「北白川派」とは「京都造形芸術大学と映画学科が一丸となり、その全機能を駆使しながら、プロと学生が協働で一年をかけ一本の映画を完成させ、劇場公開を目指すプロジェクト(北白川派)」で、私は「嵐電」「のさりの島」と見てきて結構気に入っているんですが、さすがにこれはちょっと…です。
主だったスタッフや俳優は、「監督は若松プロ出身で『正しく生きる』『愛してよ』で知られる福岡芳穂(京都芸術大学映画学科教授)。脚本は『あゝ、荒野』『宮本から君へ』を手掛けた港岳彦(公式サイト)」というようにプロの方々なんですが、何をやろうとしていのかよくわからない映画です。
語ることがないほどに…
ダメなところを上げ始めますときりがありません。
- 物語の語りが断片的すぎて散漫すぎます
- それと同じことですが、編集にリズムがありません
- 音響、音声、整音がまったくダメです
- 自然光で撮ろうとしているのか、暗すぎます
- それらを意図的にやっているとするならその意図が伝わってきません
結局、やろうとしていること(はわかりませんが)に統一感がまるでないということでしょう。
どういう制作スタイル、つまり、プロのスタッフがなにをし、学生たちがなにをしているのかよくわかりませんが、そのこと自体がうまくいっていないのだと思います。
新選組と御陵衛士
新選組と御陵衛士の抗争事件「油小路の変」を知っていないと何が何やらわからない話です。知っていても、多分わからないでしょう(ペコリ)。
どうやら、やりたかったことは、
新撰組終焉の象徴とも言われる“油小路の変”を通して、激動の時代を生きた無名の人々――武士・庶民の対立、愛、嫉妬、復讐、青春など、幕末の京都を舞台に現代にも通ずる人間のもがき続ける姿を描く。
ということだったらしく、確かに、脱藩した会津藩士、御陵衛士、新選組など、武士だけではなく、和菓子職人、夜鷹、陰間乞食、太夫、胡弓の師匠、侠客など、とにかくいろんな人々が登場します。
ただ、登場はしますが、それらが複合的に絡み合っていません。いや、じつは絡み合っているのでしょうが、それが描ききれていません。これは映画として決定的なことで、こうしたある種群像劇的な物語であるのに、それらが整理されずにただ単に並列に並べられているだけでは映画になりません。
で、結局、よくわからないままに新選組と御陵衛士の「油小路事件」が描かれ、じゃあ、それでなにがどうなったかも描かれず、明治になって「100年後にはいい時代になっているといいなあ(違ったかも?)」では、伝えたいことさえも意味不明になります。
現代を背景に時代劇を描く
ファーストシーンは、現代の京都の町に武士の死体が横たわっています。
これは面白いかもとかなり期待したのですが、こうしたシーンはまったく生かされず、その後のほとんどのシーンは撮影所のセットで撮られていました。
「未来を乗り換えた男」のようにもっと大胆にやればいいのにと思います。せっかく京都といういいロケーションなんですから。