LOVE LIFE

奇妙なシナリオとあまりに現実的な俳優たち、残る虚しさ

深田晃司監督の「LOVE LIFE」、現在開催されているヴェネチア映画祭のコンペティションに出品されています。開催が明日9月10日までですので発表は明日ですか。

LOVE LIFE / 監督:深田晃司

悲劇、喜劇、そして漂う空虚さ

深田監督の映画は「東京人間喜劇」「ほとりの朔子」あたりから見てきていますが、この映画を見てあらためて感じたのは、深田監督が描こうとしているのは人の営みは悲劇でもあり喜劇でもあるみたいなことじゃないかと思います。

この映画は明らかにそうですね。ただ、おそらく意に反してだとは思いますが、妙な虚しさを漂わせて終わっています。覚めたところへ行かず、どよーんとするのです。理由は俳優たちが現実的すぎるからだと思います。リアリティーがあるということではなくです。

もやもやして気持ち悪い

この映画、俳優がみんな真面目に役を演じています。本当にそんなに真面目に演じる話なんでしょうか。あちこちに散りばめられている喜劇的要素があまりにも現実的、言い換えれば非映画的に演じられて喜劇にもならずにもやもやして気持ち悪さだけが残ります。

場所の設定は釜山へ船便がでていますので九州の地方都市ということでしょう。妙子(木村文乃)と二郎(永山絢斗)は妙子の前夫との子ども敬太と公団(のような感じ)で暮らしています。向かいの棟には二郎の両親、明恵と誠も暮らしています。

物語はこの妙子と二郎、そして元夫パク(砂田アトム)の3人を軸に、二郎の元カノ理佐と二郎の両親を絡めて進みます。皆きわめて普通人として描かれているのですが、ただ、ときにそれぞれが身勝手さといいますか、本音といいますか、間違いなく人を傷つけるであろう無神経さをもろ出しにします。それが喜劇的だということです。

敬太の誕生パーティーです。両親もやってきます。ただ、誠は妙子が子持ちの再婚であることから結婚を認めていません。誠の趣味の釣りの道具の話が思わぬ方へ飛び火し、誠が「中古にもいいものもあれば悪いものもある」と妙子を侮辱します。

いきなりこんな言葉が出る流れではありませんので、実のところシナリオが悪いのですが(笑)、それは置いておいても、その言葉に対して妙子が正面切って「謝ってください」と主張するんです。誠がどうするかといいますと、謝るんです。

これがとても気持ちが悪いんです。やっていることは現実的なのに、シーンにそれにともなう現実感がないのです。もちろんこのシーンは悲劇でも喜劇でもないのですが、行為や言葉の持つパワーにふさわしい喜怒哀楽の空気がありません。

こういう気持ちの悪いシーンが頻繁に登場します。ただ、一概に映画としてよくないということでもありません。なんだか空虚な後味が残るというだけのことです。

悲しみの封印は何のため?

こんなことがあれば誕生パーティーも盛り上がらないのではと思うんですが、なぜか誠までホームカラオケで歌ったりします。そして、事故が起きます。敬太がひとり風呂場で遊んでいるときに滑って頭を打ち、水が張られていたバスタブに落ち溺死します。

妙子の悲しみのシーンがありません。

溺死の次のシーンは妙子と二郎が警察の事情聴取を受けるシーンで、それぞれですが、二人を正面から撮ったバストショットと取り調べの警官の切り返しです。そんなことがあるかどうかは置いておいても、流れからいけばかなりシュールです。

人の死を、ましてや子どもの死を喜劇にするつもりではないでしょうが、かなりブラックな感じのするシーンです。ここで妙子に泣かさせないのは後のシーンのためなんでしょうが、木村文乃さん演じる妙子が現実的、つまり映画的じゃないためになんだか現実を見ているようで気持ちが悪いのです。映画なんですからもっとショックを受けてよということです。

