人生に意味はない、なんのために生きるかではなく義務だ…
故郷に埋葬してほしいとの亡き妻の願いを叶えようと、おじいさんと孫娘が棺を担いでトルコからシリアまで旅をする(帰ろうとする…)というトルコ映画です。引用の画像やタイトルの葬送などといった言葉からは重く暗い映画かと思ってしまいますが、そうではありません。どちらかと言えばファンタジーです。
それになかなか興味深い映画で、ベキル・ビュルビュル監督、長編二作目にしてこの映画を撮るというのもすごいなあと思います。
人生に意味はない、義務だ…
まず、主役のおじいさん(デミル・パルスジャン)と孫娘ハリメ(シャム・セリフ・ゼイダン)にはほとんど台詞がありません。旅の途中みな親切にふたりを助けてくれますし、みな雄弁ですのでその人たちには台詞はあるのですが、おじいさんはアラビア語しか話せないということもあり、一言二言しか話しません。ハリメはトルコ語も話せますのでおじいさんに通訳するシーンがありますが、自分自身の意味ある台詞としては夢の中で叫ぶ台詞だけです。
また、撮影手法としては、フィックスでふたり、あるいはどちらかを撮るシーンがほとんどですので、そのカットのまま、車に乗せてくれた人たちであるとか、助けてくれた人たちの会話が入ります。説明的にその人たちのカットを入れたりはしません。ふたりのカットのままその人たちの台詞が入るということです。
後半になってきますとその台詞に味わい深いものが増えてきます。特にラジオから流れる宗教問答のような、人生相談のような会話が哲学的でとても興味深いものです。
その宗教者なのか、回答者なのかは、人生に意味はないと言っています。ただ生きるだけだとも、また何のために生きるかではなく義務だと言っています。何万光年(字幕には何千年とあったような…)前の光が今届くのに500年(だったか…)しか残らない本に何の意味があろうかとも言っていました(ちょっと変だから私の記憶違いか、翻訳ミスかも…)。
かなり印象に残ったやり取りだったのですが、イスラムの死生観とはちょっと違うような感じもします。脚本はベキル・ビュルビュル監督とビシュラ・ビュルビュルさんの連名になっています。
物語を語る映画でもありませんし説明的なものがない映画ですので、何でも説明してくれる映画を見慣れていますと眠気に誘われるかも知れません。ご注意…(笑)。
現実を見る人、希望を持つ人…
映画の中では具体的になにがどうしたといったことはなにも語られません。トルコからアラビア語しか話せないおじいさんが故郷に帰ると言えば、シリア難民しかないだろうと思うだけです。ふたりの移動もどこからどこまでと具体的に示されているわけではなく、ただ国境を目指していることがわかるだけです。
孫娘のハリメの様々な行為もなんとなく望んでいることではなさそうだ(シリア行きを…)とわかる程度です。公式サイトに「紛争が続くところに帰りたくないハリメ」とあることからそうなのかなと思うだけで、それを知らなければわからない程度の描写です。
たとえば、途中でおじいさんの靴がなくなったのは、ハリメがおじいさんにあきらめさせようと隠したと思われます。また、ハリメがおじいさんのジャケットから緑色のなにかを取り出していたカットがありました。何かはわかりませんがあれもそうした意味でしょう。運びやすいようにと棺につけたキャスターを取り外そうとしていたカットもありました。また、見逃してしまう程度ですが、ハリメの手がケロイド状になっていました。
こうしたハリメのちょっとしたカットで象徴的になにかを描こうとしているようです。
ハリメは絵を書くことが好きでスケッチブックにたくさん描いています。ハリメの過去を示すような数ページを見せるシーンもありました。地面に小枝で絵を書いていますといきなりおじいさんが小枝を取り上げてボキボキと折ってしまいます。希望を感じさせるような絵でしたので希望など持つなということでしょう。
おじいさんにはそうした象徴的なシーンはありません。ただ、妻の願いを叶えるために故郷を目指すだけです。現実を肌身で感じてきたおじいさんとそれでも希望を持つハリメということだと思います。
とにかく具体的に示されることはなにもありません。おじいさんと孫娘が棺をシリアまで運ぼうとして、途中いろいろな人に助けられ、でも国境の検問所で死体を運んでいるがゆえに逮捕され、結局その棺は故郷には程遠いその地で埋葬されてしまい、なおおじいさんは国境の金網を乗り越えて故郷の地に足をおろし、亡くなった妻との結婚式の幻をみるという映画です。
