mentor メンター

エンターテインメント・ヒューマン・サスペンスと言えばいいのかな…

映画が終わり席を立つ人たちを見て、え、なんでこんなに若い女性が多いの? と思いましたら、末澤誠也さん目当てだったんですね。「Aぇ! group」の一人ということですので多分そうでしょう。もしあまりこういう映画を観ない人たちであるなら、これを機に興味を持ってくれるといいなあとは思います。末澤誠也さん、磯村勇斗さんや綾野剛さんと張り合うような演技でよかったですからね。

mentor メンター / 監督:𠮷田恵輔(吉田恵輔)

ネタバレあらすじ

エンタメ度爆上がりの𠮷田恵輔監督

𠮷田恵輔監督、ついこの間「四月の余白」を観たばかりなんですけどね。たまたま公開が重なったんだとは思いますが、1、2年に1本ペースの𠮷田恵輔監督です。

その「四月の余白」にも書いたんですが本当にうまいです。ますますエンタメ度が上がっていておもしろいです。

心の奥底に淀みを持ち、精神的に無理をして生きている三人の男たちに、ある時その淀みが一瞬して消えてしまう事件(コトかな…)が起きます。映画中盤です。観ているこちらもその三人と同じように、え? と思います。それまできっとこうなるんじゃないかとヒヤヒヤ半分、期待半分で観てきたこちらも放心状態(とまではいかないけど…)、映画後半、また最初から楽しみ直しです(笑)。

うまいなあと思いつつも、なるほどねと、そのうまさに感心してしまいます。

第一幕、拓海、埜本と遭遇する

拓海(末澤誠也の子役)と龍之介(磯村勇斗の子役)が空き地で打ち上げ花火を使って戦争ごっこをやっています。板切れで防御しながら相手に向けて花火を発射させるのです。ふと見るとアパートの庭から火の手が上がっています。火はみるみるうちに燃え広がり、アパートの2階から叫び声が上がります。そのとき一人の男が人々の静止を聞かず階段を駆け上がって火の中に飛び込んでいきます。しばらくして、男は女を抱きかかえて転がるように階段を下りてきます。二人は真っ黒です。女の息はすでになく、男は髪も焼け、顔も焼け爛れています。

そして15年後、拓海(末澤誠也)は自販機飲料の配送員として黙々と働いています。家に帰り、母親に給料を渡しますと、全部入れなくてもいいから自分のために使いなさい、被害者への賠償金はきちんと払えているんだからと言われています。

拓海は15年間ずっと罪悪感と後悔に苛まれて生きてきたということです。

その拓海が、あの日のあの男埜本と遭遇します。埜本の顔には焼け爛れた傷跡が残っており、足を引きずって歩いています。プロパンガス会社の配送をしているようです。

拓海はきちんと向き合って謝罪する決心をし、埜本の前に立ち、今にも崩れ落ちそうな面持ちで名前を名乗ります。拓海は、罵倒され、殴られ、蹴られるくらいの気持ちだったのでしょう。ところが埜本はいきなり拓海に駆け寄りハグしてきたのです。そして、つらい思いをしてきたんだろうと逆に拓海を思いやる言葉をかけ続けるのです。

こうして拓海と埜本の付き合いが始まります。埜本は決して拓海を責めることはなく、逆に過去にこだわっていてはいけない、楽しいことを考えて前に進まなくちゃいけないと拓海の心の淀みを解きほぐすうように語り続けます。

拓海は次第に変わっていき、埜本をメンターと感じるようになり、その一言一句を手帳に書き記すほどになります。そして家を出て埜本の向かいのアパートに引っ越し、いつも埜本に付き従うまでになります。

拓海、龍之介に埜本を会わせる

一方の龍之介(磯村勇斗)はアーチェリーの選手となっており、アスリート社員としてオリンピック出場を目指しています。代表選手までもう一歩のところにきています。

そんな龍之介の前に拓海が現れます。拓海は埜本と偶然出会い、その後の関係を話し、龍之介も会って謝罪すべきだと言います。龍之介は混乱します。ちょっとした心の乱れが成績に影響する(らしい…)アーチェリーであり、今はオリンピックへの出場かかる大切な時期です。拓海の来訪に迷惑そうな龍之介です。しかし、にべもなく断ることもできず、拓海の求めに応じて埜本と向き合います。

龍之介が申し訳ありませんでしたと頭を下げてもそれは拓海の考える謝罪ではありません。埜本は、龍之介を責める拓海を諭し龍之介をかばいます。今は大変な時期なのでという龍之介に、埜本はそうだねと同情を示すように語りかけます。

不満げな拓海はその後も執拗に龍之介を誘います。三人のうち、いつ誰が爆発するかといった予感を感じさせながら三人の関係が続きます。ところがなかなか埜本の化けの皮は剥がれませんし、龍之介の成績も落ちることもありません。動揺で的を外すのではないかと思わせるシーンもありますがなぜか10点なんです。

