スペンサー ダイアナの決意

クリステン・スチュワートのダイアナが自由への物語を生み出す

「クリステン・スチュワートがダイアナ元皇太子妃を演じ(映画.com)」の書き出しを見ただけでもう映画館のチケット予約サイトでポチッとしてしまいました(笑)。ダイアナに興味があるわけではありません。

「クリステン・スチュワートがダイアナ?!」ってことです。

スペンサー ダイアナの決意 / 監督:パブロ・ラライン

クリステン・スチュワート

印象に残ったのは「アクトレス ~女たちの舞台~」です。「トワイライト〜初恋〜」も見てはいますが、「アクトレス ~女たちの舞台~」は、それ以降「クリステン・スチュワート」の名前をみれば見てみようと思うようになった映画です。

クリステン・スチュワートは、その映画でセザール賞助演女優賞を受賞しています。映画はジュリエット・ビノシュが主演ですので助演ということになります。監督はオリヴィエ・アサイヤス監督だったんですが、その後、アサイヤス監督はクリステン・スチュワート主演の「パーソナル・ショッパー」を撮っています。「アクトレス ~女たちの舞台~」では撮りきれていない思いがあったのでしょう。

で、この「スペンサー ダイアナの決意」、よく引き受けましたね。クリステン・スチュワートのダイアナ、イメージできないですよね。監督はパブロ・ラライン監督、プロデューサーもやる方ですのでキャスティングもラライン監督の考えでしょう。

最初の登場シーンにはちょっとびっくりしましたが、その違和感を乗り越えますと、さすがクリステン・スチュワート!という映画です。

物語を語らず生み出す映画

何にびっくりしたかといいますと、登場シーンのクリステン・スチュワートの演技がダイアナのものまね系だったのです。

イギリスの王室はクリスマスをサンドリンガム・ハウスという国王の私邸で過ごすことが慣例になっているそうです。ここですね。ラストシーンが海辺でしたので、ん?と思いましたが確かに海があります。

1991年のクリスマス、ダイアナはひとりポルシェ(だと思う)でそこへ向かうのですが、道に迷い、通りのカフェに入り、ここはどこ?と尋ねます。その動きから声のトーンまで、ダイアナのものまねに見えたのです。

えー、これでいくのかよ?! と思いました(笑)。

大丈夫です、そのシーン以降は気になりません。そんなことより、ダイアナの切羽詰まったイライラ感が映画全編を覆っていますのでその凄さに圧倒されます。

この映画は実話ベースではありません。王室一族がそこでクリスマスを過ごすことは事実なんでしょうが、その内実なんて誰にも知るすべはありません。映画冒頭に「a fable from a true tragedy(悲劇的事実からの作り話)」と表示されます。岡田准一さんの「ザ・ファブル」と同じです。関係ないか(笑)。

つまり、この映画が描いているのは、こういうことがあった、こうだったかもしれないということではなく、ダイアナのチャールズ皇太子との別居に至る数年(多分)の苦悩を3日間に短縮して見せているのであり、それを我々は2時間見せつけられる映画だということです。

それに耐えられなければこの映画の良さはわかりません(笑)。

ですので、この映画は物語を語っているわけではなく、クリステン・スチュワートのダイアナが生み出す物語を感じる映画だということです。

クリステン・スチュワートのダイアナ物語

クリステン・スチュワートのダイアナが生み出す物語はひとことで言ってしまえば「自由への希求」です。

チリ人のパブロ・ラライン監督はピノチェト軍事政権の独裁政治のもとで青春時代までを過ごしています。これまでに監督している映画には「NO」や「ネルーダ 大いなる愛の逃亡者」といったピノチェト政権下のチリを描いた映画があります。そうした自分自身が感じてきた抑圧感のようなものをダイアナの中に見ているのではないかと想像します。

ダイアナのあまりの混乱ぶりにチャールズが言います。

「二人の自分を持ってくれ」

国王一族の表裏の現実など知りようがありませんが、一般人であっても極度に本音と建前を使い分けていればアイデンティティクライシスを起こします。映画のダイアナはそうした状態です。自由に生きたいと思う者にとっては皇太子妃としての表の顔や国王一族として求められるあるべき姿は抑圧的でしょう。

実際のダイアナ皇太子妃の話ではありません。ラライン監督が描くクリステン・スチュワートのダイアナの話です。そうしたダイアナが感じる抑圧を和らげるすべは「愛」しかありません。しかし、すでに、なのか、最初から、なのか、ダイアナの周りには「愛」はありません。かろうじて得られるのは子どもたちとの安らぎの時間だけです。

映画ではマギー(サリー・ホーキング)という人物を置いています。身の回りの世話をする世話係という設定です。ダイアナはマギーにだけは本音で相対することができます。

このダイアナとマギーのシーン、そしてダイアナと二人の子供のシーンだけにアップの映像が多用されています。本当のダイアナ(実際のダイアナという意味ではない)を描き出そうとしているのだと思います。他の人物は皆建前に生きています。皆虚像です。

マギーはいっときチャールズ(だと思う)によってダイアナから遠ざけられます。その時ダイアナは、マギーがダイアナのことを変だと言っていたと聞かされます。映画は、それが嘘か本当かなどという下世話なところへ持っていきません。

ラスト近くになり、ダイアナの強い意志によりマギーが呼び戻されます。海辺のシーンでの二人の会話です。ダイアナがそのことをマギーに正します(そんなに強くない)。マギーは、その答の前に本当のことを言うけど、これを言うと私は解雇されるかもしれないと言います。マギーは、

「私はあなたに恋をしているの」と言います。

むちゃくちゃ洒落ていますね、このシーン。マギーは続けて「いつもあなたの裸を見ていた」と言います。ダイアナが大笑いします。やさしい笑いです。笑いは止まりません。マギーも微笑んでいます。

自由ってこういうことだなと思います。

ちなみにクリステン・スチュワートはバイセクシュアルを公表(ウィキペディア)しているそうです。

ロケ地、セット、音楽

もちろん、サンドリンガム・ハウスは実物ではありません。ドイツの「Schloss Nordkirchen」という宮殿です。

20141101 Schloss Nordkirchen (06956)
© Günter Seggebäing, CC BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

室内はセットでしょう(多分)。すごいですね。プロダクションデザイン、撮影、衣装、編集、皆レベルが高いです。

そして音楽、相当音楽が引っ張っていました。「レディオヘッド」のギタリスト、ジョニー・グリーンウッドさんという方だそうです。私が見ている映画だけでも「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド」「ファントム・スレッド」「パワー・オブ・ザ・ドッグ」「ノルウェイの森」「少年は残酷な弓を射る」「ザ・マスター」、へえーそうなんだ、という感じです。記憶しておきましょう。

ただ、この映画、音楽なしで見てみたい気がします。受けた印象はかなり音楽に影響されていると思いますので、実際のところクリステン・スチュワートさんの素の演技はどうだったんだろうと興味があります。