BAD LANDS バッド・ランズ

バラエティ映画…

今週公開の映画をなにか見ようと消去法で「まなみ100%」を選んでしまった際に消去されたのがこの映画です。でも、結局見ることにしました。

BAD LANDS バッド・ランズ / 監督:原田眞人

バラエティ映画…

主演が安藤サクラさんということで捨てきれなかったということなんですが、その安藤サクラさんはともかくとしても、映画は消去したままでよかったです(ペコリ)。

本来映画が描かなければいけない物語をすべて説明ゼリフで済まし、やっていることが何かと言えば、濃いいキャラを散りばめ、カメラを動き回らせ、目まぐるしくシーンを切り替え、あたかもアクションものであるかのように取り繕っているだけです。

台詞が聞き取れないシーンがたくさんあります。当然それは演出なわけですから、そのシーンでは台詞は意味を持つ言葉ではなく単なるリズムを生み出すための音声と考えているということです。

一方、明瞭に聞き取ってもらおうとしているシーンがいくつかあります。ネリ(安藤さくら)とジョー(山田涼介)の会話シーン、そしてネリと高城(生瀬勝久)の会話シーンです。そこで語られることは、なぜ今のネリという人物が存在するのか、そのネリに対してジョーはどういう存在なのか、また同じようにネリと高城の関係は何なのかという、本来映画が全編を通して描かなければならないもっとも映画的なことであり、大げさな言い方をすれば、映画が映画であるための核心とも言えるものです(ちょっと力が入りすぎました…笑)。

台詞の意味など捨て置いたシーンがあってもいいとは思います。ときにギャグ台詞があってもいいとは思います。問題はそうしたシーンが映画の軸であるべきネリという人物を浮かび上がらせる、あるいはネリとジョーの関係を描くためになっているかどうかということです。

ネリとジョーの物語ではないのか…

とにかく、映画中頃までは一体なにをやろうとしているのかさっぱりわかりません。早い話、なにかすごいことをやっているかのように見せるための目くらましです。こういうことをやる映画の多くは物語を語る自信のなさの現れです。

原作があるようです。

どんな原作かとざっとググったところではなんだか映画とは違う話みたいですね。主人公も橋岡恒彦という男性ですし、矢代穣(映画のジョー)や高城政司と兄弟とか親子といった関係もなく、ましてやあんな意味不明なトレーダー胡屋賢人(淵上泰史)なんて人物は登場しないみたいです。

振り込め詐欺グループが現金を受けシーンから始まります。ネリ(安藤サクラ)は受け子に指示を出す役割です。ターゲットが銀行から520万円を引き出したことを確認し、別の人物が電話で受け取り場所を指定し、さらに警察の騙された振り作戦でないことを確認するためにターゲットを別の場所に移動させます。ネリは受け子の男にスタンバイさせます。しかし、受け取る直前、ネリは警察の存在を確信し受け取りを中止します。

振り込め詐欺に関するシーンはこの冒頭のシーンだけです。これ以降は、ネリが高城(生瀬勝久)のもとで動いていること、ネリが受け子として使っている男がドヤ街に住んでおり、ネリがそこの男たちに馴染んでいること、高城がそうした男たちを使って貧困ビジネスにも絡んでいるらしいことなどが矢継ぎ早に示されていきます。警察の捜査のギャグシーンや掛け子のシーンもありますがなくてもいいようなシーンです(ペコリ)。

そして、いきなりよくわからないオフィスのようなところで女たちがハイヒールでカッカッと動き回るシーンになります。さらに次には、奇妙な弓形の机(笑)にひとりの男とその反対側に数名の男たちが座り食事をとっているシーンに変わります。そこに女2人が入ってきます。ひとりの男胡屋(淵上泰史)が男たちを人払いしますと、女はネリの居場所がわかったと言います(だったと思う…)。胡屋がネリは俺の心を盗んだ女だとつぶやき、そして女にまだ時間はある、手を使うなと言います。女は胡屋の前にひざまずき、口で胡屋のズボンのファスナーを下げ始めます。