どうなってるのと思い始めた頃、とんでもない次なる展開が待ち受けていました。

コペルニクス的転回の第二幕

拓海が他の被害者にも謝罪に行こうと言い出します。火事で燃えたアパートには他にも被害者がいます。ケガなどはしていなくても大切なものを失くした人もいるだろうということです。

拓海とっては埜本への謝罪により15年間の心の淀みが消えたことから謝罪行為自体が自己目的化しているのです。鏡の前で頭を床にこすりつけて謝罪の稽古をする拓海です。

拓海の謝罪はパフォーマンス化していきます。そして二人目への謝罪です。訪ねた女性は当の本人はすでに認知症となり施設に入っていると言っています。それでも拓海は大変申し訳ありませんでした、こんな自分が生きていていいはずはないと、つくり涙声で謝罪し床に頭をこすりつけています。龍之介はそんな拓海に冷たい視線を投げかけています。

女性はそこまでしていただけるのなら本当のことをお話しますと言い、実はあの火事は父親のタバコのポイ捨てが原因なんですと言い出します。あの日父親はベランダでタバコを吸いながら子どもたちが花火で遊んでいるのを見ており、吸っていたタバコを外に投げ捨てたそうです。その火がダンボールに燃え移り、またたく間に燃え広がったと認知症になる前に話していたと言うのです。

三人の頭の中は真っ白です。そして第二幕が始まります(笑)。

拓海はこれまでの15年間は一体何だったんだと一気に虚脱状態です。あれほど心酔していた埜本との付き合いも惰性になっていきます。

埜本にも徐々に変化が現れます。突然、女性と若き頃の埜本が居酒屋で飲んでいるシーンになり、ん、なに? 誰? とキョトンだったんですが、女性は妻の涼子(木南晴夏)でした。つまり、15年かけて心の奥底に抑え込んできた恨みつらみに悔しさが涼子の姿とともに現れるようになったのです。

埜本の部屋の本棚には数え切れないほどの心のコントロール本が並んでいます。埜本の拓海や龍之介への優しさは15年という長い年月の心の葛藤を乗り越えた上に築かれていたものだったのです。次第に涼子が現れることも増えていきます。

龍之介のオリンピック出場をかけた大会です。晴れ晴れとした顔の龍之介はこんなすっきりした気持ちは初めてだと言っています。そして競技会、ところがなぜかことごとく的を外してしまうのです。オリンピック出場の夢も破れ、龍之介はアーチェリーそのものもやめてしまいます。

そして、オチは…。オイ、オイ

さて、後はこれをどうまとめるんだろうとの期待だけなんですが、𠮷田恵輔監督、あまりオチがうまくないんですよね(ゴメン…)。

三人でフィールドアーチェリーで野山を回り、突然埜本が拓海にキレたりするものですからこれはなにか起きるぞ、矢が誰かに刺さったり、あるいは意図して人に向けて射ったりなんてことを考えながら見ていました(笑)。三人の間には何も起きません。むしろ虚脱状態の同志三人のようです。

やや散漫な後半、龍之介は同僚の選手がオリンピック出場権を獲得し社内で皆にもてはやされている姿を横目で見ながら無視を装っています。しかし車の中ではひとり外にも漏れるほどの大声で叫び続けています。

龍之介と埜本が飲んでいます。埜本は、あの頃龍之介がアーチェリーに出会ったことでやっと重荷から開放されたことを知っているよと話し始めます。龍之介の母親が何度も謝罪に来て話してくれていたと言いますと、龍之介が耐えられず嗚咽をもらし始めます。

埜本が涼子の妹麻衣子(酒井若菜)がやっているバーに出入りするシーンが前半にもあり、カラオケで歌ったりしていたんですが、ここ後半ではどんなに誘われてもうんと言わず、キレるのかと思ってみていましたら、もっと怖いことに、この時埜本はいつも飲むお酒ではなくウーロン茶を飲んで一人塞ぎ込んでいるのです。

埜本がバール(だったか…)を持って、タバコのポイ捨て男が入所する高齢者施設に向かいます。男に話しかける埜本、もちろん認知症の男に話は通じません。男は多分自分の息子の名前でしょう、埜本に呼びかけ、そして外を見てメジロがやってきたなどを脈略なく呟いています。埜本は男を抱きしめ鼻水を流しながら泣き続けています。

一年後と出ていたかの後日、龍之介は再びアーチェリーを始めています。地区大会です。拓海が真っ赤なジャージの上下を着てやってきます。お互いになにか吹っ切れたようではあります。

競技が始まります。龍之介への応援エールが巻き起こります。観客席には揃いの真っ赤なジャージを着た一団が座っています。中央には拓海が座り、隣の女性が拓海になにか助言を求めています。

拓海がメンターになった? なにか異様な宗教集団のような終わり方でした。

感想:やっぱりオチは下手くそ(ゴメン…)

本当にオチが下手くそな𠮷田恵輔監督です(ゴメン…)。

かなり集中して観られる面白い映画ではあります。人間の心理を誇張して描いていますのでいろいろ含みを感じられる映画ですが、これと一言で言えないのが残念です。

あえて言えば、人には苦悩も生きる糧になることがあるということでしょうか。