ケン・ローチ監督の最後となるだろう映画、希望の映画ではなく絶望の映画にみえる…
ケン・ローチ監督の最新作ではありますが、この映画、2023年のカンヌのコンペティションに出品された映画です。ちょうど3年前です。なぜ日本での公開がこんなに遅いのでしょう。

ネタバレあらすじ
映画の主要なテーマは難民と受け入れ先となった地域コミュニティがその対立を乗り越えられるかということですし、この映画の難民はシリア難民です。2023年当時、「約640万〜650万人が国外へ避難し、さらに国内にも約680万〜700万人以上の避難民が存在する(Gemini)」と言われ、日本でさえ毎日のように何らかのニュースになっていた時期です。
そうした時期に撮られた映画を3年後に公開するっていうのはどうなんでしょう。映画の見え方が変わってしまいます。
実際、今では日本のニュースでシリアの文字を目にすることも少なくなっていますし、ヨーロッパの移民、難民問題にしても自らどうなっているかと探しにいかないとほとんど報道されない状態です。
それにここ10年くらいのケン・ローチ監督は怒りをストレートに表現するようになっていますので制作時期は重要です。その時、どうしても撮らなくてはと強い気持ちで撮られた映画ばかりなんです。
よく知られたことですがケン・ローチ監督は10年ほど前「ジミー、野を駆ける伝説」を撮ったあとに一度引退宣言しています。それでもその後どうしても自分がやらねばならないと撮った映画が「わたしは、ダニエル・ブレイク」と「家族を想うとき」なんです。どちらもサッチャー政権の新自由主義政策によって進んだ貧困や劣悪な労働環境が描かれており、まったく救いのない残酷な描写の映画です。それだけにケン・ローチ監督の怒りが溢れています。
そして2023年(公開年…)に撮ったのがこの「オールド・オーク」ということになります。おそらく本当にこれが最後の映画になるんだろうと思います。それだけに怒りだけではない映画になっています。
最後は希望があるように終えていますが、私には絶望の映画に見えます。
地域コミュニティ対難民
イギリス北東部の閉鎖された炭鉱町が舞台です。イギリスの閉鎖された炭鉱町を描いた映画は「パレードへようこそ!」「ブラス!」「リトルダンサー」などありますが、それらにはまだ笑って済ますだけの余裕が感じられます。でもこの「オールド・オーク」からはそんな余裕も見えてきません。
ラストシーンに希望があると見るにしても、それはシリア難民の家族の父親がシリアで拘束されたまま殺されたという知らせに、町中のみんなが、難民たちだけではなく、昔からの住民も、それまで難民たちに汚い言葉を浴びせかけていた者たちも、皆が弔問に訪れるというシーンでしかありません。
TJ・バランタイン(デイヴ・ターナー)はパブを経営しています。ただ、今では愚痴を言い合うためにやってくる常連でもっているだけで改装しようにもお金はなく、日々暮らしていくためだけのものです。冒頭のシーン、看板の「THE OLD OAK」の「K」が今にも落ちそうなのを直そうとしますがうまくいかず舌打ちするシーンから始まります。上のキービジュアルのシーンですが、隣のシリア難民の女性ヤラ(エブラ・マリ)が入っているのは宣伝用ということでこのシーンにはいません。
2、30年前と思われる炭鉱の閉鎖以後町に活気が戻ることはなく、空き家も多くなり、今では投資対象として買われて、誰彼なく貸されるという状態です。TJ が幼馴染だと言っていたチャーリー(トレヴァー・フォックス)は自分は 5万ポンドで買ったのに今では 8000ポンドで売られていると怒り、不動産屋に悪態をついていました。
ヤラたちイラク難民のバスが到着し、その一軒に入ろうとしています。難民受け入れをよく思わない住民たちが取り囲み、嫌がらせをします。ヤラはカメラマンです。その様子を撮影しますと住民の一人がそのカメラを取り、からかい、カメラを投げつけて壊してしまいます。
このファーストシーンでこの映画が何をやろうとしているのか見えてきます。もちろんこうした住民もいますが、こころよく受け入れる住民もいます。そうした対立が描かれていく映画です。
後日、ヤラが TJ のパブにやってきます。カメラを壊した男に弁償させたいので男が誰かを教えて欲しいと言います。当然 TJ にはわかっていますが教えることはなく、それでもここから二人の交流が始まります。
パブオーナー TJ とシリア難民ヤナ
TJ は積極的ではありませんが難民受け入れにも協力的で冒頭の揉め事でも住民たちをたしなめるような振る舞いをしています。難民支援の活動家ローラ(クレア・ロッジャーソン)の手助けもしています。