は? なに? 状態なんですが、よくもまあこういう下品なことも思いつくものだと思います。映画的に意味のあることであればいいとは思いますが、この後、胡屋は撃ち殺されるだけですよ。俺の心を盗んだと決め台詞のようなことを言わせておきながらネリと再会させるわけでもなくです。

ああ、フラッシュバックがありました。胡屋は大金持ちのトレーダーであの女たちはその部下ということらしく(よくわからない…)、ネリもそのひとりだったということのようです。胡屋はサイコパス的人物で、女たちを性奴隷的に扱い、暴力的でネリを殴りつけるシーンが挿入されています。ネリが左耳が聞こえないと言っていたのは胡屋の暴力で鼓膜が破れたということです。

胡屋は今でもネリに執着しており、そのために裏の手を使ってネリの居場所を探っていたということなんですが、なぜそこまで執着するのかは映画は教えてくれません。考えられていないからでしょう。

とにかく原作にはないこういう人物を入れてきているのは、ジョーに誰かを殺させるためであり、その殺しがネリのためである必要があるからです。

おそらく、この映画はネリとジョーの物語でなくてはいけない映画であり、本当はそれを軸に愛憎絡むフィルムノワール的、ピカレスク的、またファムファタール的(ちょっと違う…)な女と男の話にすべきだったんだと思います。

語られるだけのネリの過去…

ジョー(山田涼介)がいつどうやって映画に登場してきたか記憶がありません。いつの間にかいました(笑)。

ネリとの関係はふたりの台詞でこうだったああだったと説明していました。まずネリは10歳(だったか…)のときに父親(高城…)によって母親とともにジョーの父親に売り飛ばされ、その後、ネリはレイプされ続けたと言います。ジョーもまた父親の暴力にさらされ続け、ある時ジョーが父親を殺し、ふたりで死体を埋めたということです。

その後、ネリは胡屋のもとで働くようになり、性奴隷のように扱われ暴力にさらされ左耳の聴力を失います。ネリは大阪の父親(高城…)のもとに逃げ帰り、なんでもしますと頭下げます。高城は、じゃあ俺を靴を舐めてきれいにしてもらおうかと言います。

本当にこういう下品なことはすぐに(かどうかは知らないけど…)思いつくんですね。

という過去があるらしいのですが、映画はそんなことは構わず結構明るく健康的なトーンで進みます。

これまた唐突に始まるのですが、ジョーが仲間と賭場にいき、250万円(だったか…)の借金をつくります。その後、よくわからないけどジョーは殺しの仕事を請け負い、そこには岡田准一さんなんかもいて(笑)、成功したのかどうかもよくわからないままに、今度は高城がお金を持っているからと言って襲い、高城と取っ組み合いとなり、そこにネリが戻ってきて、それを見るやネリは高城を刺し殺します。

そしてふたりは高城の死体を埋めて高城の2億?3億?の資産を自分たちのものにしようとあれこれ画策します。どこの銀行にいくらだの、信用金庫にいくらだのと、また印鑑がどうしたこうしたとか、パスワードがわからないとか、さらには印鑑証明を取るだの、日曜はやっていないだの、いやどこどこなら取れるなどという一般的なアクションものならすっ飛ばしてしまうようなことにずいぶん時間をかけていました。

なんなんでしょうね、他に描くべきことはいっぱいあるのに、それにもう映画も終盤に入っているのにこんなチマチマしたことで時間を使う理由がわかりません。この手はコメディパターンですが、結構真面目にやっていましたの笑えるわけではありません。

ジョーがいなくなっています。シーンは東京、胡屋が例の女たちを従えて新仮想通貨の発表会のプレゼンをしています。ジョーが現れ胡屋を射殺します。

一方、ネリはそんなことなど気にかける風もなく、億単位の金を持って空港へひた走るのです。

安藤サクラさんの実力はあるにしても…

映画自体に内容がないだけに安藤サクラさん頼みの映画になっています。

ただ、その実力はわかるにしてもこのネリという人物は合わないです。過去の設定ももちろんのこと、その過去を引きずらずに軽やかに動き回るだけの人物では安藤サクラさんのうまさは出せても、そのよさは出ないでしょう。

安藤サクラさんはワンカットだけで過去10年の重さを表現できる俳優さんです。