クローブひとつまみ
車の中からの映像で始まります。太鼓の音が響き、フロントガラスの向こうでは人々が踊っています。車はその中をのろのろと縫うように進みます。おじいさんとハリメが棺とともに車に乗せてもらい移動しているのです。結婚式で皆が踊り楽しんでいる村を通っているということのようです。
分かれ道に来た男たちはここまでだと言い、ふたりと棺をおろして自分たちの村へ車を走らせていきます。次に乗せてくれる車もなく、おじいさんはハリメが持っていた馬のおもちゃのキャスターを棺につけてコロコロと引き始めます。
言葉を話せない羊飼いがふたりももてなしてくれます。こうしたカットがとても美しいです。
ハリメは食べ物を勧められてもなかなか手に取ったり食べようとしません。ただ、誰も見ていなくひとりのときには猛烈な勢いで食べます。ハリメの生活環境や過去の境遇を示しているのかも知れません。
羊飼いが教えてくれた(よくわからない…)建物で一晩明かしますと、トラクターの男が乗せていってくれるようです。ただ、ここでおじいさんの靴がなくなってしまいます。トラクターの男が長靴があるからと譲ってくれます。ここでハリメが隠したのではないかというカットが挿入されていました。
とにかく、みな親切です。止まってくれない車のシーンもありますが、描かれるのはみないい人ばかりです。
一晩岩の洞穴で過ごすことになります。おじいさんは、火をおこして焚き火をし、棺から遺体を出してその中にハリメを寝かせ、狼よけのために石で境界をつくり(よくわからないが…)、そして自分も眠りにつきます。
列車が走る音が聞こえます。目覚めますと棺がありません。探し回るおじいさん、外に出ますと棺が木の上に登っています。その向こうを列車が走っていきます。
夢です。「出して! 出して!」ハリメが叫んでいます。ハリメも夢を見ていたようです(シーンがあったが記憶にない…)。
あたりは雪景色になっています。
何かが記憶から抜け落ちているかも知れませんが、ふたりは木工屋さんにいます。多分、棺が壊れたので修理しようとしたんだと思います。木工屋の男は、死体を運んでいたら逮捕される、ダンボールに入れてやろうと言い、遺体をダンボールの箱に入れてくれます。
そして、たまたま木工屋に寄った女性と高齢の父親の車に乗せてもらうことになります。女性はハリメにグローブボックスにお菓子が入っているから食べなさいと言います。でもハリメは例によって口にしません。女性がおじいさんにも勧めます。おじいさんは頬を押さえます。女性は歯が痛いのならクローブだと言い、クローブをおじいさんに与えます。
クローブはスパイスですが、刺激で痛みを和らげるってことでしょうか。和らげるのではなく気を紛らわすとか(笑)でしょうか。
ちなみに原題の「Bir Tutam Karanfil」をGoogle翻訳にかけますと「クローブひとつまみ」です。英題は「Cloves & Carnations」です。
最後に乗せてもらう車では、すでに書いたラジオからの宗教問答のような会話が流れます。このシーンでは運転手も話しませんし、もちろんふたりも喋りませんので、このラジオの会話を聞かせたかったということになります。画はふたりを撮ったままだったと思います。
そして国境の検問です。運転手が降りていき警備隊と話しています。フロントガラス越しの画で見せています。死体が見つかります。その画はありません。一貫してそうした画作りされた映画です。
すでに書いたように、おじいさんは取り調べを受け、遺体はその場で埋葬される決定がされ、墓穴が掘られ、棺に移された遺体が下ろされ、土が覆い被せられ、そして、ハリメの書いたおばあさんの似顔絵とカーネーションが添えられます。
カーネーションとクローブは香りが似ているそうです。おじいさんにはクローブ、おばあさんにはカーネーション、その他、クローブにはキリスト教にまつわる象徴的な意味もあるそうです。この映画にそうした意味合いがあるかどうかはわかりません。
ラストシーンは幻のようなシーンです。おじいさんは国境の金網を越えて故郷に帰ります。ハリメも越えようとして金網に登ろうとしますがそのままです。
荒野に人々が集まり婚礼のお祝いをしています。映画冒頭のように太鼓が叩かれ音楽が流れています。花嫁が座っています。花婿の席はあいています。おじいさんが歩いてその席に座り、花嫁を見つめています。
という映画です。やや記憶があいまいでもあり、記憶違いがあるかも知れません。