敬太の葬式です。やはり妙子に映画的な悲しみの表情はありません。敬太の実の父親パクがやってきます。いきなり妙子を平手打ちします。妙子が激しく泣き崩れます。おそらくこのシーンのためにこれまで妙子の涙を見せなかったのでしょう。ただ、このシーンもなんだか気持ちが悪いんです。シーンの空気が動かないんです。参列した喪服の棒立ちの人々の中で妙子がここは泣き叫ばなければ場がもたないと思って泣き叫んでいるように見えるのです。

俳優の演技に揺らがないシーン

敬太の遺体を一旦自宅に置くことになります。突然母親の明恵が「あの部屋はお父さんとの思い出の場所なのよ!」と感情をむき出しにします。何言っての? と思いますが、現在妙子たちが暮らしている部屋はもともと両親が暮らしていた部屋であり、妙子たちの結婚を機に向かいの棟の部屋を購入(賃貸?)して移ったということのようです。そんなところに死体を置かないでということなんでしょうか。

明恵のこの奇妙な発言にもやはりシーンの空気は揺らぐことなく、後に明恵が妙子にごめんなさいと言って終わっています。なぜ揺らがないのか、妙子に動揺がないからです。その後も妙子は自宅の風呂には入れないからと明恵の部屋の風呂を借りています。

不自然すぎるシナリオ

で、パクです。理由は語られませんが、というより語られないから話が深まらないのですが、パクは何年か前に突然妙子の前から姿を消しています。敬太の死は新聞記事(あのケースで新聞記事に写真付きで載ることはありません)で知ったと言っていました。パクは韓国籍のろう者です。妙子は福祉事務所かそうした関係の仕事をしていることから知り合ったのかもしれません。ん? 違いますね、パクは韓国語手話でしか話せませんので日本で生活していたとは考えられず、妙子もまた韓国語手話を話せますので韓国で知り合ったと考えるのが自然です。じゃあ二人はどこで生活し、パクはどこから失踪したんでしょう?

シナリオがまったく詰められていません。

とにかく、今のパクは路上生活者です。妙子はそのパクを両親が暮らしていた向かいの棟に住まわせます。これ、無茶苦茶つくられた流れで、このために両親に引っ越させているんでしょう。さらに、二郎にはその手助けということで2,3日家をあけさせています。ですので、妙子はそのあいた部屋にパクを住まわせることができたということです。

映画ですから何をやってもいいのですが、このときの妙子にはまったく迷いであるとか、考えるとかの映画的素振りがありません。そのシーンがありません。これは普通なら喜劇です。でも真面目すぎて喜劇になりません。

さらにです。二郎ですが、両親の手伝いに行ったそのとき何をしていたかといいますと、元カノの理佐と会っているのです。キスするシーンがあり、理佐がもう一度会ってと言っていますので関係を持っているのでしょう。

自宅に戻ってきた二郎は向かいの棟の部屋で戯れる妙子とパクを見ます。部屋に向かった二郎は何をするかといえば、いきなり妙子にキスをしようとします。人間って、ときに奇妙な行動をとるのが現実ですので、ここで怒鳴れば映画的ですが、この行動こそが現実的とも言えます(そうかあ(笑))。

なんだかもう無茶苦茶になってきましたが(笑)、パクが韓国の父親が危篤に陥ったから韓国に帰りたいのでお金を貸してほしいと言い、妙子と二郎は車でフェリー乗り場までパクを送ります。そして、帰ろうとする車を走らせた二郎ですが、突然妙子が車から降り、「パクは弱い人間だから私が一緒に生きていかないとダメなの」と言ってフェリーに乗ってしまいます。

韓国釜山です。パクの父親の危篤はウソでした。パクは、前妻との息子が結婚するから帰りたかったと言います。妙子は怒るでもなく、呆れ返るでもなく、式場で皆が踊るのに合わせて自分を体を動かし始めます。どう考えても喜劇なのに、なぜか薄ら寒さだけが残ります。

日本に戻った妙子はなに構うことなく部屋の鍵を開けて部屋に入ります。しばらくして帰ってきた二郎が散歩しようかと言い、二人で外へ散歩に出かけていきます。

矢野顕子さんの「LOVE LIFE」が流れます。この曲から発想された映画だそうです。

空虚さだけが残ります。