わたしの知らない子どもたち

子どもたちを主役で撮るのならワークショップとか時間をかけたほうがいいんじゃない

西川美和監督が戦争孤児たちを描いた映画です。主演の小八重葵美さん始め子どもたちを主役で撮るという映画としてはかなり難しい挑戦をしています。うまくいかなかったようです。

わたしの知らない子どもたち / 監督:西川美和

NHK の朝ドラみたい

戦後81年の今、なぜ戦争孤児を取り上げようと思ったんでしょう。それが伝わってこないと言いますか、ところどころに台詞として入っているメッセージと思しきものが映画全体から伝わってこなければ映画にする意味ないんじゃないですかね。観る側の問題でしょうか(涙…)。

過去を描いて今に響いてこなければそれは単なるノスタルジーか再現フィルムです。

再現フィルムは言いすぎですが(ゴメン…)、でも、たとえばあの焼け野原の CG に映像的な力ってあります? 琴子ひとりしかいないですよ。孤児たちの収容施設を東京湾上の島にしていますが、あれ本当にあった施設ですか? それもわずか10数人ですよ。そこでの農作業といって草っぱらのわずか5メートル四方程度を掘り返して描いていますが、なぜあれで OK なんですか? ガード下や闇市は新橋とか上野の想定と思われますが、ちょっと離れれば街の気配もまるでない野っぱらや海岸ってどういうことでしょう?

といった感じであげ始めるときりがありません。

それに、ほとんどのシーンが説明的で既視感のある画ばかりですし、全体の流れとか、テンポとか、間合いとか、まあこれでいいと思ったから公開されているわけですのでどうこう言っても始まりませんが、西川美和監督にはどう見えているんでしょう。

言うなれば NHK の朝ドラのようなつくりにみえます。いや、朝ドラは朝ドラでいいんです。15分ものを100話以上つくるわけですから説明的であることも必要ですし、集中して観るわけではありませんので一定程度定形のドラマパターンを使わなければ観る者がついていけなくなります。でも、映画はそれではダメだと思いますけどね。

自分の撮った映画を客観的に見られていないとか、いくらなんでもそれはないか。

ネタバレあらすじ

描かれる戦争孤児たちの境遇やそれゆえの行動はおよそ想像できる範囲内のもので、そこに音楽、特にピアノというものに何かを象徴させようとしているのだと思います。その何かがはっきりしていません。

主人公は琴子(小八重葵美)、父親は音楽家で琴子もピアノが上手です。映画は集団疎開先から始まり、琴子がドビュッシーの子供の領分を弾いていますと数人の子どもたちが敵性音楽だと言って突き飛ばします。教師の曽根文美子(二階堂ふみ)が止めに入ります。

すぐに敗戦となり、文美子が琴子を含め数人の子どもたちを連れて東京に戻ってきます。文美子は琴子の両親が空襲(父親は戦死?…)で亡くなっており身寄りがないことを知っていますが、琴子が父親が迎えに来ると言いはりますので一人残したままにしてしまいます。

その後はお決まりの戦争孤児描写が続きます。いきなり荷物を孤児たちに盗まれますがそれに対するフォローもなしです。最後までそんな展開ばかりです。ガード下で靴磨きの女の孤児に助けられ、靴磨きを始め、その子が売春(男の性搾取…)しているところ見て、髪を切り、男の子として振る舞うことにします。その後数人の孤児たちと行動をともにすることになり、ヤクザの手下として米軍の保管庫から物資を盗むことに利用され、仲間たちみな逮捕されて収容施設に送られます。その収容施設がすでに書いたように東京湾上の孤島なんです。

この収容施設のシーンの描写が雑です。ロケ地の選択も含めロケシーンの設計がプロのものとは思えません。

新聞記者が島に取材に来た際に仲間のリーダーが逃亡の計画を立て、そして実行するも脱出の船が遅れ、皆で海に飛び込み、溺れたところを遅れてやってきた漁師(役所広司さんと田中裕子ですよ…)に助けられ、再びガード下に戻るもすでに闇市は排除され、ガード下で暮らすこともできず、仲間たちもバラバラとなり、琴子は孤児院に入ることになり、そこで琴子を探していた文美子と出会います。

もちろん各シークエンスでいろいろあるにはあるんですが連続性がありませんので冗長に感じます。実際150分の映画ですからね。

ラストシーンは琴子がピアノを弾くシーンです。何の曲か分からなかったんですが、調べますとこの映画のテーマ曲みたいです。

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感想:子どもを軸にするのなら時間をかけるべき

それにしても贅沢な俳優陣です。琴子の父親に竹之内豊さん、孤児院の施設長に吉田羊さん、ヤクザに岡田准一さん、新聞記者に坂東龍太さん、刑事に北村有起哉さん、それにすでに書きました漁師の夫婦に役所広司さんと田中裕子さんです。皆さん1、2シーンの登場だけです。

さすがに二階堂ふみさんは登場シーンが多く、文美子は出征した夫(結婚はしていない設定かも…)との子どもを宿しており、出産後生活に困り売春、もちろん男の性搾取ですが、その後梅毒にかかるシーンまであります。これらのシーン要らないと思いますけどね。余計なことですが。

さらに一観客が余計なことではありますがこの映画の拙さはシナリオを西川美和監督自身が書いているからじゃないでしょうか。書いているうちに全体が見えなくなっているということです。すべてひとりでやるタイプのようですので独りよがりになっていなければいいのですが。

書き過ぎました(ゴメン…)。