FAKE/森達也監督

森監督自身が演技し、FAKE する

「この映画自体が FAKE じゃん」

これが、見終えて感じた印象です(でした)。

で、その後、この記事にまとめようと公式サイトを見てみましたら、「誰にも言わないでください。衝撃のラスト12分間。」の宣伝文句、へえー、そんな売り方していたんだ!?とややびっくり! そこから興味を持っていろいろ読んでみましたら、靴下? 隠しカメラ? ヤラセ? なんて言葉も出てきます。まあヤラセはヤラセでしょうけど、靴下って何? などと、ぼんやり見ていた自分を反省しました(笑)。

こんなことなら事前に情報入れて見ればよかったと思います。

『A』『A2』以来実に15年ぶりの森達也監督作。佐村河内守氏の自宅でカメラを廻し、その素顔に迫る。取材の申し込みに来るメディア関係者たち、ことの真偽を取材に来る外国人ジャーナリスト…。はたして何が本当なのか? 誰が、誰を騙しているのか?映画は、この社会に瀰漫する時代の病をあぶりだしながら、衝撃のラストへとなだれ込む。(公式サイト

結局、ラストの佐村河内氏の演奏(?)のことが問題なんですよね。

でも、今さらそんなことどうでもいいような気がします。本人が、自分はプロデューサーであり、これまでの曲も新垣氏との共作であると主張しているわけですから、彼に作曲が出来ようが出来まいが何かが変わるとも思えません。すでに公の場で、自分が作曲したのではありませんと謝罪しているんですからどうでもいいでしょう。

それに、あの曲どうなんでしょう。プリセットされた音源を組み合わせているだけに思えますし、主旋律(という扱いでもないような)をキーボードで打ち込んでいる様子も指が動いていません。仮にも音楽の世界で何年もやってきているわけですから、あの程度は作曲ができるできないと言われるレベルではないでしょう。

なぜ彼は、これが新垣氏への指示書ですと、これが私が共作者である証拠ですと見せながら、出来もしない作曲や演奏をやろうとしたのでしょう?

森監督に「FAKE」させられたんです。

で、チラシさえ見たことがなく、多分、記憶にありませんので予告編も見ていないと思いますが、その状態でこの映画を見て感じた(想像した)ことを書いてみます。

ただし、以下全く想像ですし、映画内の会話も不正確です。

撮りながら物語をつくる

佐村河内氏というのは、この映画を見ていますと、常に「演技する」人ですよね。染み付いていますよね。

人は誰でもカメラを向けられれば演技者になるというのは、今ではもう、ほぼ常識的なことかと思いますが、彼の場合は、それ以上に障害者であることを逆手に取って、コミュニケーションにタイムラグを作ることができますし、表情が読めないように暗くできますし、明るくするにしてもサングラスという手があります。それに、疲れたから中断するということが比較的簡単にできるようになっています。

なかなか仮面は剥がれません。撮ってる方はどうすれば素顔が撮れるか(その気が森監督にあったかどうかは知らない)と悩みます。一番簡単なのは怒らせることですから、彼の心の中にある新垣氏への恨みを引き出そうと新垣氏出演のテレビ番組を見せたりしますが、全く動じません。

そんな時、飛んで火に入る夏の虫といった感じで、フジTV がやってきます。多分撮ってる方(森監督)は、(やったぜ!と)ニヤニヤを隠すのに大変だったでしょう。

でもこれだけじゃ物語になりません。

佐村河内氏はほとんど外に出ない状態のようですが、一度だけ、京都へ外出する場面があります。

難聴スピリチュアルライフコーチ前川修寛さんという方に会いに行くのですが、佐村河内氏が何を求めて会いに行ったのか、映画は何も語りません。前川氏は、健常者には理解できない、されない難聴の苦悩を語りますが、佐村河内氏にしてみれば、前川氏の話はあたりまえのことですし、何もわざわざ話を聞きに行く必要はないわけです。

これも多分森監督からの仕掛けでしょう。

結局、その間の新幹線の中であるとか、(多分)京都の街を歩く佐村河内氏と妻香さんの仲睦まじい映像を(意図的に)挿入してこの場面は終わります。 

森監督自身が演技する

いいドキュメンタリーを撮るには被写体との信頼関係が必要だとよく言われます。

佐村河内氏「森さんは、私を信じてくれますか?」
森監督「信じないと撮れないです。あなたと心中です。」

と、森監督は、見事に演技をします(FAKE します)。

ドキュメンタリーは撮る側の仕掛けで動く

「撮りながら物語をつくる」と同じことですが、この映画、演技者 佐村河内氏 対 演技者 森監督の勝負になっていますから、森監督の仕掛けも厳しいです。

New Republic という海外メディアの取材を受けるシーンは、この映画のある意味クライマックスになっているのですが、記者の率直な質問に対して、佐村河内氏が答えに窮する場面があります。

「なぜ1?年間、作曲法を学ぼうとしなかったのか?」
「指示書は作曲ではない。音源はないのか?」
「ピアノを弾くところを見せてくれないか?」
「なぜ家に楽器がないのか?」
などと、突っ込まれて、一瞬答えに窮しつつも、ここが佐村河内氏のすごいところだと思いますが、彼は、楽器がないことに対して、

「部屋が狭いので捨てた」と答えるのです。

すごいですよね、これ! この映画の中で、唯一佐村河内氏の素顔がのぞくところです。

newrepublic.com

で、ここにも森監督の何らかの仕掛けはあるのでしょう。

フジTV の取材は佐村河内氏側にカメラがありましたが、このシーンは、逆に取材する側の後ろにカメラがあり、佐村河内氏を正面から撮っていました。

穿ち過ぎかもしれませんし、これ書くと怒られそうですが、取材してもらうよう働きかけることだってできますよね。

それは置いておいても、森監督は、さらに追い打ちをかけます。

「守さん、あなた音楽が好きなんでしょう。だったら、作りましょうよ、音楽。それが出来るまで、僕はタバコをやめます!」

佐村河内氏の素直さがかわいそうです。

監督自身が映画でエクスキューズする

森監督「香さんは、彼を愛しているんだね。」
香さん「愛しているというか……(小さく頷きながら)」
森監督「守さんはどう?」
佐村河内氏「……(頷くのみ)」
森監督「言葉で言って」
佐村河内氏「愛してます。(香さんを見て)ありがとね…(涙ぐむ)」

ラスト12分の演奏(?)が終わって、森監督が一言、
「結局、僕はこれが撮りたかったんだね、二人の愛が…」

ダマしてごめんと言っているのでしょう。

そして、映画は再び佐村河内氏を奈落の底に突き落とす

あのラストシーン、私には、フジTV と同じに見えますね。

それに、「誰にも言わないでください。衝撃のラスト12分間。」と売っているんでしょう。

さんざんメディアの問題性を指摘し、テレビ番組制作者を笑い者にしながら、この売り方をしますかね?

いろいろ読んだものの中で面白かった記事です。

被写体を騙さなかったことなんてない―『FAKE』森達也監督&橋本佳子プロデューサーに聞く|「今日のインタビューは受けません。佐村河内さんを取材するなら」で始まった… – 骰子の眼 – webDICE

この中で、森監督は、webDICE の浅井氏が佐村河内氏に取材申し込みをしたことに対して、感情むき出しに怒っている風の記述がありますが、これ、何でしょうね?

「(公開前に佐村河内氏へ取材することがこの)映画をぶっ壊す」って怒っているようなんですが、何を言っているのか全く分かりません。自分はぶっ壊すことをやっているわけでしょうし、ぶっ壊さないメディアを批判しているんでしょう。

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