足がきしむ音がキー、キーと聞こえてきます。

復讐の連鎖か。

感想、考察:サスペンスってやはり「音」ですね

おそらく、ラストシーンの義足の音に明確な意味合いを込めているということはないでしょう。当然様々な意味にとられることは想定していると思われ、それはある種映画の常套手段ですので、シンプルな意味に置いて単に映画的処理としての選択だと思います。

それよりもこの映画のポイントは荒涼たる砂漠での5人のシーンにあると思います。

映画のつくりとしては、ラストシーンもそうですが冒頭の車のシーンのサスペンスっぽい始まりもいいです。子どもからの電話で出産を助けるという展開もうまいですし、それにそのことを美談扱いせず、男に妻を冒涜したと怒らせるところなどもとてもバランスのいい映画だと思います。

そして、サスペンスってあらためて「音」だなあと感じさせられました。

という、ジャファル・パナヒ監督の素晴らしい不条理サスペンスの映画でした。