TJ がどういう人物かはヤラに話すことで徐々に明らかになります。町が炭鉱で栄えたのは父親の時代であり、炭鉱夫として働いていた父親は 5km 沖の海底炭鉱の落盤事故で亡くなっています。パブの奥には今は閉ざされた部屋があり、そこは過去には皆が集い、幼馴染のチャーリーの結婚式もやった部屋です。壁には叔父さんが撮ったたくさんの写真が飾られており、母親の言葉「When you eat together, you stick together.」も残されています。その母も亡くなっており、妻とも離婚、一人息子は寄り付きもしないと言っています。
今はマラと名付けられた犬と暮らしています。マラは炭鉱夫仲間で信頼できるパートナーを意味する言葉だと言っていました。マラのエピソードも語られます。2年前の4月某日(だったと思う…)、炭鉱事故で父親が亡くなった同じ日、もう自分の人生は終わったと思った TJ は海底炭鉱のあった沖に向かって歩き始めます。その時、犬の鳴き声がして TJ めがけて駆けてきたそうです。まだ早いと言うかのように。
そのマラも映画後半に住民の飼っている大型犬に噛み殺されます。この時すでに TJ とヤラの交流も深くなっていますので失意の TJ を慰めるためにヤラとその母親が食べなきゃダメと食事を持ってきます。When you eat together, you stick together. ということです。
この「共に食べて、団結を!」と「写真」はこの映画のキーポイントになっています。
話が前後しますが、TJ とヤラの交流のきっかけとなるのは、TJ が壊れたヤラのカメラの代わりになるだろうと叔父の残したカメラを見せるために奥の部屋にヤラを誘うことから始まります。そこには炭鉱夫たちや閉鎖時のストライキの写真がたくさん飾られており、そのうちの一枚に母親の言葉「共に食べて、団結を!」があり、ヤラはその後その言葉を合言葉のように使います。叔父のカメラは壊れたカメラの代わりにはなりませんが、TJ はそのカメラを売ってヤラのカメラを修理します。
共に食べて、団結を!
パブの常連は差別主義者です。難民たちをその一人ひとりを知るわけでもないのにひと括りにして汚い言葉で罵ります。盛り上がった話の中から、抗議集会を開こうということになり、TJ にパブの奥の部屋を貸して欲しいと言います。TJ は設備が壊れているからと断ります。
後日、ローラとヤラとの話から「共に食べて、団結を!」を実践しようと無料の食事会、子ども食堂のようなものをパブの奥の部屋やることになります。それは難民たちだけではなく、地元の住民たちも貧困にあえいでいることから分け隔てなく誰でも来られる食事会です。
壊れた設備は地元の住民や難民たちの協力を得て修理し、多くの人が詰めかけ大成功に終わります。子どもたちは次もあるのかと尋ね、TJ は平日週2回と土曜日だと答えています。
また、その部屋ではヤラの写真の鑑賞会も開かれます。ヤラが撮った住民たちの素顔がスライドショーでスクリーンに映し出されていきます。BGM はシリア難民の一人が奏でるリュートの生演奏です。部屋には溢れんばかりの人、映し出された自分に歓声が上がります。
ところが、後日、その部屋のもともと老朽化していた配管が破れて部屋は水浸しになり、電気関係も修理が効かず取り替えるしかなくなり、さらに経費節減のため保険にも入っていないことが判明します。
絶望的です。そんな時、実はその事故はチャーリーたちが仕組んだものだったことがわかります。TJ の絶望はさらに深まります。父親が亡くなった 5km 先の沖を見つめています。
2年前と同じように、しかし犬ではなくローラが叫びながら駆けてきます。ヤラたち家族の父親が死体で発見されたとの知らせが入ったのです。
後日、ヤラの家をノックするものがいます。ドアを開けますと、そこには数人の住民がいます。手に手に花束を持っています。ヤラの家族に哀悼の言葉をかけ、家の前に花束を捧げていきます。住民たちが次から次へとやってきます。その中にはチャーリー家族もいます。
人の死の前では悲しみを共有できても団結はできないでしょう。信じるものが同じでなければ…。
感想、考察:ケン・ローチ監督、絶望の最終章
率直なところ、映画としてはあまりいい出来ではありません。それがなぜかはわかりませんが、あるいはケン・ローチ監督に絶望のようなものがあるのかもしれません。
この映画に希望はありません。八方塞がりです。
映画の中のこの町では対立は解消してもそれが現実に起きるとは限りません。あるいはこの解消はたまたま人の死を目前にしたための一時的なものであり、明日から同じことが続く保証などありません。
信じたいけれども信じきれない、そういう映画だと思います。
それに、これは2023年のイギリスを描いているわけですが、起きていることの原点は日本でも同じです。SNS のやり取りなどを見ていますと対立した人間がわかり合うことなど不可能にみえてきます。
20世紀は戦争の世紀と言われていますが、21世紀も同じく戦争の世紀で変わりなく、しかしその内容が肉弾戦ではなく精神戦となり、かと言って人の死が伴わないわけはなく、互いに心がぼろぼろになり人として朽ちていく戦争の世紀になるんだろうと思います。