ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ

正統派伝記映画にすべきだった

映画の邦題というのはどんなタイトルをつけてもあれこれ言われるものだとは思いますが、それにしても、この「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」はもう少し考えないと長すぎて肝心の「ビリー・ホリデイ」が三点リーダーに省略されてしまいます。

「奇妙な果実」とかにすればよかったんじゃないでしょうか。ビリー・ホリデイの代表曲「奇妙な果実」が人種差別を告発する曲であったためにアメリカ政府がビリー・ホリデイを葬り去ろうとしたという話です。

ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ / 監督:リー・ダニエルズ

ビリー・ホリデイvs.アメリカ政府

ビリー・ホリデイの伝記映画というわけでもありません。晩年の10年余りが描かれていますが、そのベースとなっているのは、イギリス人作家ヨハン・ハリによる『麻薬と人間 100年の物語』が描いている(らしい)ビリー・ホリデイであり、それによれば「黒人へのリンチに抗議した「奇妙な果実」を歌うのをやめろという連邦政府の命令に公然と反抗したこと(公式サイト)」が彼女の死につながっているということです。

もう少し突っ込んで言えば、ビリー・ホリデイの死もドラッグによるものという通説は正確ではなくアメリカ政府(麻薬取締局)にはめられたという描き方がされた映画です。もちろんこの映画は創作であり、ビリー・ホリデイが薬漬けであったことも否定しているわけではなく、麻薬取締局がそれを利用したということのようです。実際の生涯とはずいぶん違っているんだろうとは思います。

1947年あたりからの10年余りの映画です。すでにジャズシンガーとして押しも押されもせぬ地位を築いています。ウィキペディアで言えば「奇妙な果実」の項目あたりからです。

ビリーは、ニューヨークのクラブ「カフェ・ソサエティ」の専属歌手です。このクラブは黒人(だけではなく有色人種?)と白人が同席できるクラブだったそうです。ビリーの歌を聞くために毎日満員御礼状態で描かれています。ただ「奇妙な果実」は歌えません。当局(が何かははっきりしない)から歌わないように圧力がかかっており、マネージャー(夫?)が歌うな!と強く命じています。

奇妙な果実

「奇妙な果実」とは、アメリカの黒人が白人からのリンチにあい木に吊るされているその状態を生々しく歌っている曲で、南部の木は奇妙な実をつけるから始まり、その木は血にぬれ、吊るされた黒人の目はとびだし、体はカラスについばまれ、死臭を発しながら風に揺られているという歌詞です。

映画では、後半、ビリーが南部へのツアー中に黒人一家が襲撃されたところを目撃するというシーンで描写されています。木に吊るされた夫を泣きながら支える妻、かたわらには泣き叫ぶ子どもたち、そして家は無残にも燃やされて崩れ落ちており、まだ煙が立ち昇っています。

ただし、このシーン以外ではそうした暴力的な、あるいは表現としてはっきりした白人による人種差別は描かれていません。ビリーはすでにスターであり、白人のファンも多く、そこに偏見を感じさせる描写はありません。もちろん、たとえば劇場(カーネギーホールみたいなところ)での公演時に黒人と白人の席が分離されていたり、麻薬取締局の部屋が黒人と白人で別であったり、白人の捜査官が黒人の捜査官を白い目で見たりというシーンはありますが、むしろ意識されていると感じられるのは、黒人が黒人を差別しなくてはいけない立場に置かれていたり、白人の麻薬取締局長官がビリーを陥れるために、あえて黒人の捜査官に担当させ、黒人の捜査官が苦悩するという描き方です。

ジミーやビリー周辺の人物描写が雑

映画での人物配置は、ビリー(アンドラ・デイ)、そのビリーに「奇妙な果実」を歌わせまいとする白人の麻薬取締局長官アンスリンガー(ギャレット・ヘドランド)、そしてその部下の黒人捜査官ジミー(トレヴァンテ・ローズ)という3つの立場の人物配置でドラマは進みます。

なぜアンスリンガーが「奇妙な果実」を歌わせまいとするかは、当時、反人種差別運動が公民権運動として広がりを見せ始めていたために、ビリーの歌がそれを煽るものと考えられたために圧力をかけたということです。アンスリンガーのその方針がアメリカ政府のものであるのか、個人的な差別主義にもとづいているかまでは掘り下げられてはいません。いずれにしても、アンスリンガーはジミーの薬物使用で逮捕しようとするということです。

そして、その部下として働くジミーは命令により自らの立場を偽ってジミーに近づき麻薬使用の現行犯で逮捕します。そして麻薬取締局の中で黒人捜査官のトップのような地位に出世します。しかし、ジミーは後に麻薬取り締まりは口実であり黒人弾圧が本当の目的であると気づき、服役中のビリーに寄り添おうとする人物に変わります。このあたりがかなり雑に描かれていますのでよくわからないのですが、ビリーもそれを受け入れ、後には南部へツアーに出たジミーと関係を持つようになります。

このジミーという人物が中途半端にしか描けていないのがこの映画の一番の問題点です。

そしてビリーなんですが、ビリーの周りにはロズリン、ミス・フレディ、ルイス・マッケイ、ジョン・レヴィといったマネージャーであったり、夫であったり、スタイリストであったりといった取り巻きが常にいます。

この取り巻き衆がわかりにくいといいますか、なんだかごちゃごちゃしています。シーンの配分としては当然ビリーのシーンが全体の7、8割方しめますので、そうした取り巻きが常に登場してくる印象になります。なのに最後まで取り巻き以上の存在にはならないというのはちょっと鬱陶しいですし、映画の基本的な軸が何なのかよくわからなくなります。

結局映画は、アンドラ・デイ演じるビリー・ホリデイというキャラクターの存在感が前面に出る結果になっており、それがそもそもの趣旨であればそれはそれでいいと思いますが、タイトルにまでしているビリー・ホリデイ対アリカ政府という切り口の信ぴょう性みたいなものが怪しくなってしまいます。

実際、上に書きましたように黒人の捜査官ジミーの存在感もかなり薄いですし、アンスリンガーにしても同じことで、執拗にビリーを追い回すだけでの説得力が映画にはありません。

やはり「ザ・ユナイテッド・ステイツvs.ビリー・ホリデイ」という切り口でビリー・ホリデイを描くのであればもっと「奇妙な果実」に焦点を当てるべきじゃないかと思います。結果として、この映画が焦点を当てることになったのは、ビリーの薬物依存と男、そしてその人生に影響を与えているだろう幼少時代ということになっています。それならば最初からそれでいけばよかったのにと思います。

アンドラ・デイ演じるビリー・ホリデイ

アンドラ・デイさんはとてもよかったです。映画出演はもちろんのこと演技経験も初めてとのことです。アンドラ・デイのデイはビリーの通称「レディ・デイ」からとられているそうです。それだけに意気込みもすごいものがあったのでしょう。それがこの映画を見られるものにしている最大の要因です。

昨年2021年のゴールデン・グローブ賞ドラマ部門の主演女優賞を受賞しています。アカデミー賞主演女優賞にもノミネートされていたようです。受賞は「ノマドランド」のフランシス・マクドーマンドさんでしたが、この映画を見た今は、アンドラ・デイさんにしてほしかったと思います。

製作者たちは、ここまでできるのなら正統派伝記映画にすればよかったと考えているかもしれません。

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